いつもお世話になっている会社の、移転の手伝いに出かけた。自宅から、徒歩で、JR松江駅まで行こうと思っていたが、7時前、妻に灘町まで送ってもらい、そこから徒歩で行った。ロッカー、机、事務用品、電話、パソコン、等々沢山の品数。旧事務所から新事務所の往復で足が痛くなった。今夜は夕食が美味しいと思う。
17時過ぎ、自宅まで徒歩で帰ろうと思っていたが、永江君の好意に甘え、自宅まで送ってもらった。
いつもお世話になっている会社の、移転の手伝いに出かけた。自宅から、徒歩で、JR松江駅まで行こうと思っていたが、7時前、妻に灘町まで送ってもらい、そこから徒歩で行った。ロッカー、机、事務用品、電話、パソコン、等々沢山の品数。旧事務所から新事務所の往復で足が痛くなった。今夜は夕食が美味しいと思う。
17時過ぎ、自宅まで徒歩で帰ろうと思っていたが、永江君の好意に甘え、自宅まで送ってもらった。
6時自宅出発。矢田からバイパスに乗り、そのまま高速で大山へ。自宅から高速で60キロ弱。約1時間で大山寺へ着いた。今日は平日。国立公園大山を一人占めにして、満喫しようと思っていた。
標高1300メートルまでは、誰にも合わず、下の方で、時々大山寺の鐘の音が小さくボ~ンと、鳴るのが聞こえて来るのみ。他には何も聞こえない。ただ、小鳥のさえずりのみを聞きながら、テクテクと上った。手を伸ばせば、届きそうな所に、小鳥がいる。僕が1歩前に進めば、小鳥は少し下がる。僕と同間隔の距離を保ちながら、小鳥がついて動く。
それから少し上ると、赤い登山服に2本の杖を使いながら、うさぎの様に、ヒョンヒョン下りてくる老人に出会った。その姿を見た時、昨年の5月に出会った老人であることが、思い出された。「又お会いしましたね、今年何回目ですか?」と尋ねたら「今年75回目です。散歩する様なものです」と軽く答えた。
頂上に近づくにつれ、崩壊が進んでいた。
途中で出会った人が、「モルタルでも吹き付け、崩壊を防げば良いのに」と話しておられた。
頂上からの縦走路は崩落が激しく通行止め。
9時30分妻に頂上へ着いたと連絡を入れる。
下山なのだが。。。。。
下の方から、ワイワイ、ガヤガヤ声が聞こえてくる。
先ず出会ったのが、岡山県の金光学園の198名。続いて米子のなるみ小学校50名。大山小学校20名。境港市の外江小学校50名。倉吉養護学校30名。三朝小学校63名。鳥取の小笠原中学校45名?。鳥取船岡中学校46名。計502名。
出会う度に、「こんにちは」「こんにちは」「こんにちは」「あと少しだ、頑張れ!」この言葉を何十回言ったことやら。
最初の目的は、国立公園大山を一人占めする事だったのだが、山は大渋滞。12時45分帰宅。エアーサロンパスを大量に、太ももに吹き付け、ブログ作成中。
「今日は、アジ子釣って帰らないでョ」と妻が言っていたので、1発の大物狙いにする事に決め、竿は6メートルの3号竿、撒き餌のジャンボ、附け餌、大型のスカリ、玉網、竿置き、道具箱、先日購入して今日始めて履く、高級なスパイクのブーツスタイルで、15キロ位の荷物を背負い、潜戸鼻へ向った。天気図を見たら、等圧線の間隔が広がっていたので、1発狙いの潜戸に決めた。灯台から、千畳敷を見下ろすと波が洗っていたが、高い所に立てば、大丈夫だろうと思い、下りて少し高い岩に摑まった瞬間、大波が来て、ベルトから下、ずぶ濡れになってしまった。岩に摑まっていなかったら、沖に流されていただろう。危険を感じ、直に引き返した。
適当な磯が見つからず、恵曇の新新坊へ行った。結局1時間半程でアジ子34匹。17時30分納竿。近くで釣っている人達は、ルアーでイカをコンスタントに釣り上げていた。
18時30分頃から、「さくら川」で会食。メンバーは4名。生、焼酎のボトル、刺身、てんぷらの盛り合わせ。35センチぐらいの大アジの塩焼き。この焼きアジ1匹で、腹が満腹になりそうだった。最後に海苔茶漬け。楽しい会食だった。21時タクシーで帰宅。
6時30分松江発⇒国道9号⇒国道54号⇒三次⇒三和町⇒広島空港着10時 171.1キロ
10時30分広島空港発⇒本郷⇒山陽自動車道⇒岡山⇒岡山道(12時高梁サーヒースエリア)⇒中国道⇒津山で高速下車⇒国道53号⇒智頭町⇒鳥取14時着 267.1キロ(キャリアカー道路代5,100円也)
15時鳥取発⇒国道9号⇒米子着17時 100キロ
米子発17時30分⇒国道9号⇒松江着18時30分 32キロ
本日の運転570.2キロ 疲れは感じなかった。
鳥取で、関ちゃんが「以前合った時には、もっと白いと感じていたが、日焼けされましたね」と言ったので、「これは、日焼けでなく、アルコール焼けだよ」と訂正しておいた。ピンピンしているので、今のところ、肝臓は大丈夫と思う。自分がそう思うから、間違い無い。
夜、受信トレイを開くと4通のメールが入っていた。その中の1通にアクセスして、ドリームジャンボ宝くじを注文した。
今までは、「手間隙」掛けて、宝くじを購入したからこそ、抽選日までが楽しみだった。毎回300円ばかり。でも、楽しめた。
