goo blog サービス終了のお知らせ 

ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

禁断の日用品

2016-02-01 23:05:55 | マーケティング

ハンカチとティッシュペーパーを持ち歩くのは、最低限のエチケットのように言われてきましたが、最近は駅などの公共機関含め、どこのトイレにもトイレットペーパーは常備されており、ハンカチはともかく、ティッシュを外で使う機会が減った気がします。心なしか、最近は街でもポケットティッシュを配っていませんね。

それでも鼻風邪をひいてしまえば、話は別。新年早々ひいてしまい、外出先のコンビニでポケットティッシュを買ったのですが、目についたのが「鼻セレブ」です。

「それ使うと、ほかは使えなくなるよ」と言ったのは、同行していた友人。私も存在は知っていましたし、試供品でいただいたことがあったのですが、使う機会がないまま、どこかにしまい込んだままです。結局、試しに2個セット100円弱のそれを買い使ったのですが、確かに鼻をかむ目的のときは、これに限るというほど、普及品のティッシュとは質が違います。かみすぎて乾燥して赤くなり、皮がめくれるなんていう無様な姿になることもないまま、いつの間にか風邪も終了し、もう鼻風邪をひいていたことなど忘れてしまいました。

それでも高級ティッシュの良さは忘れられず、5箱○○○円のボックスティッシュ以外に、鼻専用の高級ボックスティッシュを常備するようになりました。一度踏み入れたら、引き返せない禁断の世界です。こういうものを作るのは、日本のメーカーは本当にうまいと思います。紙おむつにしろ、ナプキンにしろ、日本の紙製品の評価が高いのもうなずけます。

製紙業というのは本来、内需の中の内需で、輸出入や海外進出には向かない産業なのですが、紙加工品分野では十分な競争力を持っています。

もう一つ、女子的禁断の日用品、Made in Japanがベストと思うのは、化粧筆です。とくに熊野筆に手を出したら最後、後戻りはできません。私もある機会に1本いただいたのをきっかけに、その肌触り、色がつく頃合い、使い心地から離れられず、熊野筆では比較的安価なものを1本ずつ買い足し、今では一式持っています。言うまでもなく、熊野は筆の産地で、元は書道の筆の製造から化粧筆を始め、日本の隠れた(今は隠れていないですが)名品として、外国人観光客にも人気が高いようです。一時、海外セレブ御用達といった、PR展開の効果もあったと思いますが、本当に長く使える良品です。

ふだん、何気なく何も考えずに使っているものの質が高いということは、日常生活の幸福感に繋がります。こういうものに知恵を絞って作り出せるのは平和で、心豊かな国である一つの証左でもあると思います。


チャンスを生かすマーケティング力

2016-01-27 22:48:52 | マーケティング

曜日のめぐりがあまり良くなかったこともあり、今年の年末年始は何年かぶりにずっと東京にいました。そんな大みそかの夜に何と宅配便が届きました。大規模な集合住宅に住んでいますが、年末年始はかなり静かです。地方出身の東京暮らしの人が多いということでしょう。私もその1人。大みそかに荷物が届いたことなど、過去に一度もなかったように思います。

それはふるさと納税の返礼品でした。からすみをセレクトしたので、一瞬はそのタイミングが嬉しかったのですが、ふと疑問に思いました。送った人は私が大みそかに自宅にいることは知るよしもありません。

荷物はクール宅急便で、日持ちのするからすみのほかに、サービス品なのか、私がよく見ていないだけで最初からセットになっていたのかわかりませんが、しらすや干物まで入っています。しかも大量に。そのうちのしらすの消費期限は1月5日です。冷凍するなどで少しは延ばせても、それも限界がありますし、そもそも1人や2人で食べきれる量ではないのです。

幸い、元日の来客に半ば強引に半分引き取ってもらいましたが、その人は食べきれたでしょうか。私は毎日少しずつ食べるようにしましたが、無理でした。

目当てはからすみだったのでいいのですが、この情報化が進んだ時代に「地方の感覚だから微笑ましい」というわけでもないと思います。

もちろん、通販で買ったものではないので、文句を言うほどのことはないです。でも送ってきた事業者は、地方自治体から商品を買い上げられているのです。彼らはどこの地域でも、それをチャンスとしてとらえ、送る荷物にサービス品を入れたり、商品カタログ(リピート通販喚起)や地域の観光案内を入れたり、様々な工夫をされています。

