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ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

歴史に心を向けること

2006-11-25 03:59:09 | テレビ番組

今夜フジテレビで「遙かなる約束」というドラマが放映される。このドラマは実話をもとにしており、主人公のモデルであるご夫婦、そしておそらくロシア人の女性もご健在なはず。実はこの話のもとになっている「クラウディア奇蹟の愛」をモチーフに以前舞台も上演されていて、観にいっていたから番宣でピンと来た。その時は今回阿部寛さんが演じる役を佐々木蔵之介さんがやっていた。ちなみに「慣れているからどう?」と言われたわけではないだろうが、今回も脇役で出るようだ。内容はこれからの放送なので何だが、日本人男性のシベリア抑留の話である。他のケースと大きな違いは、いわれないスパイ罪のために負うことになった日本帰国までの果てしない長さで、帰国は1990年代後半ということだったはず。舞台では原作に忠実(多分、原作のタイトルから憶測)に、クラウディアと主人公の関係が中心だったが、おそらくドラマではキャスティングやタイトルから考えて、長年帰国を待っていた久子さん中心に描かれるのだろう。

いずれにしても、壮絶な人生を感じると同時に、一人の人間の崇高な生命力に気づかされる。少し前に歴史の履修が問題になっていたが、まさに一人の人の人生を通した近代史の一端をどういう形であれ、知ることは悪くないと思う。歴史を知ることは、単に世の中や国際社会で恥ずかしくないようにということだけでなく、先人や他者に畏敬の気持ちを持つことや、自分の命そのものの意味を考えることにもつながる。

先週の「東京タワー」も、続編製作が決まったALWAYS~三丁目の夕日」も、どちらも名作だとは思うけど、最近メディアが映画、単発、連ドラと、繰り返し製作しブームを作り出している作品は、ちょっと近視眼的すぎるきらいもある。いま、40代の人の半生や昭和30年代に揃いも揃って郷愁を感じるのは早すぎないかなぁ。まあ、別に戦争に関連するものを好んで観る必要はないけれど、よく巷で言われているアメリカと戦争したことを知らない子どもが多い(中国だと思っているらしい。まったくの間違いじゃないが、そういうことじゃなく単なるイメージで勘違いしているのだろう)とか、そもそも日本が戦争をしたことを知らないとか、それが本当だとしたら、それは笑いごとではない。

経済的な格差社会も問題かもしれないけど、心の格差の方が取り返しはつきにくい。

追記:「遙かなる約束」のドラマそのものがそんなに良いものかどうかは、当然ながらまだ観たわけではないのでまったくわかりません。観たのは佐々木蔵之介が特殊メイクなしのサラサラヘアで、80歳くらいまで演じ続ける舞台だけです。


はまりモノにご用心

2006-07-28 07:10:39 | テレビ番組

LOST シーズン1 COMPLETE BOX

仕事以外の行動範囲が最近妙に狭くなっているような…。W杯、ウィンブルドンに続き、寝不足も続いている。その理由はドラマ、しかもUSドラマに捉まっている。USドラマはツインピークス(←懐かしい)以降避けて通ってきた。なぜなら日本の連ドラの倍以上をレンタルDVDで見続けるのは拷問に近い。

ところがひょんなことから、「プリズン・ブレイク」を借り、面白いのだけど監獄モノは暗いんだよと、ちょっとずつ観続けたうちはまだ良かった。LOSTを観始めて止まらなくなった。

LOST」はテリー伊藤とデーブ・スペクターがCMをしている、無人島のサバイバルサスペンスだ。さまざまな職業、生き方、人種の人々が航空機の事故をきっかけに、無人島に漂流する。最初は大人数の群像劇的設定(生き残るのは48人!)に、登場人物が覚えられるのか不安だったが、まったくの杞憂。それぞれが個性的なうえ、事故前の回想シーンも入り、この人は指に変な印をしている、刺青をしているなど、特徴を捉える演出もバッチリ。何よりも人種、国籍にも違いがあるので、同質化しない。白人、黒人はもちろんアラブ系、極東アジア代表では韓国人夫婦も。それなのになぜかフランス語のわかる人が1人(しかもかなり初級)しかいないのも変だ。こうしたことから単なるアドベンチャーミステリーというファンタジーの要素だけではなく、微妙な人種間、国家間の諍いや言語の違いによる意思疎通の難しさやおかしさなども描かれていて飽きない。

