幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「ママの足は車イス 絶望を救ったたくさんの愛と小さな命」又野亜希子著 ”失くして知る有難さと車椅子生活にも生きる意味・価値はある”

2024-03-11 15:38:15 | 本の紹介
・「こんな体になって、どうやって生きていけばいいの? まこちゃん(夫)には、離婚してもらうしかない。死にたい。死にたい」
 医師を呼んだこともあります。
 「先生! 私を殺してください!」
 「何を言ってるんだ! 私は自殺した人も助ける医師だよ。君が死ねば、どれだけの人が悲しむか」
 (それなら、舌を噛んで死ぬしかない)
 舌を噛んでみました。しかし、痛くて痛くてとても噛み切ることなんでできません。

・夫の話によると、意識が無い時は、
 「まこちゃん、私から離れないでね」
 と言っていたそうですが、意識が戻ってからは、
 「まこちゃん、私から逃げて」
 と言ったそうです。

・そのときの私は、自分がこうして生きていること自体が周囲に迷惑をかけている。私なんて死んでしまえばよかったのに・・・と感じていました。歩くことはもちろん、食事に排泄、着替え、何ひとつ人の手を借りないとできない自分の存在。私に生きていく意味があるのか、私の命に価値があるのかを考えては、
「こんな人生じゃ、イヤ! 私の人生を返して!」
と涙を流していました。

・この体になってみて、経験することはすべて衝撃的でした。歩くこと(車椅子をこぐこと)、排泄、入浴、着替え、夜に寝ることまで・・・。今まで何気なくしてきたことすべてに、大変な労力と時間がかかるのです。

・そんなある晩、“どこかで死にたい”と思っていた自分が恥ずかしくて仕方なくなりました。それは、恋愛も就職も結婚も何一つ手に入れていないまま障害を負ってしまった高校生や大学生のたくましさに触れたからです。
 その笑顔の裏にはきっと、先行きの不安に崩れ落ちそうになる時もたくさnあるはずです。しかし、彼たち彼女たちはいつも前向きで、ただただ高校、大学への復学や進学を夢見てリハビリに取り組んでいることに気がつきました。
(私、甘えすぎている・・・)
 リハ友と過ごす夜は楽しいばかりか、自分の甘い考えを反省し、明日からのリハビリにさらなる意欲を与えてくれる貴重な時間となったものです。

・歩けない、手が思うように動かない、汗をかけない・・・。それより何よりつらかったことは、自力で排泄をすることができなくなってしまったこと、つまり膀胱直腸障害を抱えてしまったことです。排泄に使う筋肉が麻痺し、頚髄が損傷していることで尿意や便意を脳で感じることができなくなってしまったのです。

・退院の日
 我慢していた涙が一気に溢れ出し、気づくと叫んでいました。
 「帰りたい! 帰りたい! 病院に帰りたい!」
 「大丈夫だから。大丈夫だから・・・」
 夫と母は泣き叫ぶ私に戸惑い、そんな言葉をただただ繰り返すばかりでした。

・(実家の)敷地内にある車庫をバリアフリーにリフォームして、寝室・リビング・キッチン・トイレ・お風呂と最低限の住まい環境を整えました。

・退院してきた私は、今までのように日常生活を普通に生きるためには大変な精神力と努力が必要でした。
 いつもぎりぎり、いっぱいの精神状態は何か壁にぶつかるたびに崩れ落ちました。入院していた頃と同様、社会に出て車椅子で経験するひとつひとつが衝撃的だったのです。
 入院中培ったものを土台に、社会に出て、またゼロからのスタートといった感じの日々が続きました。

・そんなときは、「こんな私でも生きていてよかった?」と気持ちはどん底にまで落ち込みました。
 しかし、退院してからの私はいつもの私と違い、「死にたい」よりも、「まこちゃんのために生きてみよう」とか、「ばあちゃんに何かお返しがしたい」などと絶望の中にも光を見つけられるようになったのです。

・人のために何かをする、人の役に立つ、ということが私に生きる希望を与えてくれるようになりました。

・正直、今も何かにつまずくと自分の存在が何なのか分からなくなるときはあります。しかし、女性としての自信はいまだに持てないものの、講演活動やたくさんの人びととの出会いをとおして、人間としての自分に少し自信が持てるようになってきました。

