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西洋美術関連ブログ 思索の断片
―Thoughts, Chiefly Vague

「アルバート氏の人生」 (2011)

2014-03-11 17:01:44 | 映画

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アルバート氏の人生
(原題:Albert Nobbs)
監督 ロドリゴ・ガルシア
出演 グレン・クローズミア・ワシコウスカアーロン・ジョンソン
2011
(IMDb)

ジェイン・エア』、『嵐が丘』、『アグネス・グレイ』・・・。
数々の傑作で19世紀の英文学史にその名を刻んだブロンテ三姉妹シャーロットエミリーアン)は、作品を上梓するにあたり、それぞれ男性の筆名を用いた。

シャーロットは「カラー・ベル」、エミリーは「エリス・ベル」、アンは「アクトン・ベル」。
上に挙げた有名な作品はもちろん、それらに先がけて彼女らが1846年に上梓した詩集のタイトル(Poems by Currer, Ellis, and Acton Bell)にも同筆名が用いられている。

このように女性作家が男性の筆名を用いるという行為は、かつて文壇における女性の地位が現代ほど高くなかったころには、比較的よくみられるものであった。(参考
19世紀でいえば、ジョージ・エリオット(本名:メアリー・アン・エヴァンズ)しかり、ジョルジュ・サンド(本名:アマンディーヌ=オーロール=リュシール・デュパン)しかり。

また絵画の世界においても、画壇の多勢は長らく男性が占め、女性の画家が日の目を見ることは決して多くなかった。
19世紀以前の時代に限れば、ぱっと思いつく女流画家は、マリー・アントワネットの肖像画を手掛けたヴィジェ=ルブランや印象派のベルト・モリゾメアリー・カサットくらいである。


[左:ルブラン(自画像)、中央:モリゾ(マネによる肖像画)、右:カサット(自画像)]

西洋の女流画家については、こちらのWikipediaページでも解説されているので、興味のある方は参照されたい。

さて、今回取り上げるのは2011年のアイルランド映画「アルバート氏の人生」である。
本作の監督を務めたのは、『百年の孤独』で知られる作家ガルシア=マルケスの息子であるロドリゴ・ガルシア

アイルランドの作家ジョージ・ムーアの小説を原作としたこの映画では、ブロンテ三姉妹と同様に、〈男〉として社会的にふるまわないことには働き口が見当たらず、生きてゆけない、ひとりの〈女性〉に焦点があてられる。

〈性〉の秘密を隠しつつも、ホテルのウェイターとして、日々仕事をこなす主人公アルバート・ノッブス。
生きるために必死で働く彼女の〈強さ〉の裏には、孤独のなかで心のよりどころを求めようとする〈繊細さ〉も同時に存在する。

映画の前半に、ホテル内での〈仮面舞踏会〉のシーンがある。
ジェンダー的視点から言って、映画の主題を象徴する場面である。

それと同時に、以前に「レンブラントの夜警」のレヴューを書いたときにも触れたが、やはり「アルバート氏の人生」における本シーンでもシェイクスピアの有名な一節を思い起こさせる。
もう一度引用しよう。

All the world's a stage,
And all the men and women merely players:
They have their exits and their entrances;
And one man in his time plays many parts
            (As You Like It, Act II Scene VII)

この世界はすべてこれ一つの舞台、
人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ、
それぞれ舞台に登場してはまた退場していく、
そしてそのあいだに一人一人がさまざまな役を演じる
            (小田島雄志訳 『お気に召すまま』)

〈男女を問わず〉という箇所は、とりわけこの映画の内容に照らし合わせて考えると、より重みを増して迫ってくるのではないだろうか。

本映画全体を通して―――

主人公の生き様が〈美化〉されているわけでもなければ、物語になにかしらの〈救い〉があるわけでもない。
しかしながら、それでいて、観終わったあとの胸のうちには、深く、そして澄んだ〈美しさ〉が広がる。

この感動を言語化できるだけの人生経験は、私にはまだない。