小学校3・4年だったと思う。
実家の裏のお寺の離れの床下を住処にしている茶色い犬と仲良しになった。
チビと呼んでいた気がする。しっかりとした毛並みにスレンダーな体格、優しげな黒い目、
小さなお耳は垂れており、ゆるやかに湾曲した爪は黒かったような気がする。
チビは日向の匂いがした。犬の匂いを嗅げば懐かしいチビに辿り着く。
母の友人宅で飼われていたスピッツは、人を見ればキャンキャンと神経質に吠えたが、
チビは、むやみに吠えたりすることは一度もなかった。
雑種と呼ばれる種類の犬や猫に惹かれるゆえは、この頃の体験で備わった感性だろう。
ある日、チビは仔犬をたくさん産んでお母さんになった。
その仔犬の愛らしさに心奪われた私は、足繁く通ううち一緒に子育てに加わった。
今にして思えば、犬も時代も大らかで懐が深かった、私のお節介をチビは受け入れた。
木々の繁るお寺の離れは、人の通りは少なく静かであった。そっとチビと名前を呼べば、
ふわっと忍者のように現れる。チビに会えた嬉しさに私はどれだけ満足しただろう。
至福の時間とはあのような時を言うのだと思う。
そのうちに仔犬が育ち、食べ物を与えなくてはならないと思った私は或る行動に出た。
ドッグフードなど見たこともない時代である。母に犬に与える食べ物を願い出たところで
貰えるとは思わなかったし、ましてや仔犬の存在を知られることは何よりも避けたかった。
母にバレることなくご飯を調達するには、母を欺くしかない。
朝ごはんを自分のお腹を満たしたら、御代りをする。飲みこまない。お口の中に入るだけ
詰め込んでしまう。ごちそう様の後そのままチビの所へ駆けつける。詰め込んだご飯を
破ったノートの紙に戻す。そして喧嘩をしないよう先ずはお母さんに、その後に仔犬たちに。
一匹毎を抱え、高さのある場所に移し少しずつをみんなに与えることにした。
犬は雑食と知っていたし、実際に何でも食べてくれたのだ。ふわりとした仔犬の感触、
一心に食べる時の目、小さな手足、拙い歩き方、全てが可愛くてもう夢中になった。
毎朝の習慣になり、膨らんだ私のほっぺに妹などは気が付いて笑っていた。
母だって、私の浅智慧などとっくに御見通しだったのだろう。
子供の頃の記憶は断片的なことが少なくない。
あの仔犬たちがちゃんとに育ったのかも、チビがどれくらい生きたのかも私は覚えていない。
しかし、子供の頃に出会った生きとし生けるものが、与えてくれる愛を享受することは
その後の生き方を左右する。心から愛すること、心から可愛いと思えること、心から大切に思うこと、
そんな心が育ってさえいれば、スプーン一杯の幸せに気が付く人になるだろう。
ペットフードの恩恵を受けながらも、モノが無かった時代の方が豊かだった気がするのが
腑に落ちない。
そのうちに
実家の裏のお寺の離れの床下を住処にしている茶色い犬と仲良しになった。
チビと呼んでいた気がする。しっかりとした毛並みにスレンダーな体格、優しげな黒い目、
小さなお耳は垂れており、ゆるやかに湾曲した爪は黒かったような気がする。
チビは日向の匂いがした。犬の匂いを嗅げば懐かしいチビに辿り着く。
母の友人宅で飼われていたスピッツは、人を見ればキャンキャンと神経質に吠えたが、
チビは、むやみに吠えたりすることは一度もなかった。
雑種と呼ばれる種類の犬や猫に惹かれるゆえは、この頃の体験で備わった感性だろう。
ある日、チビは仔犬をたくさん産んでお母さんになった。
その仔犬の愛らしさに心奪われた私は、足繁く通ううち一緒に子育てに加わった。
今にして思えば、犬も時代も大らかで懐が深かった、私のお節介をチビは受け入れた。
木々の繁るお寺の離れは、人の通りは少なく静かであった。そっとチビと名前を呼べば、
ふわっと忍者のように現れる。チビに会えた嬉しさに私はどれだけ満足しただろう。
至福の時間とはあのような時を言うのだと思う。
そのうちに仔犬が育ち、食べ物を与えなくてはならないと思った私は或る行動に出た。
ドッグフードなど見たこともない時代である。母に犬に与える食べ物を願い出たところで
貰えるとは思わなかったし、ましてや仔犬の存在を知られることは何よりも避けたかった。
母にバレることなくご飯を調達するには、母を欺くしかない。
朝ごはんを自分のお腹を満たしたら、御代りをする。飲みこまない。お口の中に入るだけ
詰め込んでしまう。ごちそう様の後そのままチビの所へ駆けつける。詰め込んだご飯を
破ったノートの紙に戻す。そして喧嘩をしないよう先ずはお母さんに、その後に仔犬たちに。
一匹毎を抱え、高さのある場所に移し少しずつをみんなに与えることにした。
犬は雑食と知っていたし、実際に何でも食べてくれたのだ。ふわりとした仔犬の感触、
一心に食べる時の目、小さな手足、拙い歩き方、全てが可愛くてもう夢中になった。
毎朝の習慣になり、膨らんだ私のほっぺに妹などは気が付いて笑っていた。
母だって、私の浅智慧などとっくに御見通しだったのだろう。
子供の頃の記憶は断片的なことが少なくない。
あの仔犬たちがちゃんとに育ったのかも、チビがどれくらい生きたのかも私は覚えていない。
しかし、子供の頃に出会った生きとし生けるものが、与えてくれる愛を享受することは
その後の生き方を左右する。心から愛すること、心から可愛いと思えること、心から大切に思うこと、
そんな心が育ってさえいれば、スプーン一杯の幸せに気が付く人になるだろう。
ペットフードの恩恵を受けながらも、モノが無かった時代の方が豊かだった気がするのが
腑に落ちない。
そのうちに