あけましておめでとうございます。
もう新年をきっかけにブログを再開する、なんてことは書きません。有言不実行になりそうなので。でも何らかの形で、情報発信は増やしていこうと思っています。
年末の大掃除で改めて自分の本棚を見ると『■■20○○大予測』というようなタイトルの本が、2010年で途絶えています。つまり2011年版(2010年末に発売)は1冊も買わなかったこと。まったく偶然です。しかし2011年は確かに予測不可能でした。天災、とりわけ地殻変動の予測が難しいのは道理ですが、それだけではありません。
多くの人がぼんやりと信じていた大きな力が、実は何も機能していないのではないか。そういう疑念が顕になり、道標を失ったことで、人々の行動パターン(トレンド)があまり一定・安定しませんでした。意見が対立する事象も多々ありました。
十分に機能していないと不安を与えたのは、中央政府や電力会社だけではありません。例えばオウムの特別指名手配者の出頭のドタバタは、そのことを象徴する出来事です。多くの人は日本の公安警察に良くも悪くもある種の幻想を持っているのではないでしょうか。米国やロシア、韓国に及ばなくとも、世俗から離れ、個人を犠牲にして地道に捜査・監視を続けているイメージ。実際、そういうドラマや小説、たくさんありますしね。しかし年末の東京の街を堂々と交通機関を使い、あるいは歩いて出頭し、その後も解放され、また歩いたのだというのですから。自ら出てくるまでノーマーク。普通、仮に悪戯だと思っても、留めおきますよね。たとえそれが軽犯罪でも。警察官自身のお正月の休息が大事だったと思われても仕方ありません。
何物にも守られない、何者も大きな道標にはなれない。
昨日、私的な会話で「スティーブ・ジョブズ氏は惜しまれすぎていないか」という話題が出ました。1人の有能な人の死を軽く言うつもりはありませんが、例えば最初にパーソナルコンピュータシステムを開発した人より、携帯電話を開発した人より、偉大と認定する理由は見当たりません。国内でipadは持っている人の方が圧倒的に少なく、iphoneで先行しているソフトバンクは、docomo契約者数を抜いていません。基幹技術や原型商品の初代開発者でもなければ、現時点では市場占有者でもないのです。
今や、絶対的で巨大な牽引車は、何物にも求められない。それでも都市の治安は守られ、百貨店の初売りや初詣に人が群がり、レストランで新年を祝い帰途につく。その世の中を動かす目に見えない力が、過去に力を尽くした人の遺産の続きなのか、無数の平凡な個人の努力の歯車が回っているのか?
これからはその答えが、真に求められる時代なのかもしれません。
個が輝ける可能性がある時代であり、日本であり、世界であることを信じて、今年も(今年こそ?)がんばりたいと思います。
本年もよろしくお願いいたします。