しかし、今日はパソコンの前でクリック1発。あまりにも、簡単に購入出来たので、発注した瞬間、又無駄遣いしてしまったと思った。世の中、便利になり過ぎて困る。
5月12日(土曜日) 午前中晴れ 午後曇り
昨日の山陰中央新報に、大山の山野草展の記事が出ていた。そこで、11時35分より、番茶、コーヒーを点て、別々のポットに入れ、大山の水を酌む事も兼ねて、ポリタンクや、ペットボトルを積み込み、順ちゃん、妻、私の3名で、鳥取県立大山自然歴史館へ出かけた。大山について、新しい知識が吸収された。山は、新緑で萌えていた。「どんぐり村」で特産物や昼食の「大山おこわ」395円、あなご寿司、梅干、等等買い込み、河原横に設置してある、野外テーブルの上で昼食。
桝水原から岸本に下りる途中、放牧してある乳牛を見た。のんびりと、柔らかい牧草を食んでいた。 牛を見ているだけで、ゆったりとした気持ちになる。
やはり、大山は人が多い。ドライブの人、ツーリングのグループ、リュックを背負った登山客、誰もが森林浴を楽しんでいる様に見えた。
ここにいる人達は、ここで、「体を癒し、充電して、又仕事に励むだろう」と思った。気分転換は、絶対に必要な事だと思う。
12時15分ニート君と柿木村の間欠泉を見に行こうと、自宅を出発⇒松江西より高速で三刀屋まで⇒国道54号で三次へ行く途中、掛合いの八重滝で休憩。駐車場には、平日にもかかわらず、数台の車があった。新緑の若葉が美しい。水の流れる音。小鳥の声。片道1.2キロ程の道程だが、森林浴を十二分に味わい、散策を楽しんだ。野生の山椒の葉っぱを、かじったら、駐車場に帰るまで、舌が痺れていた。絵画クラブの人が、何人も、写生していた。⇒三次から中国道⇒六日市⇒木部谷温泉。走行距離241キロ 17時着。
旅館に着いて感じたことは、庭、部屋共に掃除が行き届いていた。部屋でお茶を飲んで直に、間欠泉を見に行った。間欠泉が、吹き上がるのに、運が良ければ直に見られるが、待っている間、藪蚊が、顔の周りをブンブン飛び回って、刺す。10分程度、蚊と格闘していると、後ろの方で、シュワ、シュワと音がしたので、振り向くと、ビールの泡沫のような液体が、地中から飛び出していた。5分程度続いたが、次第に納まった。間欠泉の噴出し付近の土は、赤錆色をしていた。口に含んでみたが、変な味がしたので、飲み込まず、吐き出した。お湯は。透明度2センチ位。食堂で、夕食を摂ったが、山菜料理が美味しかった。食事の途中、女将が、「天然の鮎で御座います。熱いうちに、召し上がってください」と言って、塩焼きの鮎を差し出してくれた。ご飯も美味しかった。ご飯が美味しいのは、雪深い所で取れた、お米だからだと思った。食堂には、現役の日本人大リーガー選手や元、有名マラソンランナー、その他の色紙が飾ってあった。こんな、山奥に来たんだと思った。夜7時就寝⇒今朝7時起床。よく眠った。ニート君は、朝方いびきをかいて、気持ちよく寝ていた。(1泊2食7000円也)。9時松の湯出発。柿木村の道の駅で、妻への土産に、わさび漬け2種類。高津川名産鮎のうるかを一瓶、筍2つ、ワラビ2束購入⇒津和野⇒日原⇒益田⇒国道9号で浜田の道の駅夕日丘で休憩。
浜田インターより高速浜田道で旭インターで下車。桜江町の風の国へ立ち寄り、温泉へ入浴。一人600円。タオル150円。12時30分風の国スタート⇒山道⇒国道9号浅利へ出た。14時、キララ田儀のお食事処「いさりや」で遅い昼食⇒16時帰宅。482.8キロの旅だった。
今朝8時から町内の溝掃除があった。作業に掛かる前、参加者全員の集合写真を撮った。これは、保険を掛ける為だ。例年通り、我が家は妻と二人出た。町内の人々と、助け合い、話しながら、作業をするのは楽しい。
会社一辺倒の生活とはオサラバ。地域社会の人々との交流で、楽しみが又増えた。
先生からの額縁に入った、B5位の大きさの写真が、届いた。煙突に、縦書きで「一九五九ネン六年生のアバレンボウ」と書いてある、石炭ストーブを中央に全員が笑っている写真だ。懐かしいし、可愛い。あんな純情な姿、僕等にもあったんだ。
先生に、お礼の電話を掛けた。小学校を卒業してから、一度もお会いしていない。話していると、先生の話し方が、懐かしかった。小学生にタイムスリップ。
先生、僕、順風満帆の人生歩んでないです。実は。。。。。。。
「そんな、よもやま話、しようや」と先生が、言われた。今日、先生と初めて、対等に話が出来たような、気がした。
辰也と19時釣りから帰ると、妻が、外出から帰ったら、「郵便物お預かりのお知らせ」という、郵便物がポストに入っていたと、知らせてくれた。送り主は、○和子様からだ。送り主の名前を見て、すぐ同級生と言うことが分かった。
同窓会名簿をみて、すぐに電話をした。戸谷先生が持っておられた、小学校4年~6年生頃写した全員笑顔の写真。これを額に入れて、送ってもらったらしい。
今日の午後、本局から発送したのが、夕方には配達されている。今までは、考えられないスピードアップ。
同窓会のとき、この写真の希望者が5名おり、敏郎君、勉君、悦ちゃん、君ちゃん、僕、今日、和子さんが送ってくれた。 戸谷先生有り難う御座いました。