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遠藤雷太のうろうろブログ

何かを観たら、とにかく400字または1000字以内で感想を書きつづるブログ。

「いいひと。」の感想文

2005-12-09 19:57:07 | 「アニキ」の感想文
「アニキ」の感想文《連ドラ編》
遠藤の親友であり、影武者であり、分身であるところの「アニキ」がつづる、歯に衣着せない連ドラレポート集。タイトルの頭文字50音制覇を狙っているとか。ネタバレがいやな人は気をつけてお読みください。


「いいひと。」(1997年)

 いきなりだけど頭にきたことひとつあるんだよ。
 「いいひと。」の主人公と先週見た「アルジャーノン…」の主人公(前半)の演技が似ているんだよ。特に喋り方と走り方が似ている。「脳に障害を持つ人」と「北海道出の田舎者」が同じ…。両方、製作は関西テレビなんだけど、これはあんまりだ。
 それにしても、マンガのドラマ化は難しい。マンガは小説と違って、はじめから受け手はビジュアルのイメージを持っている。同じ実写である映画や、ビジュアルを想像するしかない小説をドラマ化するよりはるかに難しい。
 どうしても原作とのギャップが出てしまうんだな。特に高橋しんの柔らかいタッチを知ってしまうと、ドラマの絵面の悪さが気になってしょうがない。ドラマにするなら巧くない絵のマンガに限るよ。
 配役だって難しい。ほとんどの役者が原作負けしている。この責任は役者ではなく配役をした人間にある。特に片瀬りのは気の毒だったな。
 更に難しいのは「いいひと。」は全26巻に及ぶ大作だってこと。登場人物もエピソードの数も半端じゃない。それらを整理して組みなおす作業は、脚色というより創作に近い。
この作業は「アルジャーノン…」の設定を日本に置き換えることより難しいかもな。こっちは長編でも登場人物は少ないし、関係性も複雑じゃないから、比べれば脚色はしやすいんじゃないか。「いいひと。」は、組みなおす作業で明らかにつまづいていた。
 ドラマ的にはLC編だけで十分。単行本でいうと1~6巻。全26冊分の6冊だからさ、物足りないといえば物足りないんだけど、それだけでも十分つくりごたえがあると思うなあ。いらない脚色をして話をつまらなくするようりよっぽどいいと思うよ。そもそも財前直美と京本正樹の恋愛物なんて、誰が見たがるんだよ!
 靴だって原作どおり「バレエ・シューズ」でよかったしな…。透明な運動靴って、見るからに走りにくそうだし、そんなもの売れるわけがねえだろ(断言)! 編集する力量が無いなら無いでやりかたはあったはずだ。
 全体的に謎の演出脚色が多発で生理的に受け付けないドラマだったな…。せめて「アルジャーノン…」の前に見るべきだった。制作時期が6年違うとここまで違うものか。
 ま、こういうこともあるかなあー。
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「アルジャーノンに花束を」の感想文

2005-12-06 18:23:55 | 「アニキ」の感想文
「アニキ」の感想文《連ドラ編》
遠藤の親友であり、影武者であり、分身であるところの「アニキ」がつづる、歯に衣着せない連ドラレポート集。タイトルの頭文字50音制覇を狙っているとか。ネタバレがいやな人は気をつけてお読みください。


『アルジャーノンに花束を』(2003年)