・夫とのけんか 
 確かに夫は優しいですし、仲は良いですが、そんなふうにおっしゃっていただくと、なんとなく抵抗がある私です。普通のご夫婦と同じようにけんかもしますし、私たちはそんなに特別ではありませんよ、と・・・。
 もともと、そんなにけんかしない私たちですが、私が車椅子生活となり、けんかをすることが増えました。特に杏子(ももこ)が産まれ、2歳になるぐらいまでは・・・。理由はどこの家庭にもあることかもしれませんが、夫の家事・育児への協力です。
 私は、共働きの両親に育てられ、父親(夫)が家事の協力をするものだと思って育ちました。
 しかしどうでしょう。いざ結婚生活が始まると、家事への協力はほとんどなし。働いていなかった頃はまだしも、保育士として働き始めても家事への協力はありませんでした。つい夫を責めたくなりますが、自分の足で動けた頃は、
(いちいちお願いして協力を求め、その度にイライラするのならば、全部自分でやてしまった方がラク!)と割り切っていました。しかし、自分が車椅子生活となってからはいくら自分で!といっても、限りがありました。
「まこちゃん(夫)、布団干して」
「えー、面倒くさいよ。干さなくたって平気だよ」
「そんなこと言って、先週だって干してくれなかったでしょ」
「うるさいな!」
「じゃあ、いいよ。お母さんに頼むから」
「すぐ、そう言うんだから、もうイヤだよ」
「だって、私と暮らすってそういうことじゃないの? 私だって、自分で布団が干せれば気持ちがラクだけど、できないの。布団干しどころか、まこちゃんの協力がないとこれから新しい家を建てて杏子と3人で生活することになっても、無理なことなんだよ。物もだしっぱなし、自分で片付けてよ・・・」
「あー、あー、うるさいなー。分かったよ」
 週末にはよくこんな言い合いになりました。自分でできない苛立ちも重なり、夫を責めることがよくありました。いくら妻が車椅子になったからといって、急に家事に協力してほしいと夫を責めても仕方ないのかもしれません。

・すると、自然と自分に遺された機能や可能性に感謝の気持ちが湧いてくることに気がつきました。そして、このわずかに残された機能で自分にできることを精一杯やろう。私は、自分にできることを精一杯やればいいだと考えられるようになりました。
 すると、気持ちがスーッとラクになりました。いつも今までの自分や他人と比べて、あれができないこれができないと、できないことばかり考えていたからです。それが、
「障害があっても私って結構あれこれできる。できないことはできる人に任せて、私はできることを精一杯にやっていこう」と気持ちが変わったのです。
「できることに感謝 できることを精一杯」は、私の人生のひとつのスローガンのようになりました。

・憧れの鈴木ひとみさん
 先の見えない入院生活。私ばかりか、私を心配するみんなを励まし続けてくれていた3冊の本があります。私が、まるでお守りのように大切にしてきた本です。それは、『一年遅れのウエディングベル』そして『気分は愛のスピードランナー』『命をくれたキス』です。

・「講演」というあらたな世界
 戸惑いつつお引き受けした講演ですが、回を重ねるうちにやりがいを感じるようになりました。そして講演という機会が、障害者として生きる自分の人間性を高めてくれているようにさえ感じるようになりました。それは、講演活動の中での貴重な出会いの数々のお蔭だと思っています。

・自殺を考えていたという男子生徒にも出会いました。
感想文より
 僕も毎日死にたいと思っていた時期がありました。精神安定剤と睡眠導入剤のおかげで今、また生きる希望が持てました。だけど、僕を救ってくれたのはその薬だけではなく、友人の「お前は、俺の大事な友だちだ」という言葉でした。そのとき、僕は、また人を信じて生きる勇気をもらいました。
 やっぱり自分はみんなに支えられていきているんだなということを又野さんの話を聞いて改めて実感しました。
 これからも辛いことや悲しいkとおがお互いにあるかもしれないけれど頑張って生きていきましょう。

