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ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

目標数値の無情

2008-01-17 02:08:00 | テレビ番組

1228日(金)午前中に事務所に1本のセールス電話がかかってきた。業務用コピー機の販売代行会社のようで、リースでも買い取りでもいいというが、年末に勢いで決められるほど安いものではないし、そもそもうちには分不相応な製品なのだが…。年末ギリギリに数字をあげたいという営業マンの必死さが電話の向こうから伝わってきて、気の毒になった。もちろん断ったが、仮に相手が私でなくても、年明けて落ち着いてからアプローチしたほうが明らかに相手は聞く耳を持つだろう。しかしおそらくその会社では年内に数字を挙げることに大きな意味を持たせ、セールスマンにプレッシャーをかけている。

まったく話は違うが、年賀状に4億枚もの売れ残りを出したらしい。民営化最初の年始を迎え、年賀状の広告にも力が入っていたが、e-mailやケータイなどの代替手段や、そもそも出す枚数を減らしている企業や、出さなくなった若い人などの増加傾向は変わらず、総数ダウンに歯止めがかからなかった。4億枚をどうするつもりか知らないが、さらに日本製紙の古紙配合偽装疑惑まで出てきて、環境面でのイメージダウンというオチまでついてしまった。

大晦日の紅白歌合戦の視聴率低下も毎年のように話題になる。

個人的には年賀状にも紅白歌合戦にもアンチの立場ではない。年賀状をe-mailに変えるつもりもないし、紅白はまあどうでもいいけれど、それでも民放のバラエティや格闘技と比べれば悪くない(特に今年は良かったと思う。全部観ていないけど)。儀礼的や陳腐化との批判があっても、脈々と続くものには新しいものに簡単に真似できない価値もある。

一方で年賀状を面倒と思う人が増えたことも、大晦日に家庭でテレビを観る以外のことをする人が増えたことや、多チャンネル化の波も止めようがないトレンドだと思う。もちろん提案の仕方や番組づくりで多少の底上げは可能だろう。しかし時代は逆流しない。数字だけを闇雲に追いかけても、空虚感が残る。目標値は一歩間違えば無計画につながる。冒頭のセールスの人も、仕事納めの日にコピー機を導入する検討をしそうな企業を(仕事納めに関係なく普段どおり働いている職種はあるだろう)ターゲティングして攻めるか、あきらめて年明けに2倍売ることを考える方が建設的。売上にしろ、視聴率にしろ、数値目標を持つことは重要だけど、それだけではかなわない現実もある。


ローティーンのしょこたんワールド

2007-12-08 16:16:15 | テレビ番組

最近では以前に比べて、加齢とともに味覚や趣味が歳をとらないようになっている。つまり極論すれば、日本人の精神年齢は低くなったという人もいる。

ところがやっぱりローティーンとなると、隔たりというか、理解不能な世界観があると思ったのは、ローティーン向け雑誌を読んだ時。テーマとされているもの、つまりファッションや恋、アイドルの話などは、そんなにオトナが読むものと乖離していない。むしろオトナと変わらない印象。ところがそれを表現する言葉がよくわからない。また誌面構成、デザインも、ごちゃごちゃしていて、オトナが見るとかなり疲れる。

でもよく見ると誌面上のわけのわからない言葉は、しょこたん語だったりするわけで、元は商流の中の大人の都合で作られ、広められたものだ。もちろん自然発生的にできた若い人の表現をメディアがとり入れているケースもあるだろう。でもそもそも雑誌や商品を作っているのは、大人であり、その結果こうした商品がリアルなローティーンと隔たりがあるのかないのか、それは私にはわからない。案外リアルな子どもたちは、こういう大人が作った擬似世界をバカにして、自分たちの価値観で自分たちなりの世界を持っているのかもしれない。

とはいうものの、今の子どもたちが圧倒的な数の(大人が作った)メディアや商品の中で生きていることは間違いない。もちろんそこから何かを選び、何を生活や自分の成長にとり入れるか、選択の手助けをするのは親や教育者なのかもしれないが、商品を製造したり情報を発信したりする大人もまた、子どもの選択に無責任であってはいけないと思う。それは別にまじめに正しい日本語だけを使った雑誌を発行することでも、遊戯色の強いゲームや玩具の発売を止めることでもないとは思う。子どもの成長に必要なものは学業だけではなく、感性を磨き、同世代の子どもたちとコミュニケーションを図ることもあるのだから。

