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ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

オバマ時代の『24-TWENTY FOUR-』

2009-07-12 23:14:54 | テレビ番組

『24』の最新シーズンのレンタルが開始になったので、3巻(6エピソード)を観た。大統領が女性になっていて、しかもなんとなくヒラリーさんを意識した女優なのはご愛嬌。黒人大統領は先取りして、早いシーズンでやっているのでバランス的にはしょうがないのではないかと思う。

それよりも気になったのは、心なしか、今のところ出てきている捜査関係者が概ね紳士的で遵法精神が高いこと。

確かにグアンタナモ米軍基地問題が告発、映画化までされ、オバマ大統領が閉鎖を支持・署名しているなど、米国の行き過ぎた軍事行動やテロ対策への風当たりが強い。その中でフィクションとはいえ、極端な拷問の描写がしにくくなっているのは、今のアメリカの世情の表れかもしれない(ジャック・バウアーは不満そうだが…)。

しかし一方でアメリカという国に良くも悪くも大いなる誤解を与えそうな、滑稽なまでの国への高いプライドは鳴りを潜め、普通のドラマに見える。拷問ありき、極端な国家への忠誠ありきのドラマでは最初からないとは思うが、ヤワで小粒な印象を全体から感じ、何がしたいのかわからない、登場人物が所在無く感じた(たった6エピソードの感想だけど)。単なるドラマ自体へのマンネリ感だけでない、何かを感じる。

日本では時代劇ブームという現象と同時に、ほんの少し前の歴史、つまり戦後から先の過去を描くドラマや映画が最近目に付く。この前始まった『官僚たちの夏』(TBS)、10月からは『不毛地帯』(CX)、『沈まぬ太陽』も映画化されるらしい。結構前だが、『黒部の太陽』もスペシャルドラマで放映されていた。一時期もてはやされた『ALWAYS-三丁目の夕日』的ノスタルジーではなく、硬派なものが多い。混迷の中、政治だけでなく経済にも国家観がより問われているということか。日本も米国も。どうしても日本の場合、過去に力強さを感じる。創らなければならないのは未来だけど。


地デジの普及率

2009-04-26 01:32:22 | テレビ番組

今年1月の時点で5割に届いていなかった地デジの普及率。にもかかわらず、春から地デジ対応に変わった新聞のテレビ欄。広告予算削減の折、テレビ番組がつまらなくなったという社会の声と、その現実に、しびれを切らした政府が打ち出したエコポイント。しかし今回のしょーもない騒動で、たくさんの販促品を全国でムダに捨てる事態に。一方で地デジ対応テレビのハードを買えばエコポイントか(厳密には意味が違うけど、結果そういうことにつながる)…という皮肉。挙句に頭に血が上り空気が読めなすぎる発言をした監督官庁のトップに対しては死神は言い過ぎだけど、疫病神とくらいは言えなくない。全国に大勢いるタレントのファンに加えて、日ごろから酒癖が悪くいろいろ身に覚えのある大人たちまで怒らせる結果になってしまった。SMAPからはもっとも遠かった酒飲みのオジサン層にまですっかり親しみを持たれてしまった彼だけは、本当の意味で国民的アイドルになったかも。

まるで地デジ反対派に仕組まれたかのような負のスパイラルだが、このまま決定的な打開策もなく2011年を迎えるのも、多少なりともメディアにかかわっている以上不安もないわけではない。例えば携帯電話やビデオ、もっと言えば最初にテレビ受信機が登場してきた時のようにゼロから普及率をあげていくのと、既に同等の機能を持ったものが限りなく100に近い普及率を遂げている中で、それをひっくり返していくのでは明らかに後者が難しいと思うが、その読みが甘かったのかもしれない。

うちには2台テレビがあり、小さい方の1台はアナログのままだ。1台を比較的早く変えたのも、住んでいるマンションの構造上、テレビを買い替え、カードを差し込むだけで観られる手軽さからで、もしそれがなければいまだにアナログだったかもしれない。

普段忙しく働いている人は、普通はそんなにテレビを観ることはないだろう。1世帯あたりの人数が減っている上に、1人1台の時代。テレビ好きのお年寄りのためにデジタルにしましょうとか、家族で観るからテレビくらいは買い替えましょうとか、そんな世の中ではない。うちのように家の中のすべてがデジタル対応に切り替わっていないという家庭もあるだろう。政府は生活者のライフスタイルやニーズを見誤ったというか、最初から見ていなかったというか…。せめてテレビ局やメディアにかかわる人たちは、単に広告をどんどん打つということだけでなく、観たいプログラムをつくることで生活者の気持ちを引き付けないと本当にテレビは危ない。

