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「処刑の文化史」ジョナサン・J・ムーア著 ”人はここまで残酷になれるのか!”

2018-08-06 02:01:18 | 本の紹介
・2014年 世界54か国中、約2,500人が法に基づいて死刑宣告を受け、死刑が執行された。また多くの国で、司法手続きを踏まずに秘密裏に行われている処刑を考えに入れると、実際に処刑された人数はさらに多いということになる。

・死刑制度を採用している国は、アフガニスタン、バーレーン、バングラディッシュ、ベラルーシ、チャド、コンゴ民主共和国、キューバ、エジプト、エチオピア、インド、インドネシア、イラク、日本、ヨルダン、クウェート、レバノン、リビア、マレーシア、北朝鮮、パキスタン、シンガポール、スーダン、台湾、タイ、ベトナムである。(中国には死刑制度があるかと)

・101の国では死刑を禁止しており、他140か国においては、法により禁止はしていないものの、菌ねん死刑執行はしていない。

・ローマ皇帝の人気度は在任中の闘技場での処刑の数に比例した。

・大勢のキリスト教徒がローマの円形闘技場で野生動物の餌食になった。役目を果たさない動物は、調教師の食料になった。

・首吊り/内臓えぐり/仕上げは八つ裂きは有史以来生み出された処刑のうち、間違いなく最も恐ろしい処刑方法だ

・剣の刑は、よく訓練された者が執り行う限り、素早くほとんど痛みも伴わない処刑方法である。

・歴史上もっとも有名な処刑人と言えば、政敵を大量に処刑したヴラド・ドラキュラ公、別名、串刺し公に違いない。彼にとらわれたものは尖った杭で串刺しにされ、死が訪れるまで何日もの間もだえ苦しんだ。

・最初の魔女の大量火あぶりは、中世期初期に行われた。特に(絶対ではないが)年を取った未婚女性や未亡人が多かった。当時の社会では、家父長制度のもと女性の身分が低く、男性の庇護のもとにない女性は、社会常識に異議を唱え社会を脅迫する者と捉えられた。

・中世社会では女性の自由は限られていた。夫に口答えすることは禁止されており、これを破る者は「鉄のくつわ」をかけられた。

・ギロチンは、フランス国民議会の議員であったジョセフ・イニャス・ギヨタンが、すべての死刑囚に素早く効率的な処刑をとの思いで1789年に考案した、単純な仕掛けの処刑装置だ。

・日本の大盗賊、石川五右衛門は1594年、寺の境内で家族もろとも窯炒りの刑に処せられた。

・カトリック教会は、しばしば異端者を火あぶりにした。

・皮剥ぎ刑は数千年前から存在した処刑方法で、特にアメリカ先住民が盛んに行っていた。古代アッシリア人は生皮剥ぎを脅しとして使った。

・絞首刑に代わる、より人道的な処刑方法があるのではないかと考えるようになった。こうして電気椅子は誕生し、今日でも一部の州で死刑囚の選択肢の1つとして残っている。

・トーマス・エジソンは電球などの画期的な発明で知られているが、電気椅子の開発に関わっていたことはあまり知られていない。

・20世紀になると、可能な限り苦痛の伴わない処刑方法が模索された。電気椅子が苦痛のない処刑とは言い難いことが証明された頃、ガス室が発明された。

・青酸ガスを最初に取り入れたのはドイツで、ポーランドのアウシュビッツのガス室で使用したのが初めだった。

・現在、致死注射は望ましい処刑方法としてアメリカの37州で採用されている。

・銃殺刑は主に軍人に与えられる処罰だった。

感想
処刑は昔から、今も続いているのでしょう。
自白させるための手段として処刑的な行為もありました。

キリスト教徒はローマ帝国の国教となる前までは虐げられ、多くの人が処刑されました。
しかし、今度権力側につくと、自分たちに反する人を処刑するようになりました。

アウシュビッツ収容所体験者が、「憎しみの連鎖は断ち切らないといけない。私たちがアウシュビッツの収容所で受けたことをし返すと、その子孫がまた仕返しをして、仕返しの連鎖が終わらない。私たちがその連鎖を絶たないといけない」と発言されていました。

大切なことは、人が過去にやってきたことを知ることでしょう。
そしてこれからどうしたら良いかを考えることなのでしょう。
第二次世界大戦での、インパール作成、ノモハン事件など、数万人の犠牲者が出ました。
作戦自体に無謀で無理がありました。
兵士は亡くなりましたが、責任者は安全なところで戦死することはなかったです。
しかし、責任者は誰も処分されていません。
そういった反省が同じ過ちを防ぐことなのですが・・・。


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