goo blog サービス終了のお知らせ 

ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

生活圏で7年後

2013-09-29 23:30:02 | スポーツ

オリンピック招致成功を冷ややかに見ている人も多いけれど、私は福祉や医療関係者のように、少子高齢化がさらに進行するこれからの世の中に絶対に必要な仕事をしているわけでもない。評論家でもない。だからこれは好機と思うほかない。

期待するのは、オリンピックにとどまらない国際間交流と、インバウンドを含めたグローバル化。ここ数年、日本は工場の海外移転など、財や人が外に出ていくばかりのグローバリズムに苦しんできている。日本から外に出る留学生は減少傾向にあるといっても、外国人が日本で学びたいと留学してくるケースがそれほど増えているわけではなく、むしろ近隣アジアの有能な学生はアメリカをめざす。それが少しでも日本に関心が向くことで、一時的な訪日観光客の増加だけではなく、投資や留学生、継続的な観光誘客に繋がればいい。

といっても、消極的賛成ではなく、もともと時間が許せば、観戦のために外国に行ってもいいくらいにスポーツは好き。

しかも生活圏に多くの競技会場が集積する。今後どう変わっていくのかが身近に見られる。たかがスポーツの大会が地域社会をどれほど変えるのか。もちろん良いことばかりではなく、悪いこともあると思う。些細なことでいえば、実際、今夏から花火が半分見えなくなったし、今後はもっと建物に遮られて、窓からの視界が悪くなるかもしれない。工事の騒音が気になるほどは近くはないが、地価も上がれば、交通量も増えるだろう。

ちなみに先送り、先送りで、すっかり忘れられている感があるが、築地も移転してくる。現在の築地市場は、すっかり観光客の人気スポットになっている。これを一時的なこととは思わない。もちろん新しい市場がシステマチックで魅力ないものになっては難しいことだが、特に外国人観光客が訪れた国の食文化や日常の断面を肌で感じられる場所に行きたいと思うのは自然なことだ。実際、私たち日本人も、欧米の生鮮市場やアジアの屋台街によく行くし、サンフランシスコやニューヨークのフィッシャーマンズ・ワーフは、れっきとした観光スポットである(両方ともショッピングモール感満載で、味わいがなかったけれど)。

これらをひっくるめて、EAST TOKYOがマーケティングの前線になるなら、記録をしていく価値がある。本来殺風景で、人肌のぬくもり、界隈性の希薄な地域だけに、構想力が問われる。


だてに歳を食わない

2010-05-26 00:33:42 | スポーツ

別にシャレではないですが、クルム伊達公子さんが大金星をあげました。ケガを抱え、グランドスラム、しかも去年まで世界ランク1位と2位をさまよっていたサフィナ相手ということでニュースになるでしょうが、それでも練習試合(壮行試合?)の日韓戦より小さな扱いだと思います。テニスがマイナースポーツでもあり、組織スポーツでもないので、それは仕方ないとして、感動的な勝利でした。途中までスポーツは必ずしも勝つ必要はないと初めて思った十分な戦いぶりでしたが、実際に勝つと、負けると勝つは大違い。元の考え方に戻りました。

広めに括れば同世代の女性としてはだてに歳をとらないとは、こういうことだと思い知らされる、経験と技術、プロ意識の高さ。フランス人をはじめ、欧州人主体の観客のスタンディングオーベーションもよかった。日本よりテニスやスポーツのマスコミの扱いが大きく紳士的な国々で、また1人の日本人女性がリスペクトされるでしょう(ちなみに浅田真央さんも、杉山愛さんも、柔道家としての谷亮子さんも、日本より海外マスコミ、スポーツファンの支持や尊敬があついということです)。

日本人は年齢を気にしますが、年齢は個人がちゃんと経験を積んでいるか、本質的に大人になれているか、計るときに基準にするのは悪くないと思います。ただ歳を重ねているだけで、若い人の成長を阻む、経験すべきものをとり上げるのは良くないわけで、要はだてに歳を食わないことが大切な気がします。