テレビがダメ、新聞、雑誌、本も売れない、インターネットの情報は種々雑多で情報の受け取り手からお金をとりにくい…。それではICT化や情報化社会といっても、実態や中身が希薄すぎる。この際だから、下手に地デジの延期などという小細工をせずに、すっきりテレビの普及率を6~70%くらいに落としたところから、次代のメディアや情報流通のあり方を考えたら良いかもしれない。案外、スポンサーではなく情報の受け手がお金を払ってでもほしいと思う情報が真っ当に流通する形に変化するかもしれない。実際に今でも有料放送を受信したり、本や雑誌、新聞をお金を払って買うという行為自体がなくなったわけではない。出版不況とはいえ、本や雑誌はどんどん出ているし、有料放送契約者は増えているようだ。

情報の質は、世論の質に直結する。さらには社会の質にも影響する。以前は裕福でなくても、親は子どもに本を買って読ませたし、1紙くらいは新聞をとっていた。その頃からテレビもゲームもあたりまえにあった。ただインターネットやケータイがなかっただけで、一人ひとりが受け入れる情報量は多様で、奥行きもあったような気がする。今はネットがなくてはもはや生きにくいが、ネットだけでも生きられない。結局情報リテラシーとはネット社会への対応力ではなく、個人が情報媒体やその中身を取捨選択し、自らも考える力をつけていく能力だと思う。テレビも取捨選択の対象で、人に必要な最低限のインフラではなくなっているなら、地デジ前のテレビの普及率を超えることはない。


買い物の投資効果

2008-10-30 00:33:37 | テレビ番組

ある大学のマーケティングの先生が雑談の中で言っていた。普通に働いたり勉強したりしている一般の人が、普段の生活の中、そのときの気分で、例えば買うつもりのなかった洋服やマンガの本を買ったところで破産をしたり、その後の生活に大きな支障をきたすことはないと。つまりと、言い換えるほど複雑な話ではないが、衝動買いやちょっとした無駄遣いはなんら生活や人生に悪影響を与えないということだ。一方で、日本には「チリも積もれば山となる」とか「一円を笑う者は一円に泣く」とか、無駄遣いを戒め、節約を尊ぶ精神もある。どっちも間違いではない。

なんとなく世の中の空気や、マスコミの景況に関する論調で、気分が滅入る昨今では、後者が真っ当であるという気もするが、適当にお金を遣える人には遣ってもらわなければ消費は伸びないし、みんなが財布の紐を締めては少子高齢化の今、内需拡大など夢のまた夢という考え方もある。

しかしふと我に返って、生活者としての自分が最近何か大きな買い物をしたか、何か猛烈に欲しいものはあるかと問われれば、日常的な買い物や必需品を除いては、バスソルトとか、WOWOWに加入したとか、ネイルサロンに行ったとか、そんなレベルだし、我慢できないほど欲しいものも別にない。一生活者の立場では、買い物は義務ではない。モノが売れないことについて不況を言い訳にすることは簡単だけど、そこを解決しないと消費の活性化は難しい。実際に普通に働いている人たちの中で、ここ数ヶ月で急に逼迫している人はそんなにいない。今後影響があると漠然とした不安はあるだろうが、なるようになると思っている人も結構多いのではないか。

そんな中でもやや暴論ではあるが、今、食と住分野以外に、消費の「ニーズ」というもの自体存在しなくなっているような気がしてくる。かといって、一時期言われた「ウォンツ」でもない。もはや買うという行為には、投資効果を求めるか、あるいは徹底的に快楽を求めるか、どちらかではないかと思う。中途半端なものを売るのは難しい。前者で言えば、ダイエット(メタボ)関連商品や教育的投資(子どもにだけでなく、自身の習い事やボランティアも)など、後者はアキバ系消費みたいなもの。それらは今必要なものでも、厳密に言えばほしいものでもない。前者は自己あるいは子どもの未来への投資であり、後者は習慣化した快楽だ。後者はウォンツに近いが、昨日まで興味がなかった人が急にレアモノのフィギュアをほしがりはしない。関心と消費を積み重ね、習慣化させるという意味で、瞬時に感じる「ほしい」という感情のように簡単ではない。

知力や体力、健康や美に投資し、貯蓄することは、1円の節約より意味があるかもしれない。もちろん買って終わりのものは少なく、消費者側の努力や根気が必要なものがほとんどだが、供給側も投資効果の高い銘柄を提供しなければ買い手はひきつけられない。例えば教育の技術や環境がお粗末な英会話学校ではしょうがないということで、一人ひとりの顧客との末永いお付き合いが大事になる。快楽型の消費もそういう意味では同じで、すぐに飽きられるようではサブカルチャーは形成しない。


アメリカの魅力という幻

2008-10-08 00:36:24 | テレビ番組

今朝のテレビ番組の受け売りなので、真偽のほどはわからない。でもCXの朝のワイドショーがウソでなければこういう話だ。問題の数日で改正され、議会を通過した金融安定法案の改正内容から、あきれるという意味で興味深いものがいくつか紹介されていた。