・命を失ったかもしれなかった私が今、こうして笑顔で生きるなかで命や愛の素晴らしさを一人でも多くの人に感じていただけたら幸いです。特に、誰よりもこれからの明るい社会づくりの大きな担い手となる我が子はもちろん、一人でも多くの子どもたちのために、たとえ小さなことでも何かができたらと考えております。

・そして、障害を負ってから、以前に増して、出会いを大切に考えられるようになりました。それは、事故に遭遇してから今まで素晴らしい出会いに恵まれ、その出会いをきっかけに人生が豊かになったように感じるからです。恋人に限らず、きっと人と人との出会いは運命だと思います。
 障害を負ったからこそのたくさんのステキな出会いに感謝しています。その出会いこそが私を笑顔へと導いてくれました。きっとこれからも素敵な出会いがたくさん待っているはずです。その出会いをいつも大切に生きたいと思っています。
 そして、これから待ち受けている苦難から決して逃げずに、何よりも自分を信じて前を向いて生きていきたいと思います。

感想
 あるものを失い、絶望に感じ、周りの優しさと理解に助けられ、支えられながら生きる意味・価値を見出され、人生を自分だけのためだけでなく、誰かのためにとの視点を持ち頑張っておられます。
 車椅子になり、人生に意味がない、価値がないと自分で思っているということは、その人々の人生も「意味がない・価値がない」と否定していることになるのです。
 つまりそれまでそういう意識で車椅子の人を見ていたことになります。
ただ、「意味がある・価値がある」と思っていても、それを自分がどう実現できるか悩み苦労することはあるかと思います。
 どう自分の生きる意味を価値を見つけていくか。
それは自分で行動出来るときから、車椅子生活になる前から考えていきたい課題なのかもしれません。
 つい人は失ったものに目が行き、まだ”あるもの”を見ようとしません。
失ってから、”あるもの”の大きさに気づくようです。
失う前に気づいて、それを生かすことをしたいです。
そのためには、失った人の本から学ぶことも大切なように思います。
それと失っても人生は”ある”ということも学びます。

この本は2009年10月に出版されました。
近況をネットで検索したら、各地の講演でお話をされていました。
3歳だった娘さんも17歳になられていました。



「詩集 病者・花 細川宏遺稿詩集」 ”44歳でガンで亡くなった東大の解剖学教授”

2024-03-11 04:52:04 | 本の紹介
・時の力
この世の中に
神というものが実在するかしないのか
それは僕にもよく分からない
ただ言えることはね 君
神のような力をもったものはたしかに存在する
それは時さ
時の経過のもつ神秘な力さ
耐えがたい苦悩と悲痛も
時の経過だけがそれを和らげ
癒してくれるのだ
よきにしろ
あしきにしろ
一応の決着をつけ
不思議な追憶の美化作用で粧ってくれるのだ

時の経過のもつ神秘な治癒の力
その力を信じて
暫し好みを病苦の跳りょう(ちょうりょう/はねまわること)に委ねることにしよう

・病苦
病苦は
人の心を耕す「すき」である
平板にふみ固められた心の土壌を
病苦は深く深くほりおこし
ゆたかな水分と肥料を加えて
みずみずしく肥沃な土壌にかえる
「深く」「肥沃に」をモットーとして

病苦に耕された人の心は
よわよわしく軟らかいが
柔軟にしなう強靭さをもっている
そしていろいろのものを生み出すゆたかさと

謙虚にものを見、「美しいもの」を讃嘆し
事の真贋を見抜き

深い深い苦痛の中にある
一種清浄なさわやかさ
自然が病苦に与える
せめてもの代償なのであろうか

・しなう心
苦痛のはげしい時こそ
しなやかな心を失うまい
やわらかにしなう心である
ふりつむ雪の重さを静かに受けとり
軟らかく身を撓めつつ
春を待つ細い竹のしなやかさを思い浮かべて
じっと苦しみに耐えてみよう

・人の世
一、一日一日をていねいに、心をこめて生きること
二、お互いの人間存在の尊厳をみとめ合って(できればいたわりと愛情をもって)生きること
三、それと自然との接触を怠らなうこと
結局のところ人の世の詩も幸せもこの他になく、それ以外はすべて空しいことにすぎないのではいかな

