幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「ケアの本質 生きることの意味」ミルトン・メイヤロフ著 ”ケアを通じてその結果、自己成長が可能となる”

2024-03-21 03:45:45 | 本の紹介
・一人の人格をケアするとは、最も深い意味で、その人が成長すること、自己実現することを助けることである。

・結局ケアは、明確な知識、それを知っていることと、それをどうするかを知っていること、そして直接的知識と間接的知識、これらのすべてを含んでいるものであり、それら全体は、他人の成長を援助するうえでさまざまに関係している。

・忍耐できない人は、時間を与えることができないばかりではなく、相手からしばしば時間を奪ってしまう事態になる。

・ケアする人は忍耐強い。なぜなら、相手の成長を信じているからである。しかし相手に忍耐を示すと同時に、自分自身に対しても忍耐せねばならない。相手おのび自分を知り、理解し、発見する機会を、自らに対してつくっていかねばならない。つまり、私はケアする機会を自分自身に対してもつくってやらねばならないのである。

・正直の意味は、”自分自身に正直である“という言葉で示されるが、それは実際に自分自身と面とむかい、心を開くことを指している。

・“あの人は私を信頼している”という認識は、ケアされている人が、そのような信頼が正しいものだと信じ、自分自身が成長していくのだということを書く信するのに、大きな力をを発揮する。

・<子供を”ケア“しすぎたり”過保護“にはしる父親は、子供を信頼していないのである。>

・ケアする人は実に謙虚であり、相手や自分自身について、またケアというとどこまでが含まれるかについて、すすんでより多くのことを学ぼうとする。このことはまた、ケアされている人から学ぶことも意味している。つまり教師は学生から学び、親は子供から学び、そして芸術家は芸術作品から学ぶ。

・私のケアを通じてその子が成長していくことへの希望と結びついている。

・<相手が成長していくこと、私のケアする能力――この二つを信頼することは、未知の世界に私が分け入って行くにあたって勇気を与えてくれる。一方、未知の世界に分け入って行くだけの勇気がなければ、この信頼をおくことが不可能であることも、また真実なのである。>

・私は、自分自身を実現するために相手の成長をたすけようと試みるのではなく、相手の成長をたすけること、そのことによってこそ私は自部自信を実現するのである。

・ケアとはケアする人にとって自己実現を意味するものだということみてきた。

・“私は、今度は何のケアをしていけばよいのか”という問いである。

・<もし自分が相手のためにケアしようとするならば、その相手にふさわしい能力がなければならないし、また、その相手に対してケアができるだけの“力”をぜひともそなえなければならない。>

・<ケアは連続性を前提としている。ケアの相手が、絶えず一人また一人と変わるようであれば、ケアは不可能である。対象は一定でなくてはならない。なんとなれば、ケアすることは発展的家庭を指しているからである。>

・自分以外の人格をケアするには、私はその人とその人の世界を、まるで自分がその人になったように理解できなければならない。

・ケアにおいては、相手とともにいるということは、とりもなおさず相手のためにいるということでもある。

・ケアは、私がこの世界で“場の中にいる”ことを可能にする。

・自己の生の意味を生きることは、私と補充関係にある対象をケアすることにより”場の中にいる“ということである。

・自律(Autonomy)ということは、私が自己の生の意味を生きることである、と言い換えられる。それは、私が生きている社会的・物質的条件によって設定されたある範囲の中で、私が自分の思うままに生きることを指すからである。

・感謝(Gratitude)は、“場の中にいる”ということから生じる自然な発露である。・・・一般的に言えば、人生そのものに感謝している。私は自分自身をゆだねる機会を持てたこと、また、自分自身をゆだねることができる力量に対しても感謝している。私が他者から受けとるのは、自分が与えているからなのである。

・人は自分の場を発見することによって自分自身を発見する。その人のケアを必要とし、また、その人がケアする必要があるような補充関係にある対象を発見することによって、その人は自分の場というものを発見する。ケアすること、ケアされることを通じて、人は自分が存在全体(自然)の一部であると感じるのである。

・カール・R・ロジャーズ
 ひとつの人格として他者が成長するのに役立つような関係を、私がどの程度まで創り出すことができるかは、とりもなおさず、私自身の内で、私がどの程度にまで成長したのかという目安となる。

・ビクトル・E・フランクル
 人間は個人個人の存在の具体的な意味を成就させた程度において自らを成就させ得たといえるのである。ある人が成就しなければならない意味というのは、その人を超えた何ものかなのであり、単にその人自身にとどまっているもでは決してない。




感想
  この本は、介護を行っている人から教えてもらいました。
ケア、それは自分が外に向かって誰か、何かのケアをすることが、結果として自分の成長につながるということを述べているように受け取りました。
 間違えてはならないのは、自己成長するためにケアするのではなく、自己成長は結果であるということです。
 またケアを高めるためには、自分の能力は人格も高めないとできないということのようです。
 抽象的でわかりにくいと思たら、多く人のそのようで、論文とか説明(その人の理解)がネットにありました。
 ケアと言う言葉が使われていますが、「人は人によって成長し、生かされ、そして自分の生きる意味を見出す」ことに尽きるように思いました。