最近は地方の企業も東京やほかの日本の大都市を目指すのではなく、直接外国に進出したり商品を売り込んだりする例も出てきました。それは素晴らしいことですが、簡単なことではありません。同じ日本人のマーケティングができずして、外国人のマーケティングはできません。それなりの資金、行政やプロの支援、その経営者のバイタリティや能力がなくてはなりませんし、そこまでできるのは中小零細企業や一次産業ではまだまだ少数派です。

地域内の地産地消だけでビジネスが成り立たない場合は、まずは身近な巨大マーケットを目指すのが自然ですし、しかも最近は何も支店や営業所を構えなくても、ネット通販で物を売ることも可能です。

ふるさと納税の返礼品競争は批判対象にもなっていますが、一方で地方の農作物や産品のPRやマーケティング機会にもなっているのです。

「まるでお取り寄せ品のネット通販」と言った人もいましたが、現象だけを見ればそういう側面もあります。ただ、政策でやっているという性格上、永遠にこの制度が続くかどうかはわかりません。せっかくの見込み顧客との出会いを今のうちに積み重ね、本物の顧客を1人でも多く獲得していかなければ、一過性のものに終わってしまいます。

小売りなどの顧客との一対一のマーケティングの基本は、顧客を知ろうとすることだと思います。何も調査をすることだけではありません。テレビを観ていれば、「年末年始ふるさとに帰る人で高速道路の渋滞は……」と必ずニュースをやっているでしょう。少しの想像力を働かせれば、大みそかにクール宅急便を送ることはしないはずです。3日あるいは4日に東京に戻り、不在票を発見し、翌日届けてもらった商品の消費期限が1月5日なら、もらった人も送った人も幸せではありません。

たぶん送ってくださった方は「お正月に食べてもらいたい」という親切心だったのだと思います。それならメール1本入れてもらえれば、受け取れても食べきれない大量のしらす問題以外はOKなのです。実際、通販と同じシステムで発送の案内をメールで送ってきていた自治体もありました。どんな政策や仕組みでも乗っかればそれでいいというものではありません。ビジネスチャンスを生かすも殺すも事業者次第の部分はあると思います。

ちなみに一昨年納税をした自治体から、その地域の美しい風景写真の絵葉書が新年に届きました。地方行政にも経営感覚を、というのは何年も前から言われていますが、ふるさと納税のような仕組みができると、その感覚の差がはっきり出てきます。人気の高い自治体は、ただ返礼品が豪華というのではなく、きめ細かい心配りが行き届いているのだと思います。


水曜日のアリスの行列は根強い

2016-01-11 00:22:49 | マーケティング

定期的に通る道があります。明治神宮前駅を降り、明治通りを渋谷方向へ。目的地までの10分弱の間で、たいてい2つの行列が見られました。

1つは『ASOKO』。ここは年末の日曜日でもすでに行列は消滅していましたが、なぜか行列客を仕切るパーテーションだけは残っていて哀愁を漂わせていました。運営会社の業績不振で閉鎖が決まっているというニュースを見ましたが、店内はわりと混雑していました。

出店当初は、FLYING TIGER COPENHAGENとも比較され、負けない行列を作っていたのですが、FTCは行列こそないですが、首都圏だけでも16店舗まで店舗数を増やしています。そもそもの企業力が違うといえば、それまでですが、本来雑貨店というのは企業力で勝負をするよりも、商品力と売り場演出力が勝ることが重要だと思うのです。そういう意味で、商品力もFTCかなと思うのです。どこがどうというと困るのですが、あくまで直感として。

