2005年の仙台・平泉、2006年のおいせ参りに引き続き、今年は茨城・鹿島神宮へ足を運んでみた。同行者を伴ってのツアー形式は頓挫したが、存続の危機に瀕している「カシテツ」こと鹿島鉄道を含め、気の向くままに電車を乗りまわすことができた。見聞録まがいにメモしたものをベースに、紀行文風に書き連ねてみたい。
―――――――――――――――――――――――
一月二日、午前九時二分。西武多摩川線上り電車に飛び乗った僕は、まだ眠気を引きずっていた。
武蔵境に到着すると、JR東日本ホリデーパス(¥2300)を購入した。これで千葉県の成田、および茨城県の土浦までがフリーエリアとなる。錦糸町での接続を考慮し、三鷹から中央・総武緩行線に乗り換える。四十五分ほどで錦糸町に到着。下車し、総武快速線ホームへ。待ち時間、この町で働く友人になんとなくメッセージを送る。内容は無い。
成田空港行き・快速エアポートは、乗客もまばらに快調に飛ばしていたが、千葉でどっと人が乗り込んできた。まさか、とは思いながらも、酒々井(しすい)を過ぎたあたりで気付く。「これは、成田山にいくのでは…?」
十一時四十一分、成田着。予感は的中する。乗客の八割強はそのまま改札へと向かい、五番線に停車中の鹿島神宮行きに乗り換える人は少数。やはり、千葉県民にとっては常陸の国一ノ宮など眼中になかったのだ――そう、去年「おいせ参り」で目の当たりにした群衆の津波が、悪夢のように僕の脳裏をかすめていったのである。千葉で感じたこの一抹の不安は、ボックスシートに腰掛けるとともにすっと消え去っていった。四人掛けの座席に二人ずつほどの乗車率に、僕は思わずほくそ笑むのである。
「総武房総路線図」を掲げる111系列車は、都会の車両に慣れた身体に単線らしい揺れを敏感に感じさせる。ただ、車外にはなんの変哲もない田園風景が繰り返され、車内にはけだるい空気感が漂っている。乗客もみなどこか「茨城気質」のようなものを身にまとっていた。車内に、茨城県民の日常と都会っ子の非日常が錯綜する。
総武線~成田線~鹿島線と、二時間強もの時間をかけた「かい」を与えてくれるのは、湿地に次ぐ湿地の果てに現れる霞ヶ浦だろう。この日、空はグレーの厚い雲に覆われていたが、なぜか二年前に見た仙石線の仙台行き列車から見た、果てしない地平を覆いつくす朝焼けを想起させるものがあった。
北利根川を越え、日本のヴェニス・潮来へ。すれたダッフルコートの親子が乗り込んでくる。一時間に一本というダイヤのせいもあって散策できなかったのだが、同じ「水郷」対決なら、長良川に軍配があがりそうだ。
線路をまっすぐ走ってきた列車は、延方を過ぎるとゆるやかにカーブした高架橋をつたって、北浦を越える。鹿嶋市の公式ホームページによれば、古代までは「現在の台地以外はすべて海で、筑波や銚子の方角から見ると独立した島のように見え」たという。水鳥が羽をはためかせながら一斉に逃げるようすを見ながら、離れ小島に向かう感覚は、天界への道を行くようだった。
とはいえ、こうした水辺の風景が現れるまでは、単調極まりない。そういえば、JRは各線にラインカラー(山手線=緑、中央線=オレンジ)をつけており、鹿島線のそれはおうど色である。季節のせいもあるが、車窓から望む色彩は否が応にもうんこのそれを想像させる。
十二時三十六分、鹿島神宮着。あくびすら出ない。味気無い旅だった。
―――――――――――――――――――――――
一月二日、午前九時二分。西武多摩川線上り電車に飛び乗った僕は、まだ眠気を引きずっていた。
武蔵境に到着すると、JR東日本ホリデーパス(¥2300)を購入した。これで千葉県の成田、および茨城県の土浦までがフリーエリアとなる。錦糸町での接続を考慮し、三鷹から中央・総武緩行線に乗り換える。四十五分ほどで錦糸町に到着。下車し、総武快速線ホームへ。待ち時間、この町で働く友人になんとなくメッセージを送る。内容は無い。
成田空港行き・快速エアポートは、乗客もまばらに快調に飛ばしていたが、千葉でどっと人が乗り込んできた。まさか、とは思いながらも、酒々井(しすい)を過ぎたあたりで気付く。「これは、成田山にいくのでは…?」
十一時四十一分、成田着。予感は的中する。乗客の八割強はそのまま改札へと向かい、五番線に停車中の鹿島神宮行きに乗り換える人は少数。やはり、千葉県民にとっては常陸の国一ノ宮など眼中になかったのだ――そう、去年「おいせ参り」で目の当たりにした群衆の津波が、悪夢のように僕の脳裏をかすめていったのである。千葉で感じたこの一抹の不安は、ボックスシートに腰掛けるとともにすっと消え去っていった。四人掛けの座席に二人ずつほどの乗車率に、僕は思わずほくそ笑むのである。
「総武房総路線図」を掲げる111系列車は、都会の車両に慣れた身体に単線らしい揺れを敏感に感じさせる。ただ、車外にはなんの変哲もない田園風景が繰り返され、車内にはけだるい空気感が漂っている。乗客もみなどこか「茨城気質」のようなものを身にまとっていた。車内に、茨城県民の日常と都会っ子の非日常が錯綜する。
総武線~成田線~鹿島線と、二時間強もの時間をかけた「かい」を与えてくれるのは、湿地に次ぐ湿地の果てに現れる霞ヶ浦だろう。この日、空はグレーの厚い雲に覆われていたが、なぜか二年前に見た仙石線の仙台行き列車から見た、果てしない地平を覆いつくす朝焼けを想起させるものがあった。
北利根川を越え、日本のヴェニス・潮来へ。すれたダッフルコートの親子が乗り込んでくる。一時間に一本というダイヤのせいもあって散策できなかったのだが、同じ「水郷」対決なら、長良川に軍配があがりそうだ。
線路をまっすぐ走ってきた列車は、延方を過ぎるとゆるやかにカーブした高架橋をつたって、北浦を越える。鹿嶋市の公式ホームページによれば、古代までは「現在の台地以外はすべて海で、筑波や銚子の方角から見ると独立した島のように見え」たという。水鳥が羽をはためかせながら一斉に逃げるようすを見ながら、離れ小島に向かう感覚は、天界への道を行くようだった。
とはいえ、こうした水辺の風景が現れるまでは、単調極まりない。そういえば、JRは各線にラインカラー(山手線=緑、中央線=オレンジ)をつけており、鹿島線のそれはおうど色である。季節のせいもあるが、車窓から望む色彩は否が応にもうんこのそれを想像させる。
十二時三十六分、鹿島神宮着。あくびすら出ない。味気無い旅だった。