 最初に感じたのは嫌悪感だな。
 「アルジャーノン…」をテレビドラマって企画が安易過ぎるよ!
 ただね、「作り手としてそれでいいのか」叫んじまったけど、ちょっと考えて「それでいいのだ」と思い直した。数字を取るためには、ありとあらゆる手段を使うべきなのでこれは正しい。
 ただ、問題は面白くないということな。
 なぜか。
 ひとつめの理由は、原作が有名すぎること。展開に驚きがない。水戸黄門のように「確認作業」として見ればいいけど、そういう見方をするには「アルジャーノン…」は話が重すぎる。作話の労力を惜しんで既存のものを引っ張ってきたのだから、これはしょうがねえことなんだけどな。
 で、話に集中できなかった。
 しょうがないから、「脚色」についてテレビ画面を眺めながら考えていたんだけどさ。
 いかに「脚色」するべきかってことな。
 テレビドラマ版では、大胆な脚色が行われている。設定が現代日本に置き換えられているのだ。そのことに戸惑った人も多かったんじゃないかな。
 そこが、ふたつめの問題でさ。いやね、問題っていうのは設定を日本にしたことじゃないのよ。場所を変えるのは「アリ」だ。
 問題なのは時代設定のほう。
 目立たないことだけど「アルジャーノン…」は現代劇じゃない。医学が発達し、医学倫理も議論されつつある現代において、あんなマッドなサイエンティストはリアリティがねえし(でも増岡徹に罪はない)、菅野美穂と吉沢悠のトレンディードラマ風(死語だが、だからこそ的確な表現だな)カップルは「アルジャーノン…」の作風にはなじまない。
 「アルジャーノン…」は、1966年の小説だろ。テレビドラマになる37年前。主人公がプレステやボーリングをやりだしたら原作の雰囲気がぶち壊しだ。オシマイだろ? そこまでするんなら、少なくともタイトルを変えたほうがいいよな。
 設定を日本にするなら半世紀は昔の設定にするべきだ。話は更に重くなるだろうけど、それこそ腕の見せ所じゃねえかな。
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「アンティーク」の感想文

2005-12-01 19:42:27 | 「アニキ」の感想文
「アニキ」の感想文《連ドラ編》
遠藤の親友であり、影武者であり、分身であるところの「アニキ」がつづる、歯に衣着せない連ドラレポート集。タイトルの頭文字50音制覇を狙っているとか。ネタバレがいやな人は気をつけてお読みください。


「アンティーク」(2002年フジテレビ)

 登場人物がどいつもこいつもかっこいいな! 天才だの金持ちだの現実感がない。おしゃれ臭くて鼻につく話だけど…嫌いじゃねえんだよ。
 なんつうか、その徹底具合が清々しい。
 ボクサーなんて、ストーリィラインから考えれば明らかに無駄な設定なんだけど、要は「いいオトコ」をそろえたいんだと気がついて納得したよ。いいオトコの見本市を開くなら体育会系ははずせない。ボクサーなんていかにもって感じだしな。 
 キャスティングはいい。原作に負けていない。これは重要なことだ。
 きっと女の子たちはこれを見て「私だったら、この人が好き」とか言い合って楽しむんだろ? ちなみに俺はオーナー・椎名桔平が好きだ。文句あるか。
 ストーリィラインは各話とも単純で何のヒネリもない。各々の登場人物の《過去》についての「謎」をばら撒いて、解決していく。
 線よりも点。ラインというより場面を重視している印象だ。娘と父親が別れる場面、兄が弟を許す場面、そういう場面が丁寧に作られているので、単純な展開が力強く感じられる。「ケーキ」という小道具が軸になっているので、多彩な登場人物やエピソードがぶれない。
 もっと突っ込んで言うと、一話一話の構成は最初の15分間をたっぷり使ってその週の伏線を全部張ってしまい、残りの時間でその解決を行う。こういうのが連ドラの理想的な構成の一つと言っていいかもしれない。
 話は変わるが、美人(小雪)のズレ眼鏡は楽しいな。不美人だとダメなんだよ。普通でつまらない。よく笑いは構図のズレとかいうけどさ、美人が下ネタを言うとズレが過剰でダメ。「ズレ」でなく「逸脱」になってしまう。
 何が言いたいのかというと、美人はズレ眼鏡くらいがちょうどいいってことだ。さじ加減が肝心なんだよ。
 話をドラマに戻す。
 不満なのは登場人物が無駄に恋愛しているところ、最終回が凝りすぎてて良くわかんねえところだ。
 それにしても、いい男になりたいと三年ぶりくらいに思っちまった。
 ま、もともと俺はいい男だけどな!
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