ところで若い錦織圭選手も、1回戦大逆転勝利。もしも2回戦でジョコビッチ(こちらは現在世界ランク3位)に勝つことがあったら、マスコミにももう少しお祭り騒ぎしてほしいものです。そして南アフリカまで大挙して遠征するチームを少しの間放っておいたらどうでしょう。テレビも売らなきゃ、視聴率もあげなきゃいけないので、そういうわけにもいかないでしょうが、どうせならこれを機会に南アフリカという国のことをテレビで深くとり上げたほうが有意義かもしれません。


ねばるオンナたち

2010-01-11 18:53:07 | スポーツ

世界のトッププレーヤーにも惜しまれながら、杉山愛さんがプロテニスの第一線から引退したのは昨年のこと。期待されていた錦織圭選手のケガからの復帰の目途がはっきりしない中、世界ランク1位の国枝慎吾選手もそうだが、他にも異様に頑張っているテニスプレーヤーがいる。クルム伊達公子さんで、昨年下期の韓国でのツアー優勝で弾みをつけ、みるみるうちに世界ランク60位台と日本人プレーヤー最高位までのぼりつめ、今年に入ってのツアーでも現在のレベルから言えば絶好調と言っていい、成績をあげている。ちなみに今日WTA本選で世界ランク20位を破った。

まもなく始まるグランドスラムの一つである全豪オープンでも出場は確実視され、1回戦突破も夢ではない。

伊達さんは同世代なので、頼もしくも刺激される存在だ。もっと身近なところで言えば、就職難のこの時代にやはり同世代の女性の友人が何人か大手企業への正社員の就職、しかも異業種からの転職を決めていて、その努力と粘りがすばらしいとともに、結果を与えてくれる社会もまだ捨てたものではないと思う。

でも大局からみれば、世代交代がなければダメなわけだが、社会に余裕のない今は、これまでのトレーニングや経験という貯金のない若い人には厳しいのか…。スポーツも仕事も、肉体は若いに越したことはないが、メンタル面では成熟した精神力や意志が求められる。

女性でも年齢に関係なく活躍できる世の中は、自分が20歳頃に欧米を旅行して、かくあるべきと感じた風景に少しだけど近づきつつある。今はもしかしたらいつまでも第一線で頑張ろうとする大人たちが、若い人の機会を奪っていることもあるかもしれないけれど、皆いずれは歳をとり、若い人に道を譲らなくてはならなくなる。特に日本はほぼ確実に今より人材不足になる。それまでに社会も人も、地力をつけないと。


才能は消費される

2009-12-16 02:30:34 | スポーツ

タイガー・ウッズは「日本で言えば誰?」と言われても即座にたとえられない、唯一無二のアスリートだと思う。そもそも異国のゴルフに関心のない人でも名前を知っているわけで、あえてたとえれば競泳界のマイケル・フェルプス、メジャーなプロスポーツなら全盛期のロナウド、F1ならミハエル・シューマッハ、現役のテニス選手ならロジャー・フェデラー…って、結局日本人では思い当たらない。もしこれでウッズが潰れてしまえばゴルフ界、スポーツ界にとっては大きな損失に違いない。

結局はどんなに才能があり、努力を重ねても、プロスポーツ選手は企業に資金を出してもらえなければ一流であり続けられないし、企業がスポンサードを続けるためにはイメージも重要ということ。企業の先には消費者がいるわけで、才能も消費の対象。広い意味での観客がいて、ライバルとの勝負の行方に熱くなり、その選手の存在感に圧倒される魅力がなければ、プロスポーツはいかにその人の身体能力が優れていても成り立たない。

もちろん純粋な観客は、勝ったり負けたりの人格者より、勝ち続けることのできるヒールに魅力を感じることもある。要は従来から勝手にギャラリーが思い込んでいるイメージをそう大きく裏切ってはいけないということだろう。朝青龍は朝青龍のままでファンタのCMに出られるが、例えばイチロー選手がウッズと同じ騒動を起こしたら、ストイックで安全運転なイメージで起用しているNTTや日産自動車(今は出ていない)、証券会社は契約を切るだろう。ユンケルはわからないけど…。

