笑ってみよっか ~B面~

権田藁エリザベス麻呂子と申しますが

座右の銘

2009-06-16 | 自己紹介
ありますか?


座右の銘とは
「いつも自分の座る場所のそばに書き記しておいて、戒めとする文句」




私は。。。。


中学生の時からずっとこの文句。


“神様は
その人にとって一番ふさわしい道へと導いてくれる”




キリスト教の学校に中高と通っていたため、
“神様”という存在には、わりと親近感をもっています。
(親近感という言い方はおかしいかもやけど・笑)

毎朝礼拝もあったし、聖書の授業もあったし、
たくさんの「神の御言葉」に触れてきました。


“あなたがたは地の塩である”

“右の頬をぶたれたら左の頬をもさしだしなさい”

“あなたがしてほしいことを人にしなさい”


↑こんな感じの聖書の言葉を、
 週代わりで暗誦していました。

もっちろん、主の言葉(天にまします・・・)は今でもペラペラ口からでてきます。


多感な時期にキリストの教えに抵抗なく触れ、
卒業後も何かにつまづくたびに、
神様に導かれたものだ、と言い聞かせていました。


こんなことを言ってますが、
クリスチャンではありません。
洗礼も受けていません。



きっと、
私にとっての“神様”は
“イエスキリスト”ではないのでしょう。
漠然とした大きな“神様”かもしれません。



悪いことをしたら誰かが見ていて必ず地獄に落ちる

頑張っていたら必ず誰かが見ていてくれてる


こんな“誰か”の存在が
たまたま私の心の中では“神様”という言葉に
変換されているだけのような気がします。




6月あじさいの季節。

毎年「花の日礼拝」たるものがありました。
全員花束を学校に持っていき、礼拝をした後に、
諸施設や公共の場所に届けにいく日です。

満員電車での通学時、
花束を持つ女子学生。
声をかけられたこともありました(ただしおっちゃん・笑)


花の日礼拝で歌う賛美歌も
とても好きでした。




小さなかごに花を入れ さみしい人にあげたなら

部屋にかおり満ち溢れ 暗い胸も晴れるでしょう

愛の業(わざ)は小さくても 神の御手がはたらいて

悩み多い世の人を 明るく清くするでしょう

(賛美歌Ⅱ26より)






あれこれ理由を考えたり
なんだかんだ文句をつけたり
そうちゃうああちゃうと嘆いたり
なんでやねんアホかいなと怒ったりするのも


全て“神”なる“誰か”が
私にふさわしい場所へと辿り着かすために
手伝ってくれてるってことか。。。






写真の紫陽花。

遠目で見ると、↓こんなん↓




正夫いわく

「つるっぱげのあじさいや~」




く、暗い胸も晴らしてくれるお花に向かって
なんてことをっ!!



・・・


でもたしかにそんな気もする(笑)


これって、よく見る紫陽花と、ちょっと違う種類なのかな??




☆☆☆





今日はとっておきのプレゼントをもらいました。
もし福岡にいたなら、
もらえなかったプレゼントでしょう。

引越して悲しいことも多いけれど、

嬉しいことも増えてきた。



だからやっぱり・・・






神様の導きに感謝だな

コメント
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