しかしその頃合が難しい。流行のコンピュータゲームの存在を完全に否定しにくいが、子どものゲームのやりすぎに困っている親は多い。携帯電話のように月ごとの使用上限付きのゲームを作ったら案外親はそれを選ぶかもしれない。実際に学習系のゲームソフトを数多く出している任天堂は成功している。企業や企業が行うビジネスと、社会活動との密接性が求められ、企業の責任を問われる時代になってきているが、意外と製品づくりそのものの中でも考えるべきことはあるように思う。

※Xboxでは可能になるそうです


神の雫

2007-05-23 00:22:43 | テレビ番組

久しぶりにマンガを読んだ。10年以上ぶりに手にとったのは「神の雫」。何でもこのマンガ、韓国で大人気らしく、当地のワインマーケットに多大な影響を与えているということ。特定のカテゴリーのモノを売り、市場を変えるマンガのパワーは侮れない。「喰いタン」が食育といわれても、いまいちピンとこないし、マイ箸が革新的に普及したとも思えない。過去のマンガを考えても、キャラクターグッズなどの関連商品が売れることや、テーマになったスポーツが流行ることはあっても、特定の商品カテゴリーの物販に多大な影響を与えた作品というのは意外に少ないのではないだろうか。もっとも私が知っているマンガの数がたかが知れているので、この解釈は間違っているかもしれない。

内容はワインのうんちくを語るワイン版「美味しんぼ」といったところか。偉大なワイン評論家の父親に反発する息子というところも似ている。ただ、こちらのお父さんは第1巻で亡くなってしまう。

ちなみにまだ最初の数巻しか読んでいないので、そのレベルでの感じでしかないのだが。

韓国のワイン市場は、未開拓だったという。最近日本酒は人気があるらしく、スーパーなどでも普通に売っているらしいが、ワインは値段が下がっておらず、種類も少ないらしい。ワインブーム以前の日本のような感じ?ところがこの「神の雫」が大ヒットした影響で、ワイン市場が活性化しているらしい。日本でもこのマンガに出てきたワインはよく売れるというが、影響力の大きさは日本の比ではないようだ。

折りしも日本発で「国際漫画賞」なるものができるらしい。やや、いやかなり悪乗りの感もなくはないが、確かに日本で良質といわれているマンガは意外とまじめな内容のものも多い。今テレビでやっている「バンビ~ノ!」は今時やけにきまじめで根性のある主人公が出てくるし、「デスノート」は一歩間違えばヤバイが、実はテーマが深い。「NANA」は描かれている世界観や登場人物たちの心の動きが、私が若い頃と大して変わらない。書き手が大人だから、私が知っているのが有名作品ばかりだからと言ってしまえばそれまでだが、意外に世の中には変わらないものも多くあるような気がしている。


これぞ、ロケーションボックス?

2007-03-23 12:36:33 | テレビ番組

随分前から地域活性化の一つの手段として、ロケーションボックスが定着してきている。秋田の角館などが有名だが、東京もご他聞にもれず、ハリウッドなど外国映画のロケ地として積極的に開放する動きにある。

でも現実には万人向けのNHKの大河ドラマや、先ほど終わった「華麗なる一族」並みに視聴率がとれるものでもない限り、効果は限定的なものになりかねないのでは?それこそツインピークスマディソン郡の橋(←例が古すぎ?)のように、名もない田舎町が外国からも人を呼べるぐらい、大ヒットすれば別だが…と思っていた。

でも最近DVDUDONを観て、ちょっと考えを変えた。『踊る大捜査線』の本広克行監督が似たようなメンバーで撮った、しかもフジテレビが製作した映画だ。映画としては超駄作という評価を得ても仕方がない、何だか陳腐な話だった。さぬきうどんが素材なので、ロケ地のほとんどは香川。

