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ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

日本人の心技体

2007-08-24 02:28:11 | スポーツ

相撲にはあまり興味がないので、朝青龍がどうしたという話も最初はどうでもいいやと思っていた。かといって、私は女を土俵にあげろ、あげないような相撲は前時代的で朽ちゆくもの…などと、野暮なことは一切思っていない。そういう世界もあっていい。

朝青龍の話はいまや仮病かどうか、サイドビジネスがどうした、国に帰すか帰さないか、親方や協会のメンツがどうした、などとおおよそ伝統を重んじる国技を守る人たちのあるべき議論とはかけ離れてしまった感がある。それと心の病を軽く考える言動こそ、前時代的であって、国際的にも人間的にも恥ずかしい。

でもそもそも言われていた横綱の心技体を求める、巡業は社会貢献であるという根幹には共感する。横綱でなくとも心と技術と体を兼ね備えた人は魅力的。現代の日本人だと、イチローあたりが代表格ということになるのだろうか?

転じて相撲の世界で日本人の横綱はいないし、大関以下であっても心技体を兼ね備えた人材は枯渇しているように思う。国技なのに他国の人を受け入れて懐が深い、などと言われているが、今回のような異文化の中で育った人への理解のなさをみると、単に日本人の人材が不足しているから、外国人力士で補っているのではないかと皮肉りたくなる。現実にこういう陰湿なことが続くと、日本人の入門者はますます少なくなる。

ある新聞にはモンゴルとの関係のためにも早く収束すべきと書いてあったが、「早く収束」には賛成だけど、本来はこういう話を国家間の話に飛躍させるものではないと私は思う。でももし相手がアメリカ人や欧州の大国の力士だったら、もっと論調や対応が異なっていたような気がする。もっともアメリカだったら、国家が親書を送ってきたり、メッセージを発信したりしないと思うが…。

いずれにしても日本人が失った心技体を外国人に強制するのは何か違和感がある。1人くらい日本人の横綱が出て、手本を示さないと、ロールモデルなき継承者は当然困るだろう。


内向き消費

2007-08-03 03:01:39 | スポーツ

一昨日あたりの日経新聞の記事だが、首都圏の梅雨明けが延びたために、レンタルビデオなどの内向きの消費が伸びて、アウトドアレジャー系が軒並み厳しいそうだ。

これはもっともな話だが、ただ梅雨だけが原因ではないと思う。最近のヒット商品をみると、スポーツもどきやフィットネスをうちの中でするスタイルのものが目白押しだ。代表格はWiiだけど、ビリーズブートキャンプも結局はうちの中でやることを前提としているのだろう。体を動かすのは嫌いではないが、あの激しい動きをマンションの一室でやるなんて、ちょっと考えがたい。(変なフィットネス機器が廊下で埃をかぶっている私が言っても説得力がないが)

そんなことを思っていたら、今度は任天堂DSの対応ソフトで「どこでもヨガ」が発売されたらしい。確かにヨガはどこでもできるが、あの小さな画面を見ながらポーズをする姿は、やっぱりちょっと考えがたい。ホットヨガスタジオなどがそこら中にある都市は限られていて、ヨガを覚える機会の少ない地域の人には意味のあるソフトなのかもしれないが、可能ならスポーツは屋外か整った環境の室内でやりたいと個人的には思う。

もっとも私もDVDをうちで観るのは好きだし、DSも持っているが(脳トレで24歳を出した時点で埃をかぶっている)、屋外でスポーツをする気持ちよさには代えがたい。紫外線は気になるけれど、汗をだらだらかきながら、真夏にやるスポーツに結構はまっている。

それでも私くらいの歳になれば、紫外線はかなり危険だし、忙しくスポーツも旅行もままならないけど、もっと若い人たちが内向きのものばかりにはまるというのは、どうかと思う。うろ覚えのデータだが、海外旅行に出かける若い人が減っているらしい。旅行会社も高齢化社会の影響もあり、もっぱらターゲットはシニアにシフトしつつある。こんなことを書くと、オバサンの仲間入りという感じがするが、私が20代の前半の頃は、まだパソコンも会社でしか使っていなかったし、ケータイもなかった。でも無謀にアメリカ大陸を旅したことや国内の旅先でテニスやゴルフをした思い出の方が、自宅の中でした何かより確実に心に残っているし、自分の血や肉になっている。

