忘年会の季節である。
札幌近郊に十教室を抱える学習塾。講師陣が一同に介する機会は、年末のこの時期を除けばほとんどない。席上、初対面とは思えないほどに盛り上がった、ある女性講師とのやりとりを紹介しよう。
担当は英語。二歳の双子の子供をもつママさん先生で、なんと韓国出身だ。なぜ日本に、と訊ねるやいなや、関西人顔負けのマシンガントークが幕を開けた。
初来日は大学二年次。在籍校の姉妹校である山口大への交換留学だった。一年で帰国するも、翌年には広島大へ編入学。研究テーマは、なんと「アダルトビデオ」。
「ツタヤでもどこでも、若い女の子が裸で写ってる。男もそれ普通に買ってる。韓国ではありえない。日本人、変態!」
戦後、韓国では「倭色」として忌避されてきた日本文化。韓流ブームよろしく、日韓の文化交流は着実に進んでいるように見える。
だが彼女は、性意識には「かなりの隔たりがある」と、流暢な日本語で分析する。そういえば、今年話題になった『ラブホテル進化論』(文春新書)の著者・金益見も、「在日」ではあるが韓国人、しかも女性だ。
日本の性文化の多様さはよく語られるところだが、見方を変えれば開放的に過ぎる面もある。たしかにここ数年、児童ポルノの規制は厳しくなってきたし、深夜番組からあからさまな性表現は消滅したようだ。こうした取り組みはきちんと評価されるべきだろう。
――という建前だけで性は語りえる、とあなたはお考えだろうか。答えは否である。
例えば、韓国に愛人のいる作家の岩井志麻子はこう述べていた。韓国ではただのアジュンマ(おばさん)だが、日本には熟女文化がある。だからこそ、自分は四十代半ばでも「現役」でいられるのだ、と。高齢化の世の中にあって、あっぱれな話ではないか。
また性教育という観点から見ると、いまの日本は後進国だとされている。HIV感染者の増加や、セックスに関する話題がタブー視される傾向はその証左だ。ここに紹介した女性たちの、性に正面から向き合う姿勢こそ、私たちはきちんと評価しなければなるまい。
広島大を卒業後、彼女が新宿・歌舞伎町を目指したのは当然の流れだろう。そんな女性が現在、母親と先生の二役をこなしているのだから、人生とは不思議なものだ。この忘年会での出来事は、当分忘れられそうにない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
毎週異なるテーマでエッセイを書く、という試みをこの秋から続けている。上記の題目は「変」。変=性とはあまりに安直だが、1200字/90分という制限を設けるとこんなものにしかならない。
ところで、以前「キミのブログは読みにくいよ」と言われたことがある。ここには二つの意図があって、ひとつはレイアウト、もうひとつは内容だった。前者は文字サイズの変更で解消されたと思うのだが、後者はなかなか大変だ。
ようするに、この「試み」内でも同様の指摘があったわけです。読んでもわからん、と。うーん。それは僕の筆力のせいなのか、それとも(誠に失礼ながら)その読者の読解力のせいなのか……いやいや、まず自分を疑うのが筋でしょう。
かつては井上章一やましこひでのりにならって、文体を軽くしたこともあった。それでもといやってみるか、と思うと同時に、それじゃあ根本解決にならんやんけ、とも思う。苦悩は続く。
札幌近郊に十教室を抱える学習塾。講師陣が一同に介する機会は、年末のこの時期を除けばほとんどない。席上、初対面とは思えないほどに盛り上がった、ある女性講師とのやりとりを紹介しよう。
担当は英語。二歳の双子の子供をもつママさん先生で、なんと韓国出身だ。なぜ日本に、と訊ねるやいなや、関西人顔負けのマシンガントークが幕を開けた。
初来日は大学二年次。在籍校の姉妹校である山口大への交換留学だった。一年で帰国するも、翌年には広島大へ編入学。研究テーマは、なんと「アダルトビデオ」。
「ツタヤでもどこでも、若い女の子が裸で写ってる。男もそれ普通に買ってる。韓国ではありえない。日本人、変態!」
戦後、韓国では「倭色」として忌避されてきた日本文化。韓流ブームよろしく、日韓の文化交流は着実に進んでいるように見える。
だが彼女は、性意識には「かなりの隔たりがある」と、流暢な日本語で分析する。そういえば、今年話題になった『ラブホテル進化論』(文春新書)の著者・金益見も、「在日」ではあるが韓国人、しかも女性だ。
日本の性文化の多様さはよく語られるところだが、見方を変えれば開放的に過ぎる面もある。たしかにここ数年、児童ポルノの規制は厳しくなってきたし、深夜番組からあからさまな性表現は消滅したようだ。こうした取り組みはきちんと評価されるべきだろう。
――という建前だけで性は語りえる、とあなたはお考えだろうか。答えは否である。
例えば、韓国に愛人のいる作家の岩井志麻子はこう述べていた。韓国ではただのアジュンマ(おばさん)だが、日本には熟女文化がある。だからこそ、自分は四十代半ばでも「現役」でいられるのだ、と。高齢化の世の中にあって、あっぱれな話ではないか。
また性教育という観点から見ると、いまの日本は後進国だとされている。HIV感染者の増加や、セックスに関する話題がタブー視される傾向はその証左だ。ここに紹介した女性たちの、性に正面から向き合う姿勢こそ、私たちはきちんと評価しなければなるまい。
広島大を卒業後、彼女が新宿・歌舞伎町を目指したのは当然の流れだろう。そんな女性が現在、母親と先生の二役をこなしているのだから、人生とは不思議なものだ。この忘年会での出来事は、当分忘れられそうにない。
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毎週異なるテーマでエッセイを書く、という試みをこの秋から続けている。上記の題目は「変」。変=性とはあまりに安直だが、1200字/90分という制限を設けるとこんなものにしかならない。
ところで、以前「キミのブログは読みにくいよ」と言われたことがある。ここには二つの意図があって、ひとつはレイアウト、もうひとつは内容だった。前者は文字サイズの変更で解消されたと思うのだが、後者はなかなか大変だ。
ようするに、この「試み」内でも同様の指摘があったわけです。読んでもわからん、と。うーん。それは僕の筆力のせいなのか、それとも(誠に失礼ながら)その読者の読解力のせいなのか……いやいや、まず自分を疑うのが筋でしょう。
かつては井上章一やましこひでのりにならって、文体を軽くしたこともあった。それでもといやってみるか、と思うと同時に、それじゃあ根本解決にならんやんけ、とも思う。苦悩は続く。