海辺の町から

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無農薬野菜作り

2024-09-26 22:05:53 | 日記

  夕方用事で街までの途中 山の端に太陽が沈み掛けていました。


季節に乗り遅れたツクツクボウシが鳴いていた。
夏日の続く毎日 ツクツクボウシも何時もと様子が違うのか。

ブロ友さんが白菜の残留農薬について書かれていた。
白菜には大量の農薬が使われているらしい しっかり洗う事で60%除去されるというが
のこりの40%は体内に吸収されると言うことだろうか。

今年の暑さに野菜作りを迷っていたが ジャガイモ種も玉ネギ苗もJAに注文済みだった。
白菜の残留農薬の多さを知ってから思い立って菜園の草引きをしている。
そう言えば店頭に並ぶ白菜は虫喰いもなく綺麗だ 私が作る物と言えば虫喰いは当たり前 
気を取り直して夏日の炎天下菜園にいた。

鍋の季節になればフンダンに食べられる自家製野菜 無農薬だからこそとの思いがある。
白菜に限らずブロッコリーもキャベツも葉物野菜も そう考えるとやはり作ろうと思えてくる。

形が少々悪くても野菜の成長過程を知っている。
農薬を使わず虫取り網片手に虫や蝶達との戦いの日々が待っている。

お米よ おまえもか

2024-09-24 20:49:06 | 日記

  義妹からのプレゼント 手作りの品は嬉しい。


  夫に目の毒な戴き物です。


店頭に新米が出回りだした。
例年ならお盆には新米を戴くけれど 今年は未だ食べていない。
巷で米不足が報じられたその頃お米が手に入らないと長男坊から電話があり
翌日街からお米を送った。

農水省が今年の作柄概況が発表されていたのを知っていた。
平年並みとの予測が出され安心していたのだが
しかし蓋を開けてみれば米不足報道。
人々は我先にとお米の確保に走り店頭からお米が消えた。
幸い我が家は予約のお米があったので気にはしていなかった。

お米の収穫期にお米がない 何故という思いだ。
お米がない 業者は価格をつり上げる それでも消費者は求めるという構図が出来
新米の出回る前から価格が高騰 当然新米は高値安定となってしまった。

出し惜しみする供給米に少々高くても群がる消費者
米不足報道に踊らされ高値安定の一端を担いだ消費者にも反省の余地がある。




地球の嘆き

2024-09-22 20:47:02 | 日記

  靄が掛かり見通しが悪い 遠くには魚の出荷場の灯りが点っている。


早朝からの強い雨にかみなり 強弱を付けながら一日中降っていた。
秋は海辺の町にも大雨を連れてきた。

「がんばろう能登」の横断幕に想いをはせながら復旧途上の能登の地に
又大雨が追い打ちを掛けている。
恵みをもたらせてくれた雨も時として大地の姿を変えてしまう。
濁流に覆われた田んぼには収穫を目の前にした稲穂がある。

地震かみなり大雨と災害は頻繁にやって来て年追う事に大きくなっている。
人類の営みがもたらした地球温暖化 海水温の上昇に体温を上回る気温に嘆きながら
果たして地球の嘆きを聞いてきただろうか。

混戦模様の大相撲秋場所

2024-09-20 11:58:01 | 日記

  5時57分の日の出 慌てて飛び出しています。


  春に小さな苗を求め今年は花は無理かと思っていたら咲き出したレウコフィラム。


  実りの季節を堪能しています。


大相撲秋場所も終盤に入り大の里の優勝が濃厚かなと思っていたが 昨日若隆景に寄り切られ1敗を喫し
2敗に霧島と高安が続きにわかに混戦模様を呈してきた。

何年か前横綱大関が外国勢に占められてから 日本人力士の此処ぞという時の弱さを感じていたが
遠のいていた相撲が此所に来て俄然面白くなってきた 強い日本人力士の台頭である。

相撲が盛んな東北 昔地方巡業で来た大相撲を家族で見に行ったことがある。
小峰城址の広場に土俵を設えラジオで聴いていた力士が目の前にいる 子供心にワクワクしていた。
2つ年下の弟 生まれたときの体重が1貫300匁(4.5Kg)とか 
親は余りの大きな子に貫太郎と名前を付けたかったと大きくなってから聞いた。
健康優良児の弟に部屋の親方が声を掛けたらしいが定かではない。

当時は信夫山や明武谷が好きだったが今は錦木に正代十両の尊富士がイイですね。
今場所は3力士とも勝ち越して尊富士は十両優勝の期待が掛かります。

今宵は十五夜

2024-09-17 13:19:05 | 日記

  今日も暑くなりそうです。


  浜のススキを手折って。


遙か昔 お月見の日が休日と重なると母に頼まれ近くの製粉所に餅米を粉にして貰いに行った。
小さな川の側に水車小屋が何軒かあって お米が粉になるのを眺めていた。
粉まみれの製粉所は決して綺麗とは言えなかったがサラサラになった餅粉は雪のように白くて綺麗だった。

七草がゆに始まって暮れのお餅つきと事あるごとに 行事を通して子供達に体験させてくれた。
お月見もソウだった。大きなまん丸のお団子を15個重ねて月を待つ。
ススキと野の花を花瓶に挿して 秋の収穫物を供えていた。

日が落ちると子供達の出番である。社宅を回りながらお月様のお供え物を頂いた。
細長い竹の先に先を曲げた金具を取り付けてよそ様のお供え物を頂戴する
金具を付けていても役には立たず月夜にお見通しの姿は嘸滑稽であったろうと。

未だ来ないねーってあの頃の家庭は子供達が来るのを待っていてくれた。
我が家も縁側にお供え物を設え裏庭から届きやすいところに置いていた。

何物にも代えられない体験を一杯して男勝りと言われて育ち野山を駆けまわっていた。
ターザンごっこに直滑降のそり滑り 親の知らない危険な事を一杯して大人になった。

今宵はススキを飾り母の好きだったおはぎではなくぼた餅を作ろう!