世の中では日本政治が内向きだと批判されているが、内向きなのはどうも政治だけではないように思う。


王子フィーバー

2007-06-06 00:51:21 | スポーツ

こんなことを書くと歳がバレるが、マーケティングの世界では「分衆」なんて言葉が流行ったことがあった。大衆に対して分衆。つまりマスの時代は終わり、個の時代に移ったということで取り沙汰された言葉だ。確かにモノやサービスの選択肢は増えた。マスプロダクトという意味では、マスの時代は終わったかもしれない。家族単位ではなく個人の意思で動くようになったかもしれない。でもマスメディアの影響力は以前より強くなっているような気がする。メディアミックスは確かに進んでいるが、その中で特にテレビの力は膨張している。

良い例はここ数週間の王子フィーバーだろう。15歳の無名のアマのゴルフ選手を一夜にして日本中の人々が知ることになり、驚くほどのギャラリーを呼ぶ。ひとりのスタープレーヤーの誕生が閑古鳥すら鳴きつつあった学生野球の観客席を満員にする。さらに関心を持ってみたのは、彼ら若い男の子たちが驚くほど、その状況に順応していることだ。よく中年の男は、社会的な生き物だから、仕事が原因で自殺をすると言われるが、本来彼らの年齢では男であってもまだ社会的な生き物とは言えない年齢だ。ただ、それゆえにこうした状況に、ただ素直に従い、社会が期待する人間性を演じるしかないのでは?という穿った見方もできる。

でももっと興味深いのは、彼ら(特に早稲田の方)のチームメートの姿だ。本来1年生は脇役、下支えであるはずなのに、上級生が当たり前のように斎藤選手を盛り立てている。優秀なのだから試合で盛り立てるのは当然として、胴上げをし、パレードの後にマイクまで握らせる。しっかり自分たちが脇役に徹し、早稲田大学や学生野球のブランドシンボル的存在であるひとりの選手を支えているように見える。彼らもまた、既に社会的な生き物であるように思う。

そしてヨン様に続き、彼らの人気を支えているのは、50代前後の女性だと言われている。昔Hanako世代と言われた人たちより上の世代。つまり男女雇用均等法施行以前に社会に出た人たちだ。いまや女性警官が拳銃自殺をする時代だけれど、この世代の女性のほとんどは、仕事が理由で、あるいは職場で自殺なんて考えもつかなかっただろう。彼女たちが今の社会のブームの真ん中にいて、自分の息子世代のスポーツマンたちを消費している。そしてそのターゲットとなった彼らは、否が応でも逸早く社会的な生き物になり、「オバサン、勘弁してくれよ」と本音では言いたくても、「ファンのみなさん」「ギャラリーのみなさん」という妙に大人びた表現になる。

マスメディアの視聴を支えているのも今は彼女たちだから、さらにメディアが助長する。才能のある彼らを本質的に潰さなければいいけど・・・と思う。


フランス大統領と大相撲

2007-05-09 02:45:19 | スポーツ

フランスの新大統領がサルコジ氏に決まった。政治の話をあまり書くつもりはないが、外部からマスコミを通じた情報のみで考える分には争点が非常にはっきりしていて興味深かった。はっきりしすぎて暴動に発展しているみたいだが…。それにしてもロワイヤル候補が北京オリンピックのボイコットを視野に入れていたとは、最近まで知らなかった。あまり考えていなかったが、他にもそういう国、あるのだろうか?

ところで大統領の交代が相撲に影響を与えるという。シラク大統領の相撲好きは有名で、仏大統領杯まで創設されているわけだが、これが廃止になるだろうという話。確かに概ね日本人が大好きな国・フランスのトップに権威付けしてもらえれば、低迷する相撲界にとってこれほどイメージアップに貢献する事実は他にないだろう。人気大関の病気による引退や、規則違反による交通事故、稽古で他の部屋の格下力士に次の場所への出場が危ぶまれる負傷を負わせるなど、良いニュースがあまりない角界。フランス大統領の相撲撤退(?)は、さらなる追い討ちになる。

