旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

雑巾と文化の伝承

2009年09月17日 | ライフスタイル
私は過去、バイクショップで働いていた経緯から、汚れたものを拭く時にはウエスを使っていました。ウエスというのは、いらなくなった布の切れ端。古くなって汚れてしまったタオルやTシャツの切れ端などです。オイルまみれになった手を拭くのもウエス、ヘルメットのシールドを拭くのもウエスです。ついでに洗濯物を干す前に物干し竿を拭くのもウエス、テレビのブラウン管に静電気で着いたホコリを拭くのもウエスです。もちろん同じウエスを使うわけではなく、オイルを拭いたりした場合は基本的に使い捨て。テレビのブラウン管や物干し竿を拭くのは古くなったタオルで、このタオルに関してはたまにバケツに入れた水の中でバシャバシャ振って、ぎゅっと絞る程度に洗いながら使い続けていました。

先日、洗濯していた私は何気なくそのウエスを洗濯機に放り込んだのです。ついでなので、たまには本格的に洗ってやろうというわけです。少々汚れて、もはや灰色一色になってはいますが衣類などと一緒に洗うのを躊躇するような使い方をした覚えはありません。

さて、洗濯が終わって脱水から一連の洗濯物を出した私が目にしたのは、洗濯物に絡みついたウエスの切れ端でした。どうやら繊維が弱くなっていて、洗濯や脱水の際にウエスそのものが崩壊してしまったようです。せっかく洗濯したのですが、このウエスは天寿をマットウしたものとして、最後に物干し竿を拭いてゴミ箱に埋葬しました。

ウエスを使う生活習慣の私ですから、次のウエス候補が決まっていました。私がランニングの際に汗取り兼鉢巻として使っているタオル。これは鉢巻として頭に巻くため、末端の繊維が引っ張られて痛んできているので、ウエス候補となっていたのです。

今までのウエスの定位置であったバケツの中へタオルを放り込もうとした私はハタと気がつきました。このタオル自体、既に繊維が痛んでいますから、あっという間に前のウエスの後を追いかねないではないですか。1回か2回、バケツでバシャバシャやってギュッと絞ったら繊維の傷んだ部分から引き千切れてしまいそうです。

少し思案した私は、このタオルをウエスではなく、雑巾にすることにしました。もちろん男の一人暮らしにミシンなどありませんから手縫いです。でも大丈夫。雑巾は100円ショップで買う物という固定観念に毒される以前の世代であり、また家庭科が得意だった私にとって手縫いで雑巾を仕上げる程度の事はたやすい事です。少々縫い目が乱れても雑巾ですから。

マチ針で押さえて雑巾の形にしたタオルをチクチクと手縫いしながら、ウエスと雑巾の違いがどこにあるかをいまさらながら発見しました。実はこのときまで私は”汚れた物を拭くものを作るために、わざわざ針仕事をする意味”が理解できずにいました。だから私は何でもウエスを使っていたのだと思います。

ウエスは汚れた物を拭いたら捨てる前提、雑巾は汚れたものを拭いて、洗って、また使う前提。

私は物干し竿を拭くウエスを雑巾的に使っていたために繊維が崩壊してしまいました。一手間かけて雑巾にして使う先人の知恵は、何度も水をくぐらせ、手で絞るような過酷な状況におかれると布が傷むので、それに対抗して補強するための手間だったのだという事に気がついたのでありました。

本来の役割を果たさなくなった物に一手間加えて、また使い”続ける”いかにも日本的な文化を雑巾に垣間見た出来事でありました。

そういえば、学校に持っていく雑巾。近頃はスーパーや100円ショップで買った物を持たせる家庭がほとんどだと聞きます。雑巾を学校に持っていくという行為そのものから考えれば、わざわざミシンや手で縫うより正解だとも思えますが、こうやって育った子供たちには、雑巾に伝わる日本的な文化はもはや伝達されていく事はありません。こうやって文化というものは消滅していくのでありましょう。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