海辺の町から

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四人はOK?

2021-01-10 09:16:01 | 日記

  定期船が通い三日分の新聞が届きました 島に暮らす透析患者の命が保たれ他人事ながら安心しました


昨日TVのインタビューに答えていた自民の国対委員長
国会議員の会食を四人にすると
与野党集まって議論することだろうか
そこじゃ無いでしょと突っ込みを入れたくなる
この寒風の下コロナで職を失い住むところまで失った人達がいると言う事を
政治家としてどう考えているのか
国民の安全安心を司るのが政治では無いのか
四人五人その様な問題では無くそもそも会食を念頭にした
会議をしようとしているのが間違いであって
飲食店に時間短縮を強いる前に国会議員自ら範を示すのが本当では無いのか
一貫性の無い対策がコロナ陽性者の拡大を招き
無策に因ってここまで長引かせてしまった責任は
決めきれないアナタにあるのです。
医療関係者の悲痛な叫びに耳を傾け
専門家の意見を真摯に受け止めるべきです。
欧州の感染を学ぶ時間は少なからずあったと思います。
せめて後世にきちんとしたデーターの保存をし
隣人の台湾を見習って欲しいと思いました。

警報が出るなんて

2021-01-09 14:37:25 | 日記

  時折太陽が


  野菜も雪の下に


人工物を凌駕するかのように一面の雪景色
定期船は通わず 郵便屋さんも来ない生協も来ない。
時折覗かせる太陽も雪雲には勝てず早々に退散
大雪警報が継続されています。
買い物に出かけようにも峠の一本道は凍てついて
そのうち溶けるだろうと高を括り
冷凍庫の掃除をしています。

菜園は雪に埋もれ
雪国と違って 生活は南国で備えが乏しい
無用な外出を避け 雪が止むまで籠るとしましょうか。



愛媛も雪になりました

2021-01-08 11:07:51 | 日記

  寒さが厳しくなると気嵐が見られます


  降り続く雪
  

外がいやに明るい。
七時を過ぎているのに自由気ままな生活に寒さが加わり
もう少しと布団から出るのを躊躇っています。
街に住む孫達は今日が始業式 登校途中だろうかと
学区の境界線近くに住んで居るため学校までの距離がありそんな孫達を思いつつ
皆そうして大きくなってきたのだと自身を納得させているのです。
世間はもう動き出している。
昨日から降り続いている雪 外は冷凍庫の世界です。
昔父の仕事で福島県南に住んでいた頃
社宅板戸の節穴から除いた幽玄の世界は
未だに新鮮で雪の日の楽しみでした。
今は板戸からサッシに変わり試しようも無いのですが
もう一度覗いてみたい世界です。

温暖な土地愛媛の雪を珍しがられるのですが
関門海峡を吹き抜ける寒気を伴った北西の風が吹くと積雪になるのです。
桜の開花も寒暖の差の厳しい土地ならではの日本一なのですが
大人の事情で測候所が何年も前に閉鎖され
日本一の座を譲りはしたものの内心違うのになァーと粋がっています。

寒波の訪れが

2021-01-07 11:13:03 | 日記

  風が強くなってきました


  収穫する人もいない甘夏柑


冬枯れの木立の中を歩いていた。
北西の風は色あせた広葉樹を震わせ姿の見えぬ鳥たちの囀りを聞きながら
寒波が来る前にかさ増しした身体で峠を目指した。
イノシシに出くわしたらどうしようかと
役にも立たない木の枝を護身用にして。
行き交う人も車も無く静けさだけが置いてきぼりにされていた。
枯れ草の中から鳥たちによって運ばれたビワの木が生え
昔海辺の町では漆の木から蠟を採取していた名残だろうか
艶やかな漆の木が山一面に映えていた。
された松の根元には世代を繋いだ若木が育ち
海辺の町の小さな自然界にも世代交代が行われていた。

暖かかった昨日に比して格段に寒くなった今日
雨が雪に変わるのも間近そうだ。

定期船

2021-01-06 09:30:20 | 日記

  顔を覗かせた太陽


  マルチをした玉葱としていない玉葱の比較 歴然の差です


今日は定期船の当番日です。
風が強く船着き場の先端は身体ごと風に持って行かれそうになり
必死に足を踏ん張っていました 今朝は地元紙の朝刊のみです。
定期船は島に住む人達にとっての命綱であり況してや透析患者にとっては
二日に一度の通院は不可欠で時化の続くこの時期欠航の時などは
他人事ながら大変だろうなと思います。海辺の町にも透析で
通院されておられる方がおりますが一日仕事です。
まだ陸路一時間で通える安心が担保されているのでそこは幸せかと思います。
島嶼部の生活には島嶼部でなければ体感できない便利さと不便さが同居しています。

昔息子達が中学に入学するとき 人口減少で中学校が統廃合され六つの校区が一つになり
街まで行く途中の中間地点の中学に入学するようになりました。
バスの通ってなかった当区の子供達は島の子供達との寮生活が
当たり前の事実でしたが12歳の子が親と離れての生活に
親の方も寂しさがあり何れは巣立つ子供達との時間をもう少し共有したいとの思いもあり 
ましてや陸続きの地 バスの乗り入れに奮闘し結果バスの乗り入れとバス通学が可能となり
以来高校迄は親元から通えるようになり安堵したものです。
都会では当たり前でも当たり前で無い生活が人々を遠ざけてしまっているのでは
無いのかと思うときがあります。
街まで車で一時間の道程 海岸線の景色は素晴らしいのですが
高齢ドライバーになれば免許返納は生活していく上での
足を奪われてしまう状態です。
海辺の町から当地のバス停まで車で10分 到底歩ける距離では無く
唯一の交通機関である定期船のお世話にならないといけなくなるのです。
せめてあと車で10年否15年は欲張りでしょうか。