絶対に欲しい商品は、いずれの店舗にもないのですが、「とりあえず買っておくか」「まあ、これでもいいか」と思える商品がFTCにはあり、その商品を見つけやすいと思います。あくまで表参道のFTCと原宿のASOKOの比較でしかないのですが、売り場面積はそれほど違いがなさそうで、価格帯も明確にどっちが高いとか言いきれないです。でもFTCで物を買ったことは2回くらいありますが、ASOKOは1度もない。

1つは店内動線です。ASOKOは2層、FTCは1層で。FTCは悪名高き逆進禁止で、くまなくすべての商品を見せる動線が設定されています。まったく顧客本位ではないので、評判はよろしくないですが、表参道・原宿あたりで行列をしてまで店に入ろうという人には、この程度のことは素直に受け入れられてもらえます。「たかが安物雑貨店であり得ない」と怒り出す人は、端からターゲットにしなきゃいいし、私のように勝手に逆進する客を店員がスルーしたところで、店内でトラブルを起こすような頑固な客はいません。電車の中ではないのです。

こう割り切って、このルールを最初に作ったなら、さすがのマネジメントと思います。百貨店(古くは呉服店)の接客マナー、顧客対応の常識が土台となり、その中にアメリカから輸入されたGMSやファストフードのオペレーションを取り入れてきた日本の小売店主の常識には、顧客の行動を店独自のルールに合わせてもらい、嫌なら来なきゃいいという発想はあまりない。あるとすれば、頑固おやじが店主の飲食店くらいでしょう。

しかし、この方式は今のところ功を奏しています。直感的に欲しいと思ったとき、買い物かごに入れる率は、逆進ができる(自由に見て回れる)店よりはるかに多くなります。多くの人はわざわざ表参道・原宿に来ている人たちです。近所に住むおじさん、おばさんではありません。何か一つくらい買って帰らなきゃと思うに違いないです。それで商品がまったくダメなら、リピーターを生まず、やがて撤退となるでしょうが、そこまでひどくない。奇をてらうカテゴリーではなく、ふだん何気なく使うものがほとんどなので、そのデザインが近所のスーパーのものより優れているように見えれば、買って後悔することもないし、深く後悔するほど高い物を売っているわけではありません。その点でも、ASOKOの方が少し奇をてらっている感があります。ふだん何気なく使う商品のラインナップがFTCより少ないのです。

この2店舗とは異なるコンセプトで、いまだ明治通り沿いに行列が絶えないのが『水曜日のアリス』です。「不思議の国のアリス」のキャラクター雑貨ショップですが、開店して1年くらい(?)経つはずですが、いまだに朝には入店整理券を配っているそうです。ところが奇跡的にまったく行列がない時間帯に遭遇し、中に入ってみました。

店内が狭いから、たくさん人を入れられないということは入ったらすぐにわかります。不思議の国のアリスの物語風内装は、よく見ると安っぽいですが、演出としてはありです。入口が洞穴に入るように小さい(かがまないと入れない)のも、物語の世界観の体現という意味ではいいのでしょう。どうせなら、入場制限のために前に立っている警備員さんの制服も警備会社のものではなく、白うさぎのコスプレなら面白いのですが、そこはディズニーランドではあるまいし、というところなのでしょうか。

ワンコンセプトショップの成功には、そこでしか買えない、体験できないという気持ちにさせる希少性の仕掛けをいくつ作れるかといったところだと思います。それにしても、ここのところムーミンといい、ピーターラビットといい、懐かしいおとぎ話や絵本の世界が注目を集め、ビジネスに生かされています。新しいキャラクターもどんどん生まれているはずなのですが、嗜好が多様化しているのでしょうか。一言で「かわいい」と表現する先に描かれている絵は様々なようです。


マイナンバーは買い物ではなく医療への活用を

2016-01-06 02:08:55 | マーケティング

見過ごせないニュースが飛び込んできました。

総務省、ポイントカード一本化を検討へ

思いのほか、マイナンバーカードを作る人が少ないので、総務大臣はその利権を持つ団体や企業から、何とかしてほしいと言われてしまったのでしょうか。ポイントに税金をかけるつもりではないか、と訝しる人もいるようですが、それは法的裏付けも含めて簡単ではないでしょう。

