旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

食材と生ごみの境界線

2013年10月29日 | ライフスタイル
 お酒を飲んでよい年齢と飲んではいけない年齢のような考え方としての境界。お隣の家との境界のように物理的な境界など、我々の周囲には様々な境界線が存在します。そして何かと争いの火種になる事も多いのがこの境界線であるとも言えます。

 国と国との境界線、国境は旅人である私たちにとって関わりの深い物なので、この事について触れるのが旅のウンチク的な気もしましたが、もっと身近な所で境界線そのものについて考えてみましょう。

 私はほぼ100%自炊生活なのですが、”三角コーナー”を使わずに調理する習慣の私は、調理する際に出る”生ごみ”を調理に普段使っているボウルの1つに収容する方法をとっています。調理が終わったらボウルにたまった生ごみを生ごみコンポストへ埋めてボウルを洗います。このボウルは次回、調理に使うかもしれませんし生ごみを捨てるのにも使うかもしれません。つまり、生ごみを捨てる入れ物と調理する際に使うボウルの境界が我が家では存在しないわけです。ただし、ボウルは毎回きれいに洗います。

 さて、生ごみボウル。野菜のヘタや魚の内臓や卵の殻やお茶殻などがどんどん投げ込まれていくので、さすがにこの中に投げ込まれた時点で、その物体は直前まで”食材”であったものが”生ごみ”という存在に認識が変わります。厳密に考えると、おそらくこの物体がボウルの内部に接触した瞬間に”生ごみ”に生まれ変わると言えると思います。つまり、ボウルの内部の表面が食材と生ごみの境界線となりそうです。

しかし、この法則にあてはまらない場合もあります。

 調理開始直後。ボウルはまだ新しい状態で、キュウリを切り始めてヘタをボウルに放り込んだとします。その後”捨てようと思ったけど塩を振ってヘタも食べちゃおうか”と気が変わった場合、この時点ではまだボウルは”生ごみ用”との用途が確定していないので一旦生ごみとなりかけたキュウリのヘタが食材に返り咲いた状態となります。

 つまり、先ほど発見した食材と生ごみの境界線はボウルに何も入っていない時点では無効となります。

 あるいは、既に多くの物体が投入された後のボウルではあるのですが、その上にキャベツが1枚、蓋のように乗っていたとします。その上にちょっと手を滑らせてジャガイモを落としてしまった場合はどうでしょうか。多分意見は分かれます。私にとってはこのジャガイモは全く問題なく食材として復活します。だから私にとってはもう一つの境界線無効が発生するわけです。人によってはもうどうしても生ごみとしてしか認識できない人もいるでしょう。

 明白な違いを感じる食材と生ごみの境界も、思いのほか曖昧なもののようですね。世の中のあらゆる境界線や判断基準も同じように曖昧なものと言えるのではないでしょうか。


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