ポーランドからの報告

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ポーランドの独立記念日

2006年11月11日 | 歴史

今日、11月11日は、ポーランドの独立記念日、 シヴィエント・ニィエポドレグウォシチ(święto niepodległości) です。

第一次世界大戦終了後の1918年11月11日、123年間続いた三国分割の時代を経て、ポーランドがロシア帝国から独立した日です。昨日あたりから、あちらこちらの家で、赤白のポーランド国旗が掲げられているのが目立つようになりました。また今年の独立記念日は、土曜日なので、一部の会社や学校では、振り替え休日を設けたところもあるようです。

ちなみに、11月11日は、アンゴラの独立記念日でもあります。 そして「鮭の日(魚辺に十一十一と書くから)」、「電池の日(十一がプラス・マイナスに見えるから)」、「下駄の日(下駄の足跡が11に見えるから)」だそうです。


ところで、ポーランドの独立記念日、昔は7月22日でした。

ポーランドのように、大国に挟まれて消滅・独立を繰り返した国では、複数の独立記念日があります。そのうち歴史上もっとも重要なものを、独立(建国)記念日とするわけです。

これまでの独立記念日であった7月22日というのは、第二次世界大戦中の1944年、ルブリンにおいて、ポーランド国民解放委員会(ルブリン政府)が結成された日でした。

しかしポーランドの歴史を考えてみれば、11世紀の建国以来、18世紀まで、東欧の大国として独立を保ってきたところを、18世紀にロシア・プロイセン・オーストリアの三国に領土を分割され、地図上から消滅してしまったわけですから、その雪辱を果たした1918年の王国の独立回帰の日は、歴史上、大変重要視されています。

しかし20世紀のソ連支配下の社会主義体制では、ロシア帝国からの独立などという記念日は、もちろん到底認められるわけはありませんでした。社会主義が崩壊し、ソ連(ロシア)の影響下を離れたことにより、晴れて、ロシア帝国からの独立を祝うことができるようになったのです。そういうわけで、2,3年前から、ポーランドの独立記念日は、11月11日の「ロシア帝国からの独立を祝う日」に変更になりました。

ポーランドでは、この独立記念日の変更に関しては、特に問題もおきず、好意的に受け止められました。そもそもポーランドでは、第二次世界大戦は1945年で終戦ではなく、そこから新たにソ連の経済支配下に入った、との捉え方が一般的です。従って、2004年5月のEU加盟は、これでやっとソ連支配の悪夢から本当に独立した、と感極まって受け止められました。そういうわけで、「EUに加盟した今、改めてソ連(ロシア)支配からの独立を祝おう」、そんな感じでした。

しかし昔も今も、ロシアと仲が悪いポーランド...
(というか、ポーランドと仲が悪いロシア...というべきか)

これで怒ったのがロシアです。プーチン大統領は、ポーランドの独立記念日の変更を、ポーランドからの挑発と受け取り、反撃にでました。

11月7日の「ロシア革命記念日」を突如廃止し、代わりに2005年から新たに、11月4日に「国民統一の日(День народного единства)」を制定しました。「ロシア革命記念日」は、1917年11月7日、社会主義革命が起こった日ですから、当然、ソ連時代には最も重要な祝日であった日です。それに対し、この11月4日というのは、17世紀(1612年)、ポーランド軍が一時モスクワを占領した時代があったのですが、この侵略ポーランド軍を、モスクワから追放した日(!)なんだそうです。国家の危機を前に、貴族と農民とが、階級の差を乗り越えて、一致団結して戦ったということで、「国民統一の日」。重箱の隅をつついたような、歴史マニアもびっくりの記念日なんです。

これには、当のロシア人ですら、「長年親しんできた7日の革命記念日を急に廃止されても、調子が狂ってしまう」とクレームするほどの、突然の変更でした。

しかしプーチン大統領に言わせれば、ポーランドがロシアからの独立を祝福するのなら、ロシアはポーランド軍の追放を祝福する、というわけです.......ちなみにポーランドとロシアの仲の悪さについては、書いて余すほどエピソードがありますので、当ブログでも、順次ご紹介していきます。

さてさて、11月11日は「世界下駄の日」と書きましたが、 7月22日も「世界下駄の日」 だそうです。どういうわけか、下駄に縁がある、ポーランドの独立記念日でした。


追記:11月11日は、聖マルチンの名前の日(ネームディ)でもあり、ポズナニでは、毎年、聖マルチンのお祭りが開かれます。くわしくは こちらの記事 をどうぞ。


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名門ヤゲウォ大学

2006年06月20日 | 歴史

クラクフは学生の街です。毎年新学期のシーズンには大勢の若者が町にあふれ、逆に大学が夏休みになると、街全体がなんだかひっそりとしてしまいます。

クラクフのヤゲウォ大学は、プラハのカレル大学に次いで、ヨーロッパで2番目に古い歴史を持つ名門大学です。14世紀、時の大王カジミエジュ三世によって、官僚を養育する目的で創立されると、16世紀には南欧で発生したルネッサンスをいち早く取り入れ、東欧ルネッサンス文化の担い手となりました。地動説を唱えたコペルニクス、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世など、ポーランドの歴代の著名人がこの大学で学んでいます。



現在でも、ワルシャワ大学と共に国内トップレベルを競い、物理学や情報科学、医学のレベルが非常に高いことで知られています。英語で学べることから国外からの留学生も多く、特に2004年5月にポーランドがEUに加盟してからは、北欧からの医学生が目だって増えました。

写真は15世紀から残るゴシック様式の大学校舎、コレギウム・マイウス。まるで中世にタイムスリップしたかのような、とても素敵な空間です。構内には、自然科学や歴史などに関する6つの博物館が入っており、コペルニクスが天体観測に使った天球技も展示されています。


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