最近、妻が大便をするときに、「腹を押して!」と呼ぶので、毎回、呼ばれて腹を押して排便を手伝うようになった。他人の排便などという場面、出くわす機会なんてまずないだろう。そして、気付いたことなのだが、妻のウォシュレットの使い方がどうも間違っているように思えてきた。私の使い方が正しいというつもりはないのだが、変な話、妻は力みながら、ウォシュレットを操作し、水を当てる。そんなことをしたら、逆効果も甚だしいと思うのだ。私の場合だが、まず、便器に座ったら、ウォシュレットを操作し、お湯を出して肛門辺りに当てて、肛門の緊張を解す。それから、肛門を閉じたり、開いたりを繰り返し、お湯を肛門内に入れるようにする。これは私の肛門の特殊性によるもののようだ。(痔の手術をしているため、肛門の形が変形し、外から水が入りやすい。だから、痔の手術をしていないとこういうことは無理なのかも知れないのだが・・・) 入った水が外に出始めると、肛門も開き、排便もできるようになるというものだ。とにかく、ウォシュレットの機種によって様々なようだが、お湯が回転して出るムーブとか、お湯が強くなったり弱くなったりしてマッサージするとか、色々工夫がなされている。これはあくまで排便をスムーズにするためのものだと思う。妻の場合、最初から力んで出そう出そうという気持ちが強すぎて、肛門筋をリラックスさせるということを忘れている。だから、幾ら力んでみたところで、肛門が開く筈もないのだ。無駄な努力に汗だくだくになっている。それにつき合わされ、私も、汗だくだくになっている図は、妻にとって深刻だが、見方を変えると、とても滑稽に思えてくる図だ。
ウォシュレットは今でこそ、一般に普及して当たり前になってきていたが、私が使い始めた頃はまだまだ普及はしていなかった。今から二十数年前の話だ。痔の手術をしているため、俳便後、パンツが汚れることが多く、それが恥ずかしくてたまらなかった。ホームセンターでウォシュレットを見かけ、まだまだ高かったので、しばらく悩んだ末、購入を決めた。当時、妻の反応は、何で余計なものを買って来たと至極ご機嫌斜めになったのを覚えている。それ以来、転勤で引越しをする度に、ウォシュレットを持ち歩き、引越し先に到着して一番先にやることは、ウォシュレットを取り付ける作業になった。引越し6回目の時に、何度も付け替えたため、接続用のパイプが固くなり、パッキンの役目をする金具が入らなくなってしまった。そこで、半田鏝と半田を持ち出し、半田で金具のような形を作り、接続してようやく難を乗り越えた。そして、そこで、次の引越しの時には、そのウォシュレットは付けたままに残して、新しいものを購入することにしたことがあった。一度、和式の便器の部屋に引っ越したときは、さすがにウォシュレットは取り付けられず、ウォシュレットなしで生活することになってしまった。用便の後に、風呂場に行き、肛門周辺を洗うという大変な手間を要することになって非常に不便をした。ウォシュレットを使っていると、トイレットペーパーで強く拭くことがなくなるため、肛門周辺の皮膚もそれになれてしまい、強く吹きすぎたり、汚れが残っていたりすると、肛門周辺がただれてしまう。そんなこんなで、外泊でウォシュレットがないところに行くことは極力避けるようになった。
話は予断だが、ドイツ語教室のメンバーは良く海外旅行に出かけていく。「あなたは海外旅行に行かないの?」と聞かれるので、「ヨーロッパ、アメリカはウォシュレットが普及している?」と聞くと、メンバーも先生も、「日本以外どこも普及していない。」と答えてくる。「ウォシュレットがないと私は嫌だから、海外旅行には行かない。」と答えている。私にとって、それほどウォシュレットは必需品なのだ。
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