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齋藤研究室

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木村史人著『「存在の問い」の行方:『存在と時間』は、なぜ挫折せざるをえなかったのか』シンポジウム

2015-06-28 22:40:22 | Information


下記のとおり、2015年7月18日(土)に立正大学哲学会大会にて、木村史人著『「存在の問い」の行方:『存在と時間』は、なぜ挫折せざるをえなかったのか』をめぐるシンポジウムが開催されます。

ハイデガーの「存在の問い」に正面から切り込む力作に、森一郎さんと齋藤が特定質問者を務めます。ハイデガーをめぐる議論を深めるこの機会に、ぜひみなさまご参集いただければ幸いです。

会場は、立正大学品川キャンパス9号館地下2階9B23教室です。
交通アクセスは、次をご参照ください。
http://www.ris.ac.jp/access/shinagawa/index.html
合評会の時間は、14:40-18:00です。

みなさまにお目にかかるのを楽しみにしています。

***
立正大学哲学会大会
日時:2015年7月18日(土)
総会 12:50-13:10 9B23教室(9号館)

研究発表 13:10-14:40 9B23教室(9号館)
小松伸二(立正大学人文科学研究所研究員)「エナクティヴ・アプローチの可能性―視覚の問題を中心に―」
藤岡洋(東京大学東洋文化研究所助教)「メディア化したインターネット?そのコンテンツの諸相」

シンポジウム 14:40-18:00 9B23教室(9号館)
木村史人著『「存在の問い」の行方:『存在と時間』は、なぜ挫折せざるをえなかったのか』をめぐって

基調講演  木村 史人(本学専任講師・本学会理事)
提題    森 一郎(東北大学情報科学研究科)
      齋藤 元紀(高千穂大学人間科学部)
            
懇親会   18:00-19:30 芙蓉峰(2号館12階)
***



以下もあわせてご覧ください。
https://drive.google.com/file/d/0B8zxmdCS69ZCcmJ2S1hZT09HZWs/view?usp=sharing
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第19回新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)講演(2015/7/17)のお知らせ

2015-06-22 19:02:16 | Information
2015年7月17日(金)、第19回新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)にて「存在論の神話──ハイデガーの『黒ノート』と 20世紀の《神話の哲学》をめぐって」と題してお話します。出身地での講演とあって、今から楽しみです。新潟のみなさん、ぜひどうぞご参加ください。

第19回 新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)
「存在論の神話――ハイデガーの『黒ノート』と20世紀の《神話の哲学》をめぐって」

講師 齋藤元紀(高千穂大学教授)

日時 2015年7月17日(金) 18:15~19:45
場所 新潟大学 五十嵐キャンパス
   総合教育研究棟 D-301(旧地域国際交流促進室)

 現代哲学に甚大な影響を与えたハイデガーの存在論。ところが昨年、長らく秘匿されてきた彼の「思索日記」とも言うべき『黒ノート』が刊行されると、そのなかに収録された反ユダヤ主義的文言によって世界中の哲学界が騒然となった。彼の存在論は反ユダヤ主義か否か。20世紀に澎湃として起こった《神話の哲学》の潮流を背景にするとき、ハイデガーの存在論に潜むこの反ユダヤ主義の「神話」的性格はどのように考えられるのか――



詳しくは以下をご覧ください。
http://www2.human.niigata-u.ac.jp/~mt/ningen/2015/06/_20.php

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日本公民教育学会講演報告

2015-06-14 15:29:34 | Information
昨日2015年6月13日、高千穂大学で開催された日本公民教育学会にて、「哲学対話の可能性――社会と教育を結ぶひとつの実践として」と題してお話させていただきました。公民教育をご専門とする先生方に哲学対話がどのように受け止めていただけるか、当初はいささか不安ではありましたが、皆さんたいへん熱心に耳を傾けて下さり、ほんとうに嬉しいかぎりでした。講演後も多くの先生方からご質問やお問い合わせをいただき、教育現場での哲学対話への関心の高さもひしひしと伝わってきました。司会を務めていただいた本学の鈴木隆弘先生、そしてご清聴いただいた日本公民教育学会のみなさまにこの場を借りて御礼申し上げます。

今回は、哲学対話の歴史や方法を紹介するだけでなく、ガダマーの「哲学的解釈学」をとおして「哲学対話」を考察してみることにも挑戦しました。『真理と方法』冒頭に掲げられたリルケの詩を最後に引用して講演の締めくくりとしたのですが、これは哲学的解釈学のみならず、哲学対話の精神を表現しているものに思えてなりません。

おまえが自分で投げたものを捕らえているあいだは、すべては
手なれた技量に尽き、うるところは乏しい――
おまえが思いもかけず、永遠の競技相手、運命の女神が、かつて
おまえに、おまえ目がけて、まさに
熟練の弾みをつけ、神が作り上げた大きな橋の
あのアーチのひとつの形をとって投げてよこした
ボールの受け手になるときに初めて、
そのときにこそ初めて、捕球の技がひとつの能力となる――
おまえの能力ではなく、ひとつの世界の能力に。

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