 今日は44歳の若さで亡くなった東大医学部教授(脳解剖学)細川宏(1922年6月17日~1967年1月14日)の詩を紹介したい。長谷川宏遺稿詩集「詩集 病者・花」は彼が死に至る病床で書いた詩を集めたものである。冒頭に24ページにわたる長編詩「病者」が収められている。一部を抜粋して紹介する。この詩を彼が作った時、彼自身が不治の病を患っていたことを知っていたかどうかは不明である。私が不治の病を得て病床で病魔と闘うとき、思い出したい詩である。

病者(ペイシェント)
   ―― Patients must be patient ――
        (病者とは耐え忍ぶ者の謂である)
病者は
辛抱づよく
耐え忍んでいる

何に耐え
何を忍ぶというのか
その身を襲う病苦の
激しくかつ執拗な攻撃を
じっと耐え忍ぶのだ

身を守るべき一片の盾もなく
敵を反撃すべき一握りの武器もなく
全身を敵の攻撃にさらしつつ
ただ一基のベッドに身を伏せて
ひたすら時の経過を待つのだ

何者が なにゆえに
かくも理不尽な攻撃を
その身にしかけてくるのか
大声をあげて問いただしても
応答はなく
姿も見えず
ただいずこからとも知れぬ敵の攻撃は
ひとしきり激しくその身をさいなむ
(中略)
病の戦場に夜のとばりが下りると
ベッドによこたわった病者は
そのまま地底の奥深くひきずりこまれる
急に厚みを増した空気は
病者の胸に息苦しくたれこめ
ベッドの周りには
無数のチミモウリョウがばっこして
さなぎだに病苦に悩む病者を
あざけり からかい いたぶる
神経はとぎすまされて鋭く
その鋭い神経に
瞬時もやまぬ肉体的苦痛の連鎖が
大波のごとく重々しくのしかかる

夜のとばりと共に
時間の進行は はたとその歩度をゆるめる
何度見直しても
粘着したように進まぬ時計の針
いたずらに神経をいらだたせる四辺の静寂
どう身をおいても不自然でぎこちない
苦痛の充満した病者の肉体を
離被架の鉄枠が非情にも
ベッドの十字架へとはりつけにする
ああこの夜の底知れぬ深さと
永劫とすら思える長さに
病者は耐え忍ばねばならないのだ
その果てしない絶望感と無力感を
黙って忍ばねばならないのだ
(中略)
病者はある日死者と語った
生前敬愛する先輩であったその死者は
己の体験した死とその実感を含めて
病者のもろもろの問いに快く答えた
死に伴う肉体的苦痛は
医薬品の進歩が著しく軽減してくれたこと
また死そのものの不安にもまして
遺族の将来に関するさまざまな不安が
大きな心理的負担となる事実など
その率直な感想は示唆に富んでいた
「ところであなたは死の直前まで
早く癒ってあれこれ仕事がしたいと
いつも語っていられましたが
自分の病が悪性不治のものであることを
本当に全くご存知なかったのですか?」と
病者は前々からの疑問を質してみた
死者は瞑想するかのごとく
暫し黙して後 静かに口を開いた
「そう このことは 僕も
一度誰かに話したいと思っていました
実はもう大分以前
ふとした機会に
僕は僕の病気の正体と予後の見込みを
ちゃんと聞き知っていたのです
一、二の例外を別として
僕がこのことを誰にも話さなかったのは
まあいわば
僕のささやかなプライドだったでしょうか
もしかりに僕が
俺はもうすぐ死ぬんだぞと
会う人ごとに言ったとしてみてごらんなさい
当人の気持ちは無理からぬとしても
返答に窮して困惑するのは
そういうのっぴきならぬことを告げられた人達
つまり僕の親しい周囲の人々に他ならないでしょう
そんな身勝手を
僕のささやかなプライドが
どうしても己に許す気にはならなかったのです
もっとも一面では
そのような返答のしようのない宣言によって
周囲の人々と僕との間の
すべての会話が断絶してしまうことに
この僕自身が
耐えられなかったかもしれませんが」
(中略)
今日も黙然と耐え忍ぶ病者の傍らを
重い時間の流れがよどみつつ流れる
病者を襲う病苦の執拗な攻撃は
まだその兆しを見せないけれども
さりとてそれが無限に続くものでもあるまい
日々進歩を重ねる医学陣に護られ
かつ肉身の切なる祈りに支えられた
病者の忍従の力が
いつの日か必ず
理不尽な病魔の暴力に打ち勝って
すべての苦悩を
追憶の淵に放擲する日がやってくるであろう
その日の接近を告げるひそやかな足音を
病者はじっと耳をすまして待つのである

