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齋藤研究室

多摩哲学会 第6回大会のお知らせ

2008-12-03 11:56:38 | Information
多摩哲学会 第6回大会のお知らせ

*日時:2008年12月7日(日)12時30分~午後5時(正午から受付開始)
*場所:中央大学駿河台記念館310号室
(JR御茶ノ水駅から徒歩5分、地図は、後日、学会HPの「お知らせ」に掲載)

*発表者(敬称略)
丹木博一(聖母女子大学)
世界現象の否定性について
――「世界が世界する」という言葉でハイデガーが語ろうとしたこと――

ハイデガーは『存在と時間』において世界の開示性を根源的真理と見なし、その根拠を実存論的に問い求めようとした。しかしその結果明らかになったのは、むしろ世界現象の無根拠性とその隠蔽とであった。世界の経験はいかにして可能になるのだろうか。また世界が世界として現象するということはいったい何を意味するのだろうか。現象の否定的構造に着目し、後期ハイデガーの世界概念の意味をいささかなりとも明らかにしてみたい。

荻原理(東北大学)
死に対するエピクロス的態度

「われわれにとって死は何ものでもない(だから死を恐れるのは不合理だ)」とエピクロスは説く。この主張を支持するひとつの議論は「われわれが存在しているとき死はまだなく、死があるときわれわれはもはや存在していない」というものだ。これらエピクロス派の議論はそれぞれが問題をはらんだいくつかの前提に基づいている。本発表では議論の構造を明らかにし、諸前提を哲学的に検討したい(本人が気付かないのに危害を受けることはありうるか、という現代でも取り上げられる争点にも立ち入ることになろう)。この作業を通じてエピクロス派倫理学の一側面に光を当てたい。叩き台として James Warren のFACING DEATH –EPICURUS AND HIS CRITICS--, Oxford, 2004 などの文献を参照する。

清水正之(聖学院大学)
人文知の可能性―日本の思想史から

参加者の大半が、西洋哲学・思想の研究者であるかとおもいますが、倫理学の立場から日本思想史を対象としているものとして、共有可能な問題を俎上にのせることしたく思います。日本語で考えるとはどういうことか、を考えた思想が、近代以前から連綿と続きますが、今回は、その一人本居宣長の「知」と「信」をめぐる議論を出発点に、近代日本の哲学・倫理学につづく、ある認識の<傾向>をとりあげ、提示してみたいと思います。知の相対性、「書籍」と知および信、関係と場所あるいは聖性、と連関する問題の一端を示し、批判をいただければ幸いです。


http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~tsuchi/tamaphil-top.html

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