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ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

イメージリーダーの大切さ

2006-04-22 09:27:10 | スポーツ

新庄に学ぶ「楽観」の哲学

プロ野球でジャイアンツが絶好調なのは周知の事実だが、いまいちセ・リーグは盛り上がりに欠ける。視聴率復調の噂も耳にしない。パ・リーグもWBC活躍組の強豪チームの調子が上がらず、思惑外れといったところ。むしろ元気なのはスター選手を迎えたオリックスだったりして、話題の中心の移り変わりのめまぐるしさに、ある意味まだプロ野球人気は衰えていないことを確認する。

そしてここにきて話題を掻っ攫っているのは、新庄剛志選手。この人の天性のマーケティング力には敬服する。限定品マーケティング―いわゆる限定品になびく消費者心理が働き、今シーズンの日ハムは観客動員数を伸ばすだろう。今年新庄のプレイを見なければ、もう見られないっていう焦燥心理。もちろんマーケティングには継続的発展という視点も一方では必要。本来経営視点でこだわるべきはそこだろう。でも新庄は選手。あくまで人間である以上命や身体能力という限定品であることには違いがない。この2つがうまく絡み合えば、シナジーを生む。こんなことを考えて(いや、考えていないかもしれないが)立ち振る舞った選手はかつていなかった。だから新鮮に映る。それにしても、新庄にしろ、清原にしろ、選手としての成績や活躍の見込みを差し置き(もちろんないわけではないが)、スター性・話題性を優先して慰留したり、トレードで迎え入れたりする球団のスタンスにも時代性を感じる。

イメージリーダーがいかに大切か。ジャイアンツの不幸は、もはや現役監督でも選手でもない長嶋さんをいまだ引きずっていることだろう。もちろん暗黙のイメージリーダーの老獪さもアダになっているのだろうけど。軽薄イメージの新庄と長嶋さんたちを比較すること自体、往年のファンには論外なことだろうが、伝統の重みとともに「今輝くこと」「常に新鮮な話題を提供すること」が求められる。プロ野球はエンターテインメントなのだから尚更のこと。

他の企業も同様に、根っこの信頼感を形成する財務力や過去からの積み重ねとともに、今輝くこと、輝きを体現するイメージリーダーが必要。特に移ろいやすい消費者に対峙するコンシューマービジネスは大変だと思う。

*余談ですが、もうすぐFIFAワールドカップドイツ大会ですね。まだ盛り上がりに欠ける気もしますが、もう少し日が迫れば変わるかもしれません。話題沸騰には何よりも勝つことが特効薬。WBCがそうであったように…。


ガンバレ、東京ヤクルトスワローズ

2006-04-03 20:18:44 | スポーツ

新つば九郎付メガホン

開幕戦の3戦目を神宮球場に観に行った。日曜日のデーゲーム、相手チームは阪神タイガース、予想以上に神宮は甲子園化(甲子園はあんなものじゃないだろうが)していた。私は1塁側内野席だったが、3塁側は当然虎ファンだらけとしても、1塁側もほとんどが黄色いメガホン。ホームでありながら、ヤクルトファンは1塁側外野席にひっそりと固まっている感じだった。

ヤクルトは今年古田がプレーイングマネジャーとなり、改革元年とばかりにF‐プロジェクトをスタートさせた。F‐プロジェクトの目的は、早い話ヤクルトファンを増やそうということだと思うが、今のヤクルトは古田人気に支えられていると言っていいほど、彼に視線が集中している。実際に試合にもずっと出ているし、終盤交代するとファンからブーイングが出る始末(ブーイングも上品だが)。ブランドシンボルとして選手、監督だけでなく、営業面でも孤軍奮闘する姿には好感が持てるが、チームとしてこれで人気回復を果たせるのかな、という気もしてくる。