 著者は東大医学部学生のころから将来を嘱望された稀代の秀才で、昭和28年東大助教授、37年、小川鼎三が定年退官したのち、39歳の若さで東大教授(解剖学)となった。しかし、わずか5年後、44歳の若さでがんのため死去した。2年間にわたる死への病床で綴られた詩の数々を、その死後、直接の師と同僚が編纂し、遺稿集として出版した。
① 長編詩「病者」
②「花さまざま」(50編)、
③「胸の水」その他(44編)、
④ 最後の日記の4部から構成されている。
 臨終の間際まで書き続けられた詩の数々には、病苦の率直な表現と一方でそれを医者として直視する現実感覚が交錯している。また、病床に届けられた花々に寄せるまなざしには、最後まで失われることのなかった精神のしなやかさ、ユーモア、他者への思いやりがあふれている。日野原重明氏、日本内科学会をはじめ、現在でも推奨されることの多い一冊である。
                                   
しなう心                          
苦痛のはげしい時こそ
しなやかな心を失うまい
やわらかにしなう心である
ふりつむ雪の重さを静かに受けとり
軟らかく身を撓めつつ
春を待つ細い竹のしなやかさを思い浮かべて
じっと苦しみに耐えてみよう                                   

しゃぼん玉
僕の身体が
七色のしゃぼん玉にかわって
空気中をふわふわただよいながら
ボシャンボシャンと消えていったら
さぞ楽だろうな

ききょう(さみだれききょう)<花言葉;変わらぬ愛>
ききょうの花がひっそりと静かに咲く
その淡い紫の五弁の花を
病床の僕は黙ってみつめる

長い無言の時が過ぎる                              

ききょうの花が
愛情のこもった口調でそっとささやく

いたわりと励ましの言葉である
「勇気を出しなさい
へこたれてはだめですよ
さあ、元気を出して 元気をだして」

僕はちょっととまどって眉をひそめ
やはり黙ったまま
今度は少し照れて顔をしかめる
静かな安らぎと想いがその心をみたしている

ききょうの花は相変わらず
ひっそりと静かに咲いている 

 僕は「生命の尊厳/
それはわれわれ人類という生物に課せられた/
第一義的命題に他ならないのだ/
人類はこの命題の達成に/
あらゆる努力を払うべき必然的義務を背負い/
その払われる努力そのものによって/
生命の尊厳は育てられ深められるのだ/
(中略)/
ましてや医学は/生命を守るというその本来の任務によって/
生命の尊厳を確保し増進するという/
人類に課せられた第一義的命題に/
奇しくも直接的につながっている/
医学が生命を守らんと真剣な努力を重ねれば重ねるほど/
期せずして生命の尊厳はより高められより深まりいく/
そこに生命の守り手たる医学が/
同時に生命の尊厳そのものの担い手として/
人類の一義的いとなみに/
大きな比重をもって参画するゆえんがあるのだ」
(「いのちの尊厳と医学」より)

感想;                                  
 39歳の若さで東大教授に就任。未来はバラ色に輝いていたと思います。
ところがガンで44歳の若さで亡くなられました。
無念だったと思います。
 2年間の闘病生活で創られた詩です。
詩がいろいろなことを訴えています。
そしてそれは心の叫びのように感じます。
 その詩から学びたいと思いました。
自分が死ぬとき、何で死ぬかはわかりません。
1/2はガンになると言われています。
私も38歳の時に胃がんで胃を2/3切除して30年が経過しました。
死を考えることが生を考えるとよく言われています。
まさに”死”を”詩”で教えていただいているように思いました。
 少しでも多くの方に詩を知っていただければとの願いを込めて。