芸術新潮 2014年2月号
(特集:「英国ヴィクトリア朝美術の陶酔(エクスタシー)―ラファエル前派から唯美主義まで」
[英題:From the Pre-Rahaelites to the Aesthetic Movement]
新潮社
2014
更新が遅くなった。
今年の1月下旬に発売された芸術新潮の「ラファエル前派展」と「唯美主義(ザ・ビューティフル)展」の特集号。
西洋美術関連の記事としては、いま挙げた両展覧会のものに加え、「シャヴァンヌ展」に関するもの、そして高階秀爾氏と原田マハ氏の対談(於:大原美術館[岡山])をまとめたものなどがある。
上で言及した三つの展覧会については、以前に訪れた所感をこのブログに綴った。
(→「ラファエル前派展」「唯美主義展」「シャヴァンヌ展」)
以下では、芸術新潮の今回の特集号における主な記事ごとに、雑感を述べてみたい。
● ヴィクトリア朝美術、反撃の50年! [Part1-3, 26-60頁]
「ラファエル前派展」の図版の監修者・荒川裕子氏が解説を担当された箇所。
さながら舞台の前口上のごとき、26頁右下の導入部分をまず引用しておこう。
印象派に先がけること20年強、西洋絵画史上初めてのアヴァンギャルド運動ともいわれるラファエル前派。
そのロックンロールな精神がうまく表現されているように思う。
さながら舞台の前口上のごとき、26頁右下の導入部分をまず引用しておこう。
フランスやイタリアに比べ、およそ百年は立ち遅れていた英国美術。
18世紀半ば過ぎ、ようやくロイヤル・アカデミーが設立されるもパッとせず、
世間でもてはやされるのは、おセンチな大衆絵画ばかり。
ついに業を煮やして立ち上がったのが、若きラファエル前派兄弟団。
彼らの挑戦は、やがて唯美主義という新しいうねりと一体化してゆく。
いよいよ、英国美術の巻き返しが始まった!
18世紀半ば過ぎ、ようやくロイヤル・アカデミーが設立されるもパッとせず、
世間でもてはやされるのは、おセンチな大衆絵画ばかり。
ついに業を煮やして立ち上がったのが、若きラファエル前派兄弟団。
彼らの挑戦は、やがて唯美主義という新しいうねりと一体化してゆく。
いよいよ、英国美術の巻き返しが始まった!
印象派に先がけること20年強、西洋絵画史上初めてのアヴァンギャルド運動ともいわれるラファエル前派。
そのロックンロールな精神がうまく表現されているように思う。
[Part 1 われらラファエル前派兄弟団! (28-35頁)]
ここで解説されているのは、いわゆるラファエル前派〈前史〉から、兄弟団設立、解散、そして後世における受容までを視野に入れた内容である。
英国における「ナラティヴ・ペインティング」[参考]の伝統(28頁)や、英仏のアカデミーの比較(29頁)など、興味深い内容が語られていた。
気になったのは、30頁下から32頁上にかけて解説されている「予型論(タイポロジー)」の話。
荒川氏の言う「予型論」の定義とは、
である。
英国における「ナラティヴ・ペインティング」[参考]の伝統(28頁)や、英仏のアカデミーの比較(29頁)など、興味深い内容が語られていた。
気になったのは、30頁下から32頁上にかけて解説されている「予型論(タイポロジー)」の話。
荒川氏の言う「予型論」の定義とは、
あるものが別のものの前兆を表しているということで、たとえば、幼いキリストの拳の傷は後の磔刑を、右端[注:ミレイの《両親の家のキリスト》(下図)を参照]の水桶を持った少年は後の洗礼者ヨハネを暗示する、といった具合 (30頁)
である。
「予型論」なるものは、Wikipediaの解説にもあるように、旧約の内容が新約で成就されるという、一種の聖書解釈のあり方を指すものとばかり思っていた。
しかし、絵画の世界においても使われることがあるというのは初めて知った。
個人的に、絵画の解説において「予型論」という言葉を使うのはあまりなじみがなかったため、まだ若干違和感がある。
実際、上に貼り付けたミレイの絵画のWikipediaページにおける解説でも、"typology"という言葉は使われず、それに相当する語(句)として、例えば"prefigure (prefiguring)"や"representing potential future ..."といった表現が用いられている。
絵画における「予型論」については、これからまた勉強していきたい。
しかし、絵画の世界においても使われることがあるというのは初めて知った。
個人的に、絵画の解説において「予型論」という言葉を使うのはあまりなじみがなかったため、まだ若干違和感がある。
実際、上に貼り付けたミレイの絵画のWikipediaページにおける解説でも、"typology"という言葉は使われず、それに相当する語(句)として、例えば"prefigure (prefiguring)"や"representing potential future ..."といった表現が用いられている。
絵画における「予型論」については、これからまた勉強していきたい。
[Part 2 P.R.B.セカンド・ジェネレーション、結集す (38-43頁)]
この箇所で主に解説されているのは、ラファエル前派第二世代にあたるモリスやバーン=ジョーンズらについて。
39頁下では「ハイ・アート(高尚な純粋美術)」と「アプライド・アート(応用美術すなわち装飾デザインや工芸など実用性を兼ね備えた芸術)」とが二項対立の形で比較されている。