球場でもアンケート調査をしたり、ポイントカードを発行したり、フリーマガジンを配ったりと、あの手この手…といった感じだが、どの施策も地味で品が良すぎる。

半面、阪神ファンを間近で見て改めて思ったが、あのチームはファンがブランドを創っている。1塁側から3塁側を見ると、ほぼ黄色一色の鮮やかなスタンド。早い話大部分のファンが黄色の何かを持っているわけだ。これだけでも大迫力で、その上どこにでもついてくる応援団が占拠する一帯がある。勝利した際のジェット風船(阪神以外にも5球団が使用)も環境問題を考えるといかがなものかと思うが、迫力でビニール傘はかなわない。ビニール傘は環境には優しいが、何だか負けている時にやると雨乞いに見えてしまう。実際行った時にも途中少し雨が降ってきたが、かまわずエキサイトする阪神ファンと、例の傘で防備するヤクルトファンが対照的だった。

リージョナリズムの話をWBCに触れた時にも書いたが、ヤクルトが今年から「東京」を冠にしたのは、まさに東京人のリージョナリズムに期待、または育てようとしてのことだと思う。東京で生まれ育った人のメンタリティの深層は、地方出身者の私にはわからないが、郷土愛の精神が(希薄かもしれないが)まったくないとは思えない。プライドだってあるだろう。そのあたりを刺激するような大胆なことをやればもっとおもしろいと思う。

*余談だが、WBCのティファニートロフィーが神宮にあった。さりげなく置いてあったので、気づかない人もいたのか、あまり人が群がっていなかった。


WBCで熱狂を買った人々

2006-03-23 22:25:27 | スポーツ

06ワールドベースボールクラッシック公式プログラム

ナショナリズムという言葉にすると、何だかきな臭いイメージがつきまとうが、例えばWBCの決勝戦でキューバを応援した日本人はほとんどいないだろう。時代背景や国情、個人の心情によって差はあっても、国への想いは誰もが少なからず持っている。人は誰でも原点への強い思いがある。国への想いだけではない。東京に出てきている地方出身者が高校野球で、東京の高校を応援するという人はきっと少ない。

人々が熱狂する世界大会があると、必ず経済効果という話題になる。今回は野球人気が下火ということで、ペナントレースの人気復活にまで期待がかかっている。お疲れだった王監督が計らずも「ペナントレースもこのメンバーで戦えればいいのだけど…」ともらしていた。言わんとしたニュアンスは違うだろうが、ペナントレースは同じメンバーで世界と戦うわけではない。人はWBCで野球を買ったわけではなく、ナショナリズムや郷土愛、仲間同士、あるいは家族がともに沸き立つというエキサイティングな時間を買ったのだ。巨人ファンと阪神ファンならライバルでも、「NIPPON」をキーワードにすれば、心が一つになれるのだから…。ペナントレース、最初のうちは余韻もあり、人気復活の兆しがあるかもしれないが、いずれ多くの人々の目はサッカーのワールドカップに移る。

かといって、野球が人気のないスポーツとは思わない。だいたいの日本人、特に男性は野球のルールを知っているだろうし、父親がファンだった球団をそのまま引き継いでファンになっているという男の子も多いと思う。ただ、ジャイアンツを中心とした在京球団の人気が下降しただけだ(絶対数が多いので、結局下降したということだが)。神宮球場のヤクルト-阪神戦は、3塁側から席が埋まる。エキセントリックな阪神ファンだけではない。福岡ではソフトバンクが、新参者で負け続ける楽天でさえ、仙台では地元ファンに支えられ愛されている。東京に近くてリージョナリズムがあるのか、と思っていた千葉でさえ、いつの間にか千葉ロッテマリーンズが根付いている。

日ハムやロッテが移転して緩和しているが、リージョナリズムや家族・親戚のかかわりが希薄な東京、横浜に球団が集中していることがマンネリズムを生んだ。都市で働く男たちが在宅していない時間に巨人戦ばかり放送しても、視聴率は落ちて当たり前ではないかと思う。スポーツファンの数や一人当たりの余暇時間が急激に増えることはないのだから、観戦スポーツや余暇時間の選択肢が増えれば、野球を選択する人は自然に減る。だからチケットのとりやすさなどを含めて観る環境や試合内容、選手の質を高めることで、今残っている野球ファンを大切にすることが人気復活につながるのではないかと思う。


トリノオリンピックを観ていますか?