たぶん考えついた人は自分で買い物をしない人だと思います。世の中にTポイントカードとPONTAカードと、せいぜい各航空会社のマイレージカードしかなければ、制度設計上何とかなるかもしれません。主要カードだけで何社もが発行し、それぞれのカードがポイント単体、クレジット機能付き、プリペイド機能付き、会社によっては顧客の購入額に応じたステージ別に付与率が違うものがあるのです。

また、民間企業は個人情報に敏感で、名前とせいぜい電話番号だけでクレジット機能なしのポイントカードを発行してくれる店も多いのが実情です。顧客利便性ということもあるでしょうが、個人情報漏えいリスクを企業は負いきれないのです。ポイントの管理窓口を政府直轄機関に一本化すれば理論上可能かもしれませんが、そうなればポイントカードを要らないという人が増えるでしょうし、そんな政策に乗っかる企業はブランドイメージ低下を招きます。細かいことをいえば、個々のカードのデザインも、ブランドイメージに繋がる重要な要素なのです。

個人的にいえば、今持っているカードでなくなって困るカードは、キャッシュカードを除けば、交通系カードと汎用性の高いクレジットカード1枚で、TポイントカードとPONTAカードはやめても支障はありません。ふだん持ち歩く交通系プリペイドカードがマイナンバーカードと一体化したら、怖くてしょうがないという人も多いのではないでしょうか。私はそうではありませんが、毎日満員通勤電車に乗るので、紛失が怖くて定期券を1カ月ずつ買っているという人の話を聞いたことがあります。これがマイナンバーカードと一体化したら、おちおち酔っぱらっては帰れませんね。

もともとポイントカードというのは、企業が顧客にロイヤリティーを持ってもらい、囲い込むためのものでした。今でも百貨店カードなどは一部その目的で活用されているでしょう。やがて購買データを取ることの方が目的化しましたが、結局うまく活用しきれないまま、ビッグデータ時代に入りました。1企業グループレベルでは、オムニチャネル時代といっていいかもしれません。

ここにマイナンバー制度というそもそも性質の異なるものが入ってくると、コンシューマー市場におけるデータ活用は、時代と逆行し、マーケティング効果は期待できなくなると思います。グループ内オムニチャネル戦略で囲い込みを図ろうとしているセブン&アイなどは、どう対応するのでしょうか。

例えば、タバコ自販機の成人認証用にtaspo使用が義務化され、7年が経ちますが、マーケティングという意味で認められた効果は、taspo不要なコンビニでのタバコ販売が増加し定着したこと。半面、喫煙者も自販機も減り続けています。仮に喫煙者の傾向をデータ分析して何かに活用したいと思ったとしても、自販機で買っている人のデータしかとれないのです。タバコだからそれでいいかもしれませんが、ポイントカード所持率を減らしても、誰も喜びません。

いや、逆説的には、ポイントカード依存になりつつあった小売り・サービス業のマーケティングの形を変えるチャンスともいえるかもしれませんね。

ローソングループに入ったことで今後はわかりませんが、スーパーの成城石井にはポイントカードはありません。しかし業績は良く、私も結構利用します。本質的なサービスや品ぞろえ、人間味のある接客やプロモーションで勝負する中小の店が元気になれば、それはそれでいいかもしれません。

政府にはそんなことより、マイナンバー制度の医療活用を真剣に考えてほしいと思います。電子カルテと医療連携、おくすり手帳の電子化など、命を守り、無限ではない医療保障費や人材の効率活用を目指すために使われる分には、健康情報も重要な個人情報とはいえ、高齢社会においては必要なことと支持を得られるのではないでしょうか。


コメと水のマーケティング

2015-12-11 20:59:09 | マーケティング

水素水が体にいいらしいと、試しに近所のスーパーで3パック買ってみました。パウチの容器に500ml入ったもので300円台。ふだんは2リットル70円くらいのキリンアルカリ水で、しかもそのまま飲むか、コーヒー、コメを炊くときくらいにしか使わない私にとっては、安い買い物ではありません。フィットネスクラブに持ち込んで飲んでみたら、水は水。体への効果はいったいいつ実感できるのか、見当もつきません。

