旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

判断する角度の判断

2010年03月25日 | 旅行一般
お仕着せのパッケージツアーで守られて旅している時は別かもしれませんが、個人旅行で旅している時には毎日、いや、毎分のように様々なことを判断する必要に迫られます。目の前にいる人物は自分を騙そうとしているのか、親切な人なのかを判断したり、今日の宿泊先を判断したり、どこで食事をするのかを判断したり、そんなことが連綿と続いていきます。

実はこの点、旅が特殊な環境なのではなく、日常生活でも同じといえば同じです。大抵の人は毎日様々な判断に迫られていますね。日常生活に存在する”体験的に判定済み”という項目、たとえば、いつも利用する電車とか、いつも行く店のような安心材料が旅先では減少してしまいますが、逆に日常生活、特に仕事において求められる”判断ミスに対する責任”に関しては旅先では比較的軽微なものとなります。それを昔から”旅の恥はかきすて”というのかと思います。

さて、この、判断という事について。まず第一に”本当に判断しなければならないかを判断する”事が重要であることは以前、判断するかどうかを判断しよう。という記事に書きました。今回はその応用です。まず、実例で説明してみましょう。

スーパーカブでタイ=Day5に紹介したエピソードです。20年振りに訪れたメーサイの町。町が大きくなりすぎていて、宿探しの方法を思案している私に宝石と妙な薬を売りに来たミャンマー人の"売人”。

これは後で知ったことですが、薬の路上販売は違法であって、メーサイの警察署周辺には”薬の売買に関わらないように”という警告のビラが貼られていました。

話を元に戻します。
あなたはこの売人が”良い”か”悪い”かを判断できるでしょうか。

違法な売買に関わっていて、こちらが外国人旅行者であることがわかっていて声をかけてくるとなれば、当たり前に”悪人”と定義してしまうかもしれません。

あるいはミャンマーの経済情勢、政治情勢を少し知っていれば、そこまで単純に人を”悪人”と決められるかどうか迷うことができるかもしれません。

しかしながらまず気がつくべきなのは、実は上の2つは、実際には”当面、個人としては判断する必要がない判断”であるという事です。

旅人個人として、上の出来事から判断できるのは、この売人、”役に立つ”可能性が高いという事なのです。

タイの田舎町では英語は通じないところが多いですが、そんな中、とりあえずは英語で話しかけてきた少しは英語が話せる人間、しかもここで商売をしているという事は地理にも明るいはず。これから宿探しをしようとしている身ににとってはとても役に立つ人間が向こうから勝手に網にかかってきたという判断もできるわけです。

ただし、問題の種になる可能性もあります。それは、この売人から彼の販売している商品である宝石や薬を購入しようとする場合。その場合は、本物なのかどうかや、適正な価格なのかなど、また多くの判断を必要としますし、この点ではこの売人は信用できそうにありません。でももともと、その商品を買う考えの無い私としては、これも判断する必要のない事柄。

その人が”良い存在”か”悪い存在”かという判断は、こちら側の立ち位置によって大幅に変わってくるのです。しばらく家に泊めてもらうとか、結婚でもするとか、一緒にビジネスでもするとか、そんな意図でも無い限り、その人が”良い人”か”悪い人”かという、人間そのものを判断する必要はありません。

ところが、日常生活でも旅先でも、まず第一にその人が”良い人”かどうかをYes/Noでデジタルに判断して、Noと判断された人間を遠ざけ、折に触れて批判し、そのことによって相手より自分の能力が高いと勘違いしたりするような循環に陥ることがありますね。

そういう判断をしてしまった時は、自分には、どれほど特別な能力や地位があって、他人に”悪人”のレッテルを貼る権利を手に入れたのかという事について考えてみるべきだと思うのであります。


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