でも日本人の入門者が年々減り、外国人力士の活躍に頼らざるを得ないうえ、人気のよりどころまで他の国のトップ、しかもその個人的な趣味に求めるのはどうかと思う。まっ、とり上げているのはマスコミだけで、角界はどうでも良いと思っているかもしれないが。

ところでサルコジ氏は自ら東欧系移民にもかかわらず、移民政策の中でフランス語を話し、フランス社会に同化する民でなければ入国を認めない方針だという。この政策の賛否は別として、この方針、日本の相撲界と少し似ている。力士は基本的に日本語を話し、強くても品格がない力士は認めないというのが元来の考え方だった。ところがその急先鋒に立つ横綱審議会の面々、特に目立つ方の印象があまりによくないために、世論が彼らの主張を封じ込めた感がある。その世論形成に一役買ったのは、コマーシャリズム。例えば朝青龍のことを当初日本人は好意的に受け止めていなかった。ところが本人の努力もあるだろうが、木村拓哉さんと一緒にCMに出たり、民放のバラエティ番組に出たりして、「なんだ、いいヤツじゃん」から「強ければいいんじゃない?」という風潮に少し変わってきたように思う。

移民政策に関する日本の報道の中で、気になる一文があった。移民問題は遠い国の課題ではなく、日本でも多くの外国人が働き、彼らなくては成り立たなくなっている。ところが日本人は彼らを「まるで透明人間のように見ないふり」をしているという。やや極端な言及と思わなくもないが、確かにそういうところがある。もしかしたら最近相撲のことも見ないふりをしていないだろうか。なのに、フランスの大統領に日本の伝統文化を認めさせようとしても、虫が良すぎる。まずは自国民が日本文化を規定しなければ何も始まらない。別に大相撲のグローバリズムに反対なのではない。どちらの道を歩むにせよ、揺るぎない意思が見えにくくなっているように思うだけのことだ。


特待制度はなぜ禁止?

2007-04-28 00:08:46 | スポーツ

プロ野球を目指す高校生の特待制度が問題になっている。制度としてダメな以上、違反してはいけないのはわかる。でもそもそもなぜ特待制度が悪いのか、それがわからない。有能な選手に資金援助をして育てる。野球に限らず、何かの一流のプロになるためには、通常の教育費以上の経済的負担が親にのしかかってくる。音楽家など芸術家は良い例だし、今人気のフィギュアスケートも経済的に裕福な子女でなければ一流になれないと言われている。荒川静香さんはお父さんが大手企業のサラリーマンでも、相当苦労をされたということは有名な話だ。

野球以外では多くのスポーツが特待制度を容認しているという。もちろんスポーツ以外の学問や芸術でもあってもいいと思う。逆に野球だけがクリーンで、平等で、教育の一環だという特権意識こそ変だと思う。福原愛さんや浅田真央さんなどは、高校時代からいつ勉強しているのだと思うくらい、国内外で活躍し、企業とも契約を結んでいる。

親が普通の経済状態や、あるいは苦しい状態であっても、高い才能や努力をさらに伸ばしてやろうと学校や社会が手を差し伸べても良いのでないか。もちろんだからといってすべての選手がプロに進み、成功できるわけではない。若くして挫折を味わうかもしれない。でもそれも人生。

禁止理由はいくつかあるようだが、すべてがおかしいとは思わないが、今問題になっているかけっこに順番をつけないという教育現場の発想に近いものを感じる。そもそも野球特待生だからといって勉学が疎かになってはいけないというのはわかるが、それはまた別の問題。何もしていなくても疎かな子どもたちはたくさんいる。

今、格差社会が問題になっているが、問題点の根幹は「格差の連鎖」にある。親が貧しければその貧しさが子どもの将来の道を閉ざし、また次の世代で貧しい家庭が生まれる。これでは外国に今も残る階級社会や、職業選択の自由がなかった昔の日本に近い状態になってしまう。

政治が弱者を助けることは必要だが、個を強くするという視点も必要だし、それを一私立学校がやるのならかまわないと思う。政治や税金でできる範囲の弱者救済型の格差是正には限界がある。それをみんななんとなく感じているから、格差是正を選挙の争点にしても、決定的な強さにはつながらないのではないだろうか。