2006-02-18 23:27:58 | スポーツ

★上下セットでさらにお買い得!★がんばれ日本!【2006トリノオリンピック】★日本代表選手...

女子フィギュアスケートくらいは観たいと思っているが、前半戦は結局まったく見なかった。そもそも正直、ウィンタースポーツのルールがよくわからない。だからかもしれないが、テレビで観て楽しいものもあまりない。

定説として日本人はオリンピックが大好きで、テレビのニュースキャスターが「寝不足が続きますね」などと決まり文句のように言うものだから、みんながオリンピックを楽しみにして観ているような錯覚に陥る。現実には高い放映権を買っているメディアの宣伝と、大画面テレビやDVDレコーダーを売ろうとする電機メーカーの宣伝の要素もかなりあり、消費者は踊らされている面も大きい。

こんなことを思ったのも、この記事を読んでのこと。仙台のスポーツカフェがトリノオリンピックを放映して軒並み苦戦中だという。他の都市もそう変わらないだろう。時差で時間が良くないということもあるだろうが、仮に同じ時差でもサッカーWカップなら人は入る。前回の日韓共同開催の時は、仕事や学校をさぼって、テレビ放映をしている喫茶店に陣取っていた人も多かった。もちろんサッカーだって、にわかファンや、ルールだってよくわからない人もたくさんいたが…。

いずれにしても、メディアの狂乱と一般の観客の受け止め方はかなり違うということ。

頑張っている選手たちには申し訳ないが、今回の冬季オリンピックに関して、盛り上げようとするメディアのベクトルが何だか的外れのような気がする。とり上げるべきことが少ないということもあるだろうが、開催前にはフィギュアの報道にかなり偏っていたし、それ以外は中途半端なスキャンダル的な話題が目立った。開催後も前半戦では原田選手の失格話くらいしか、印象に残っていない。メディアだけではない。浅田真央選手の出場への日本の対応は及び腰だったし、原田選手のことも本人だけの問題ではないと思う。夏のオリンピックへの意気込みに比べて、選手が気の毒なくらい、JOCも無策な感じがする。


イチローとマツイのイメージ戦略

2006-01-15 13:00:48 | スポーツ

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言うまでもなく、2人とも偉大な大リーガーだが、今オフくらいから2人への世間の評価が少し変わってきている。

イチローはこれまで実績は評価されても、長距離バッターでない故に迫力不足で、さらにストイックすぎてとっつきにくいイメージがあいまって、「実はあまり好きではない」という人も多かった。半面、マツイはその対極にあり、国民的な人気という点では、マツイに軍配があがっていたような気がする。

ところが今オフになって、まずイチローが変わった。誰もが驚いたのは、新春早々俳優イチローとして、「古畑任三郎」に出演したことだろう。インタビューにも饒舌になっている。さらに社会貢献的な取り組みはこれまでもやっていたようだが、とり上げられる機会が増えた。対してマツイは、好条件でヤンキースにとどまると決まったことが話題になったくらいで、あとは例年通りの動き。戸田菜穂とのスキャンダルにものらりくらり。これじゃ、実は野球以外では優柔不断なダメ男と思われても仕方がない。マスコミへの露出も簡単で収入の多いCMが目立つだけで、特筆すべき点もない。

そこにきてワールドベースボールクラシック(WBC)の問題で、2人の態度の違いが鮮明になった。もちろん断る方にも理はあるのだろうが、イチローの態度が立派すぎた。これではイチローの評価があがるばかりだ。

WBCについては2人の信念、考え方の違いが出たと見たいが、その他の点について、イチローには誰かイメージ戦略のアドバイザーがついたのだろうか?それとも引退後を見越してのこと?いずれにしても、こうした著名人のイメージの作り方とその結果を見ると、企業や個人の戦略にも役立つことがある。これまでは組織や社会の都合より個を優先する人がカッコイイという風潮が強かったが、ここに来て組織や社会に貢献してこそ、個が見出されるという方向に転換してきている。これは個の時代以前の集団主義とは異なる新しい価値観で、成熟した大人のありようだと思う。