ドラマの中の人物描写は、その人が帰属している日常(家族や職業など)をベースに、話を進めがちだけど、無人島では兵士であっても戦争はできないし、オフィスワーカーであってもパソコンに向かうことはできない(医師の主人公だけは治療をするけど)。同乗者以外の家族や友人と話すこともできない。でもそうした具体的な日常的行為を奪い去ったなかで、一人ひとりの人物の個性を描いているところが興味深い。余談だが、撮影はすべてオアフ島らしい。これを知ると、現実に引き戻されるが、ロケ地ツアーは簡単そう。

最近ハリウッド映画がつまらないと思い、ヨーロッパ系や国産のものばかり観ていたが、こんなところに掘り出し物があるとは思わなかった。

でも長い、長すぎる。既に10話以上観ているので、日本の連ドラなら終わっているが、これはまだ核心にすら近づいていない気がする。それなのに「デスパレートな妻たち」も8月下旬からレンタル開始…ああぁ。

*こっちも↓ でも買うと余計眠れなくなるかも。

 この商品は送料無料です。 ウェントワース・ミラー/プリズン・ブレイク DVDコレクターズBOX1


オンナはいつの時代もオンナ

2006-05-03 00:08:03 | テレビ番組

TOYOTAMARK-Xが何とも艶っぽい広告展開をしている。アレを見て、車には関心がないのに、HPを見てしまった。いくらくらいで誰をターゲットにしているのかな…と思って。

CMは佐藤浩市(部長)と部下の女性を描いた、見ようによっては何の変哲もない内容。あの「夢は、一生部長の部下でいること」ってヤツ。アレ、キャスティングには相当気を遣ったと思う。トヨエツや寺脇さんじゃ、生々しすぎてそのままどこかに行ってしまいそうだし、唐沢・江口の白い巨塔コンビはまだ若い。中井貴一は一歩間違えば堅くなるし、高田純次じゃ冗談にもならない。何よりもスキャンダラスでなく男女いずれにも支持され、それでいてあのスレスレの際どさを出せるのは、佐藤浩市をおいて他に思い浮かばない。

私の知る限りではあの社内不倫一歩手前の技は、女性には結構評判がいい。自分の上司と佐藤浩市を比べて嘆きとも、溜息ともつかない印象を語っていた人もいる。女が主導権をとるようになったとか、強くなったとか、世間では言われているけれど、女は何も変わっていない。いつの時代もかっこよくて頼りがいのある強い男に魅かれるもの。むしろ働いている女性ほどそうではないかと思う。一見古めかしいTOYOTACMが描く世界は、実は今の時代に漂う空気なのかもしれない。まったくアプローチは違うが、以前放映していたTOYOTAホームの父親を頼って帰ってくる独身キャリアのバージョンも突き詰めれば同じかな。

女性を取り巻く環境はそれほど変わっていない。権利が拡大し、選択肢が増えたが、例えば選挙権や働く権利は考えればない方がおかしい類のものだ。それでも今も、企業の会議に出れば特別なコンセプトのものや女性主体の会社でない限り、出席者の多くは男性だし、実学系・理工学系の大学の学生も男性の方が圧倒的に多い。でもそういうことがすごく不満だという女性の方が実は少数派で、オンナはオトコにもっと強くあってほしいと考えている。少子化の原因は、女性が子どもより仕事をとっているわけではない。ただ、結婚しなくても仕事があるから生きていけるだけ。

変わったのはむしろ男性社会ではないかと思う。男に圧倒的強さが求められた戦時下から高度成長期と、現代は、女性を取り巻く環境以上にギャップがあるものではないだろうか。だから何となく、男と女がかみ合わない時代になっている。

ところでMARK-X。あのCMを観て、男性は買いたくなるのだろうか。買ったら奥さんには疑惑の目か冷ややかな目(←どちらになるかは男性次第)を向けられ、部下のOLには失笑されるということがなければいいが…。


SMAPの“Triangle”と、もどかしい気持ち

2005-10-28 01:01:25 | テレビ番組
●SMAPTriangleCD(2005/11/23)
戦争そのものについては、イデオロギーや宗教観、国家観によって、意見は一様ではないかもしれない。けれども子どもが飢えて生きていけない現状や、銃口が一般市民に向けられる地上戦や市街地への爆撃を喜ぶ人はそんなに多くないはず。