しょうもないと言えば、これから書くものよりしょうもない項目もあったが、信じがたいのは次の内容だ。何とアメリカの4つの州の消費税を国が肩代わりしてくれるらしい。つまり一定期間(だと思うが)、消費者は消費税を払わなくていいわけだ。なぜ4つの州か?一つはブッシュ大統領の地元、もう一つは忘れたが、2州は大統領選の激戦州らしい。にわかに信じがたい。日本が道州制だったと仮定して、九州(麻生首相)と東北(小沢さん)と東京(激戦地域?まあ、東京じゃなくてもいいが)の生活者だけが、消費税を国が肩代わりをしてくれて払わなくていいというようなものだ。

そりゃ、こんなんじゃ投資家も、生活者も不安だろう。

アメリカという国は、人によっての好き嫌いも、功罪も、賛否もあるが、大きな魅力を持った国だと思っていた。エネルギーに満ち、個人が自立しているように思えたし、若い国らしい愛国心、強い国家を守る意地を持った国に見えた(100%肯定しているわけではないが)。貧富の差や根強い差別があり、生き馬の目を抜くような社会であったとしても、それはそれとして能力のある人が実力を試せる土壌があるからこそ、世界各国の有能な人びとが今も留学し、また働いているのだろう。

もちろんどんな国にも誤った個人主義や、政治はあると思うけれど、しかしここまで政局優先の法案を通せるとは、あきれるのを通り越して不思議なくらいだ。そもそも税金、特に国税は、納税者の手元から離れた時点で、公共のためのものだ。使い道を監視することは否定しないけれど、税金は明日も含めた未来の社会のために配分されるものだろう。金融安定という議論の目的から逸して、意味なく選挙基盤や、特定の金融とは直接関係のない団体(ハリウッド映画関係の減税という項目もあるらしい)に偏って出す約束の代わりに、納得させられる話でもないと思うのだが…。そもそも金融に税金を投下することについて、高い給料をもらっているウォール街の人たちを助けるのはおかしいという議論もあるようだが、これも変な話で、別に個人の雇用を助けることが目的ではない。

よくアメリカ人を称して、自己主張が強い、何でも裁判に持ち込むと言われる。全員がそうだと言わないが、どうも誤った幼稚な個人主義が横行している気がする。それはもちろん個々の生活者の問題だけでなく、個人の自立に依存しすぎて、整備されてこなかった医療保障などの社会制度や、信用保証のない人にまで乱発するローンなど、社会の構造そのものの病理の方が深刻ということだと思う。

早くアメリカ本来の魅力やプライドを取り戻してほしいと思う。

※上記は、金融安定法案やその他関連の問題の本質そのものへの考えを書いたものではなく、あくまで米国の消費税の負担の話題に触れただけで、それ以上の内容はありません。


Around40、言葉の魔力

2008-04-24 01:41:32 | テレビ番組

Around40TBSという連続ドラマがスタートしたが、Around30とか40という表現を最初に使い出したのは女性誌だろうか?考案した人は人の心のつかみ方がうまいかも。Around40の対象者は世間で言われているのは35歳から44歳(四捨五入して40歳)だが、この言葉になんとなく救われる人を真のターゲットとすれば40歳から44歳だろう。40歳になってしまった女性だ。40歳になったら急に中年の仲間入りした気分になっていたのに、まだ30代と一括りとホッとさせてくれるチカラが「アラフォー」にはある。

女性が「ここからはオバサン」と自身で恐怖感や焦燥感を抱く年齢は、上昇傾向にある。昔はクリスマスケーキなどと言われ、25歳。お肌の曲がり角なるフレーズもあった。次は30歳。その次は「除夜の鐘」で31歳だから、この差はあまりない。ところでドラマで言えば29歳のクリスマス」が放送されたのが1994年。このドラマは韓国でリメイクされるほどの人気。コンテンツとしてはよほどこの作品の方がおもしろかった記憶があるが、テーマはどこかAround40に似ていたような…。そして当時このドラマの主人公と同じ年齢だった人は1965年生まれで、まさに今Around40だ。

マーケットはこの世代の女性に妙に枯れてもらっては困るのだ。バブル入社世代、Hanako世代のちょっと下。男女雇用機会均等法が成立し、ようやく実体化し出した頃で、勤労機会に恵まれ消費意欲もある。妙ながむしゃらさやパイオニア意識もなく、なんとなく消費市場の雰囲気にずっと乗っかっている感じがする。この下になると、団塊ジュニア、就職難の時代と続き、人生の節目のタイミングとしては精彩に欠けるイメージがある。

人生の夢の大部分をあきらめるタイミングが先送りになるのは悪くない。日本人は年齢を気にしすぎる。外国では年齢を経てから大学などで学ぶ人も日本より多いし、就職の際に年齢を聞かれない国もある。でも40歳が25歳や31歳と違うのは、一つは出産のタイムリミットが近づいていること、体力は明らかに衰えつつあり、親の老いを感じざるを得ないということ。何でもかんでもいくつになってもできるというものではない。枯れないで、成長・成熟もして、やがて老いを受け入れていく覚悟を持つことは意外と難しいかもしれない。