そんな中、ナイキが契約継続を宣言した。スポーツ系企業にとって、トップアスリートを手放すことの損失の度合いが他の企業とは桁違いだろうし、代替がすぐに見つかるわけでもない。競技そのものへの思い、アスリートを支えることに対する企業の社会的責任の重さ、スポーツに対する価値意識なども当然違うだろう。捨てる神あれば拾う神ありで、ちょっとホッとする。別にウッズのファンでもなければ個人的には思い入れもないけど、彼ほどのスタープレーヤーにすら、みなが手のひらを返す世の中はちょっと怖い。

著名人のスキャンダルは有名税という言葉で片付けられることが多い。巨大組織で働く無名のキャリアも、コトが起きた時に必要以上の責任を負わされることもある。その他大勢の労働者は、まさに派遣切りのようなことが起こり、問題になっている。多かれ少なかれ、また種類は違っても、人が人を消費している側面は否定できない。そのことの良し悪しはともかくも、誰でも弱り目が訪れることはある。拾う神がある社会であってほしいし、個々人もどんな時でも誰かには必要とされないと生きづらい。


絶対女王

2009-12-05 18:59:37 | スポーツ

昨夜のフィギュアスケート・グランプリファイナルSPでは、少なくともショートでは絶対女王とさえ言われるキム・ヨナ選手は2位だった。フィギュアスケートは別に詳しいわけではないので、点数の付け方はよくわからない。でも昨夜の上位2人は、他の人の演技とは1段レベルが違って見えた。

日本人なので、どうしても安藤美姫さんを応援したくなるけれど、キム・ヨナさんにも敬服する。それは自国内で競争がない中で、世界のトップであることの難しさはいかばかりか。そのメンタリティの強さは、他の選手には真似できないのではないかと思う。

多くの場合、国内で切磋琢磨し競争し、そこに残ったトップレベルの才能が世界で開花し、そこでまたさらに激しい競争が待っている。特に日本や韓国のようにネイティブ言語がマイナーな国の場合は、仮に経済的に恵まれていても、幼少期からその競技がメジャーな他国で学ぶことは難しい。本来既にトップレベルの才能が自国にあり、そこで共に学び競争する環境を与えられた場合に、新しい才能は花開く。浅田真央さんが伊藤みどりさんに憧れ、同じ指導者に学んだことはよく知られている。

キム・ヨナさんも今でこそカナダにいるようだが、メジャーになる前は韓国にいた。だから教科書的で伸びやかさに欠け、フリーで躓くと評論家の人は言うけれど、それはそうだとしても仕方がないことと思う。

まだ20歳にもならない彼女の孤独や不安、それに打ち勝つ精神力を思うと、すごいと感じると同時に、少なくとも国内では絶対女王であるがゆえに自国民も懸命に彼女を守り、応援しているように思う。もちろんそこにあるスポーツナショナリズムは否定できないし、それが彼女に重い荷物を背負わせているのだろうが…。でも日本の場合は、真央ちゃんがこけてもミキティがいると思っているような節がある。そっちのほうが個人依存と思う。

日本はある時期、競争をよしとしない風潮が蔓延した。今はまさかそんなことはないと思うが、一時期手をつないでかけっこをする学校が少なからずあると物議を醸した。議論をするまでもなく、とんでもない話だと思う。私も昔短距離走は遅かったが、負ける悔しさを知ってこそ、他のことで勝つ努力をするし、勝つ喜びを知ってこそ、さらに新たなステージに飛躍しようとする。

ノーベル賞学者の言葉を借りれば、一番になろうと思わなければ二番にも三番にもなれない。中には一番でなければ、二番も三番も無意味というジャンルもある。競争できる環境をつくらなければ、個人の努力だけではままならないということだろう。

キム・ヨナさん自体はいつかピークを過ぎる。その時に第二、第三の彼女が出てこなければ(一人候補はいるらしいが)、韓国はフィギュアの世界ではマイナー国になる。個人技なので、それはそれで彼女自身の光が消えるわけではない。だから別にかまわないが、国としてもう一度才能を見出すことはより困難になる。