水が良い日本で、ここまでミネラルウォーター類が売れるようになるとは、一昔前には想像もつかなかったことです。私の母親世代くらいの知人は、スポーツをしているときでも、ペットボトルの水を買うのはばかばかしいとお茶にします。スポーツにお茶はよくないはずですが、水を買うという価値観に付いていくほうが困難なことのようです。もっとも、お茶も昔は家で茶葉から淹れるもので、ペットボトルで買うものではなかったはずですが……。

水道から出てくる水もただではありませんが、ライフラインであるエネルギーの中で日本では最も安く、質もいい。にもかかわらず、別に買う人が少なからずいる一方で、日本の主食であるコメは売れなくなっています。

少子高齢社会と食生活の多様化が要因とされており、それは事実なのでしょうが、いくらコメを生産しても、それだけで潤うどころか、コメの生産1本では生活ができない構造にも問題があります。コメを生産している農家の多くは、勤め人との兼業かリタイア後の高齢者。農業専業であっても、畑もやり、ほかの作物を作っています。先進的農業とされ、株式会社が参入したり、農協との関係を最小化し、需要家との直接取引で一定の利益を得ているケースのほとんどはコメではありません。野菜や果物、甘草(薬用植物)など、設備次第で年中生産ができたり、高付加価値(利益が高い)であったりするものしか、コストパフォーマンスがよくないわけです。

農協の存在を批判するのは簡単ですが、ことコメの生産に関しては、農協なくしてはよけいに立ちゆかないでしょう。設備投資のための金融機能や天候リスク、販売先の担保を1軒の農家や、小規模な農業生産法人だけが担うのは難しく、ましてや従事者の平均年齢が60代とされる農業の担い手にそれを求めるのは酷だと思います。

一方で、少子高齢社会を前提としなくても、国が豊かになり成長していく過程で、徐々にコメの1人あたりの消費量が減っていくことは、予測できたことのはずなんです。すでに私が子どものころから、多くの家庭で朝食はパン食でしたし、給食は今の方がむしろコメが出されていますが、当時はパンでした。昼食はうどんやそば、パスタ、3世代同居ではなく若い両親だけの家庭では、夜もむろん毎日ではないにしても、お好み焼(関西ですから)という家庭もありました。要するに、人間が生きるための必要カロリーは、いまも昔も変わらないわけですが(むしろ、体を使わない分減った?)、食が豊かになれば分散し、摂取カロリーをコメに頼る比率が減るのは、自明の理です。

コメの流通を担う役割の人や地域が無策だったわけではないでしょう。コメを原料としたパンや化粧品など加工品の販売、もともとコメが材料である日本酒も国内ではダウントレンドのなか、海外に活路をみいだすなど、様々な取り組みが見受けられます。

しかし、コメを日本の和食文化の原点として、持続的に国内で守り、広く海外に発信していくためには、生産者が生産意欲を持てる生産流通システムに再構築する必要があると思います。それはTPPに反対することでも、逆に何が何でも外国でコメを売ろうとすることでもなく(後者は大事なことの一つかもしれませんが)、次世代の農業従事者が高いモチベーションでコメづくりに取り組める仕組みづくりだと思います。

高いモチベーションとは、何も崇高な精神を求めることではありません。開発途上国では、新興国であってもそうですが、食べる物を生産している人が一番食べられない、つまり農家が一番貧しいという状況になっています。日本も昔はそうだったのではないでしょうか。しかし、いま辛うじてそう言いきれないのは、農業技術が進み、お父さんが別の職を持っても、作物は出来上がるからでしょう。本質的に生産者が豊かになったわけではありません。

最近になってようやく日本の企業は、顧客至上主義から、従業員満足を高めることが顧客満足に繋がるという考えにかじを切りはじめています。コメのマーケティングを考えるうえでも、生産者がコメ生産で生活が成り立つようにならなければ、いいコメを作りそれを売るために何をすべきか考えることはできないでしょう。そればかりか、後継ぎなく、休耕田は増え続ける状況に歯止めをかけることはできないと思います。