ホワイトバンドに対する批判の声の方が大きくなっていくにつけ、この商品や行為そのものへの賛否がどちらかということより、多くの人が300円出して買った時の気持ちの置き場所を失うことの方が問題だと思う。あのブレスが寄付につながらないことを知らない人は多かったようだが、活動の本質的な意味を知らずに買った人は少ないはず。だからこの世界で起こっている“ほっとけない”事実に、何も手を差しのべられないと思っていた人々の“もどかしさ”を呼び起こし、ブレスを買うという行動につながった。ここまではキャンペーンは成功だったわけだが、多くの人々の持っていた常識感覚への理解の欠如が非難の種となった。普通の常識感覚だと、ああいうものは買えば全額かそれに近い金額が寄付に回る、あるいは支援される側の国で生産され、その収益が弱者に配分される、というストーリーを描いてしまう。

人は人に役立つことで幸福感を感じるということがある。だから世界の人々が抱える問題をもどかしいと思い、何かをしたいと思うことは自然な人の心の流れだし、それが何らかの形で裏切られたと思った時、失望するのも当然のこと。でももし直接寄付をしたいなら、いくらでも他に方法はあるし、お金を出さない貢献もある。ボランティアでなくても、仕事で役に立つということもある。それをかなえるための情報はいくらでも流れている。ホワイトバンドを知る情報収集力があるのなら、それ以外の情報もいくらでも拾える。今回の失望の先に何も残らないのなら、それこそホワイトバンドは何だったのかと思う。

今になってこんなことをふと思ったのは、SMAPの「Triangle」にリクエストが殺到してリリースされることを知ったから。この曲には「世界に一つだけの花」以上に、直接的な反戦メッセージがある。もちろんSMAPのPR力、SMAPだからこそ、ということが言えるけれど、この曲のリリースの実現に声を出した人の心の中に、世界の出来事に対する「もどかしさ」を多少なりとも抱えていることも影響しているのでは…と感じた。

ホワイトバンドのキャンペーンで呼び起こされた「もどかしさ」の灯の行き先を示すのが、情報公開の次に求められる責任だと思う。


階層格差ドラマなの?

2005-08-21 18:49:42 | テレビ番組
ドラゴン桜(1) ドラゴン桜(2) ドラゴン桜(3)
今クールの連続ドラマでは、『女王の教室』『ドラゴン桜』がおもしろい。片や舞台は小学校、片や高校だが、この2つのドラマのテーマには共通項があると感じていた。この共通項を本日発行の「日経マガジン」は、「階層格差ドラマ」と評していた。

歴史的、政治的、宗教的背景で、生まれたときから決められている超えられない壁を階層というのなら、それは忌むべきものかもしれない。自分の努力で何かを成し遂げて資産を得ている人、地位を築いている人が、社会的に高い階層を得るのは悪いこと?努力して勉強した人、商才のある人、才能のある人、運の良い人と、そうではない人が同じ経済的結果しか得られない状態なら、自由経済でも資本主義でもなくなってしまう。

『ドラゴン桜』は家庭が経済的に恵まれていない子も含めて、東大を目指している話だし、『女王の教室』は舞台が公立小学校なので、やや親の経済状況に対して差別的な視点も出てくるが、それでも弱者が不幸になるという設定ではない。むしろ子どもの意思で自分の幸福感を求めているように描かれている。

現実社会では東大を卒業した人や親の経済状況や地位が高い人が、すべて財を成し、幸福になっているわけではない。そういう意味で現実の方が厳しく複雑なのかもしれない。でも子ども時代に「努力すること」「自分の意思を持つこと」「目標を持つこと」「目標がわからなければ、とりあえず勉強をしておくこと」は、悪いことではない。

政治家やコメンテーターのなかには、「お金で何でも買えると考えている人間」と成功した起業家に対して蔑むようなことを言う人がいる。当人が気に食わないということもあるだろうが、何だか経済行為を下に見ているような古めかしさがある。100歳で亡くなった明治生まれの祖父は生前、スーパー(当時日本最大のスーパー)でパートをする母が「私はこんなに安い賃金で働いて、オーナーに搾取されている」(←こんなに理路整然とは愚痴っていないが)と言うのを聞き、「金持ちがいるから(庶民が)働く場がある」と言った。長寿だっただけで、金持ちでも有名でもない普通のジイサンだったが、よほど真実に近いし、現代でもなお理にかなっている。