見方を変えて、これを香川の人や四国がふるさとだという人が観たら、また異なる思いがあったかもしれないと思った(違うだろっという意見も含めて)。私自身四国は一度しか行ったことがないので、実際のところはよくわからないけれど、全編を流れるあの風景そのものに大きな嘘はないだろう。そして端役に大物キャストが顔を出しているが、その多くが香川出身者。ちなみに監督自身も香川出身。古臭い言葉で言えば故郷に錦を飾ったということだろう。普段日の当たることが少ない、全国でもっとも小さな県に存在する事実。その事実は風景であったり、うどんであったり、無名のタウン誌だったり、あるいは市井の人々であったり、都会に出て成功した著名人(俳優や監督)だったりするわけだが、そうしたものを結集して一つの映画ができているとも言える。しかも映画ファンに駄作と思われようが、メジャーがつくっていることもあり、かなり多くの人に観られている。

ロケーションボックスは、何も観光集客によって地域が潤ったり、地域の知名度をあげたりするだけのためにあるわけではないのかもしれない。その土地に思いを残している人たちの郷愁や誇りや、愛情を刺激するということも一つの大きな役割といえるかも…。でもまあ、わざわざ劇場で観なかったから悠長なことを書いているのかもしれない。正直、映画としては、もうちょっと何とかならなかったものだろうかという思いは、一方ではある。

ところで余談だが、私の出身地は山村美紗の影響と時代劇が多いので、よく人が殺される。それと不倫旅行のロケ地にもなる。「不倫と殺人=京都」、ロケーションボックス、おそるべし。


納豆の受難

2007-01-21 17:08:43 | テレビ番組

私は納豆を食べないが、関西人だと言うと納得される。でもヤンキースの井川投手(茨城出身)も嫌いらしい。流通が発達した現代において、居住地とモノの好き嫌いとの相関関係は薄れ、あえて言うなら市場のアプローチのしかたがその差を生み出しているのかもしれない。今は健康ブームの関係もあり、さらに増えているかもしれないが、私がまだ関西にいた頃も納豆は売っていたし、食卓にものぼっていた。寿司屋に「納豆巻き」もあった。でも確かに関東ほど種類は豊富ではなかったと思う。

『発掘!あるある大事典』実験結果の捏造は、関西テレビ管理下で行われ、さらに納豆の品薄状態も関西で顕著だったというから皮肉なもの。販促としてはこれ以上のものはなかったということだろう。

今回の件、放送倫理に鑑みて良くない、視聴者への裏切りというのはもちろんだが、結果的に納豆やこれまで放送で紹介してきた真っ当な食品を愚弄することになったと思う。納豆嫌いの私が書いても説得力がないが、納豆は本当に体に良い食品だし、納豆は何も悪くない。私はこの番組を観ていなかったが、おそらく人気の秘密は、そこいらで簡単に手に入る食品やその他の方法で、ダイエットができたり、健康になれたりする情報を提供してきたことにあると思う。そのコンセプトは良いのだが、長年続けているうちにネタが枯渇したとしても仕方ない。そもそも今さら健康食品の代表格の納豆を真正面から取り上げること自体、ネタの枯渇を暗示していて、「数日間でダイエット効果確実!」みたいなセンセーショナルな見出しをつけざるを得なかったことも想像に難くない。

結果的には納豆の流通をいたずらに翻弄し、勝手に納豆のイメージを貶めた。現実はどうであれ、納豆業界がかかわっていたのではないかという疑念すら生む。もちろん視聴者もさすがに納豆そのものが悪いとは思わないだろうが、ほんの少しのマイナス効果もマスメディアを使って束になれば影響力が増幅する危険性がある。

でもまあ、こうなってしまった以上は、これをきっかけに納豆を食べるようになった「食わず嫌い」だった人たちをつなぎとめておく努力を納豆業界は自助努力という発想も大切だと思う。プラス・マイナスゼロか、さらにプラスになれば、納豆業界の傷は浅くて済む。

ところで『あるある大事典』の時間帯は、在宅率が高く視聴率激戦区だが、次は何を持ってくるのだろう。まったくの余談だが、私は今クールTBS例のドラマを観ている。原作を期待してだが、1回目はややかったるい進行だった。小道具の亡くなった先代の肖像画には、吉本新喜劇の小道具みたいで笑えたし(いくら鉄平に似ていると言っても、ちょっとやりすぎ)…。フジテレビの『白い巨塔』が良かっただけにどうしても比べてしまう。そのフジテレビ系列が裏番組で不祥事というのも何だか皮肉なこと。