intoxicated life

『戦うやだもん』がお送りする、画日記とエッセイの広場。最近はライブレビュー中心です。

亀裂

2006-04-18 | ライフサイクル
報道とは、その前日にさして大きな事件がないと取り立てて取り上げるまでもないことをムリヤリ一面とかトップニュースに据えざるを得ないというジレンマがあります。これを「仕方ない」といって安易に片付けてしまう、世の中のこじつけ具合が嫌いなのですが、僕の生活にもこういうニュースはそうそう起こらない。だから最近はさまざまなところに苦情を書いたりして、自分でおもしろくしようとしている。別に偉そうにしているわけではないのですよ(自己嫌悪に陥ることも多々あるのですから)。


そんな我が生活にも、今日ばかりは一面級のできごとがいくつか起こりました。


ひとつ。前々からその著作を読みあさっていた、N先生の授業に聴講してきた。一週間ほど前、「あ、会おう。」と思い立って先生の(大学HP上に公開されている)メールアドレスに一報を入れた。彼の生み落とした著書は何十冊におよぶが、初めて読んだのは去年の夏のこと。卒論のテーマについてHENTAIの友人と話していたときに、彼の名前が出てきたのがきっかけ。


ひとことで言えば、彼は僕が感覚的に思っていたことを精緻な言葉で明確に、かつ論理的に描き出してくれたのです。僕は本当に心を救われたような気分になりました。スカっとした。同時に、より悩ましくなることができました(僕にとって「考える」とか「悩む」という運動は全面的に許容されます。これをやめようとしたり、とめようするすべての言動や諭しを僕は全面的に批判し、嫌悪します)。


上のことを彼に感謝はするつもりはない(彼の挙げる嫌いな言葉のひとつに「感謝」がある)のですが、「あなたは僕の言いたいことを言ってくれました」ということだけは伝えたい。そんな一心で聴講してみた。授業は『合理的エゴイスト』について考えるもので、まずまず。今日は先生に時間がなく挨拶しかできなかったので、来週も出よう。


ふたつ。午後4時頃に授業が終わり、学校へ。今週はやたらと予定が多くてんてこまいなのだが、履修登録のためPCに向かいあーでもないこーでもないと唸っていると、母親からメールが。「今我が家では水がでません。水漏れのため」「復旧の見込みなし」「御飯はたべれるよ」「なんとか水はでるようになったよ」「漏れてるところ応急処置したから水だせるようになったから~」「(風呂は)つかえるよ!」と、7往復もしないと最初の質問(「フロは使えるのか?」)に答えてくれない。極めて東洋的な思考回路を持つ彼女らしいひとコマだ(今回しかり、ときにかなりイライラする)。


図書館で気になるコを久々に目撃し、いつ声をかけられるものかと悶々としながら10時頃帰宅。水は台所の裏壁から染み出ており、築20年以上の年輪を感じさせていた。そんな中、父親がフロに入っている。がんがん湯を出している。


こんなことを書いても仕方ないのだが(でもみんなあまり書こうとしないだろうから、あえてこの無責任の温床・電脳社会に発信してみよう)、うちの両親は決して仲が良くない。むしろ熟年離婚でもするんじゃないかといつも思っている。お互いに言いたいことをまったく言おうとしないし、事務的な話以外まともに会話も交わさない。3年ほど前に母方の祖母が家に来たとき「母親はカネをためている」とか「あの娘もいつも私にこう言うのよ」など、これ見よがしに僕にドロドロとした話をしてきたが、僕は思い切って「この親たちのような結婚はしたくない」と言ってみた。「あなたは幸せな結婚をしなさいね」と告げた祖母は、僕の気持ちをわかってくれた(と思う)。


話がそれてしまった。ともかく、水漏れにもかかわらずがんがんお湯を出している夫に対し、母親はつぶやくように、いや正確には僕にだけ聞こえるように文句を言っている。仕方ないのでフロあがりの父親に「水漏れしてるのにわざわざお湯あんなに出さなくてもいいじゃないのさ」と言ってみた。返事は「どうせ漏れてるんだしちゃっとフロ入ってさっさと元栓しめればいいだろう?お前もお母さんも早く入りなさい」。僕は「まあ、たしかに的を射た意見だわ」と言った。普段は母親寄りの態度を示すことが多い息子のひとことを、彼はどう受け止めたのだろう。


水道管に亀裂が入ったことで、普段考え付かないこと、あるいは気にとめないことにもこうして思考をめぐらすことができた。これぞ冒頭に述べた「一面級」の記事なんだろうな。僕の私生活に根を張るある種の「亀裂」が垣間見えたというのは皮肉だが。