おそらくモリスの場合だと、「ファイン・アート」に対する「レッサー・アート」ということになろうかと思われる。
この二語に関しては、以前にもこのブログで触れた。
どの用語を用いるかという問題はともかくとして、前者の「ハイ/アプライド・アート」の方が一般的な言い方であることは確かだろう。
39頁下では「ハイ・アート(高尚な純粋美術)」と「アプライド・アート(応用美術すなわち装飾デザインや工芸など実用性を兼ね備えた芸術)」とが二項対立の形で比較されている。
おそらくモリスの場合だと、「ファイン・アート」に対する「レッサー・アート」ということになろうかと思われる。
この二語に関しては、以前にもこのブログで触れた。
どの用語を用いるかという問題はともかくとして、前者の「ハイ/アプライド・アート」の方が一般的な言い方であることは確かだろう。
[Part 3 ただ美しいって罪なこと? (48-60頁)]
48-49頁に、レイトンの《浜辺で小石を拾うギリシアの娘たち》[下図参照]が見開きで載っている。
本作は「ラファエル前派展」と「唯美主義展」のいずれにも出展されていないが、みる限りでは明らかに《エルギン・マーブル》の影響を受けている。
本作は「ラファエル前派展」と「唯美主義展」のいずれにも出展されていないが、みる限りでは明らかに《エルギン・マーブル》の影響を受けている。
もっとも、加藤明子氏がムーアについて述べているように、レイトンの場合も単なる「古代ギリシアの情景の再現ではな」いだろう(64頁)。
ラファエル前派の画家にしてもそうだが、19世紀後半に勢いを増した英国画家は、古代や中世(ないしは遠く離れた日本)に霊感源を求めた。
しかし彼らが成し遂げようとしたのはあくまで〈新たな美〉を生み出すことであって、単なる〈懐古〉や〈追憶〉ではない。
また本セクションでは、唯美主義絵画における〈眠る女性たち〉についての分析(53頁)や古代趣味の広まりに関する解説(同)などが興味深かった。
ラファエル前派の画家にしてもそうだが、19世紀後半に勢いを増した英国画家は、古代や中世(ないしは遠く離れた日本)に霊感源を求めた。
しかし彼らが成し遂げようとしたのはあくまで〈新たな美〉を生み出すことであって、単なる〈懐古〉や〈追憶〉ではない。
また本セクションでは、唯美主義絵画における〈眠る女性たち〉についての分析(53頁)や古代趣味の広まりに関する解説(同)などが興味深かった。
●生活のなかの唯美主義―「ハウス・ビューティフル」 (62-68頁)
先ほども少し触れた加藤明子氏による解説パート。
64頁でも言及されているように、唯美主義者たちが純粋に〈美〉を追求していった結果、それが室内装飾をはじめとする〈実用〉に結びつくという過程は興味深い。
先日の数学の話ではないが、〈実利〉を最初から意図した〈有益さ〉というものは、ときに〈浅い〉ものだったりする。
真に〈有益〉なものを生むのは、実際には〈無益〉な(れど〈美〉な)るものの追及にあるのではないだろうか。
64頁でも言及されているように、唯美主義者たちが純粋に〈美〉を追求していった結果、それが室内装飾をはじめとする〈実用〉に結びつくという過程は興味深い。
先日の数学の話ではないが、〈実利〉を最初から意図した〈有益さ〉というものは、ときに〈浅い〉ものだったりする。
真に〈有益〉なものを生むのは、実際には〈無益〉な(れど〈美〉な)るものの追及にあるのではないだろうか。
●英国カルチャーシーンの19世紀リヴァイヴァル (69-71頁)
ここではラファエル前派をはじめとする19世紀ヴィクトリア朝の嗜好性が、21世紀においていかに表象されているかを探っている。
雑誌やファッション、音楽に加え、BBCのドラマ「シャーロック」や、このブログでも以前に取り上げたDesperate Romanticsも扱われている。
少し気になったのは、69頁右下の画像のキャプション。
「『Desperate Romantics』より。ミレイが《オフィーリア》のモデルのシダルを浴槽に浮かべる場面」とある。
画像はこれ[下図参照]と同場面のものを用いている。
確かに、ここでの主語は、史実的には「ミレイ」でいいのだろう。
しかし、細かい話になるが、ドラマの設定としては、Fred Waltersという(実在しない)人物がシダルを浴槽に浮かべたことになっている。
ともかくも、論全体としては面白かった。
しかし、細かい話になるが、ドラマの設定としては、Fred Waltersという(実在しない)人物がシダルを浴槽に浮かべたことになっている。
ともかくも、論全体としては面白かった。
その他の記事も、興味深い内容であった。
●もしかしたら"ヴィジュアル系"? [76-77頁]
...エスプリの効いた記事
●少女マンガ家はラファエル前派の夢を見るか [76-85頁]
...その関係性や、意外に密接
●ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ―知られざる巨匠の古代幻想 [104-09頁]
...シャヴァンヌの〈アナクロニズム〉と〈モダニズム〉
●特別対談(鼎談?) 高階秀爾×原田マハ 「美術史とミステリーには共通点がある」 [110-11頁]
...推理小説と美術鑑賞
●海外アート―きみはターナーの海を見たか [125頁]
...ターナーとメルヴィル『白鯨』
良質の記事群だったように思う。
図版も多く、手元に備えておきたくなる一冊である。