DonkeyMの部屋

Donkeyはロバ。格好良くなく、足も遅い。「のろま」とか「馬鹿」といった意味。日々の感動、怒り、愚痴等を記事にしたい。

テロとの戦いとは!

2015-10-08 11:06:44 | 雑感

 シリアにロシアが空爆を始め、650万人が内戦を避けて、流浪の難民となっているという。また、アメリカはテロを攻撃するといって誤って病院を爆撃するということがあった。どれもこれもテロとの戦いをうたい文句に攻撃を仕掛けている。本当にテロを撲滅しようと真剣に、真摯に取り組んでの結果であろうか?どうも、私には違うように思える。大国が自分の利益になると踏んだ一波に加担し、対立する他の人たちを理不尽にも攻撃をしているとしか私には思えない。

 確かに、テロによって何の関係のない市民が生命の危険にさらされ、時には、突然命を奪われてしまう。それはとても許しがたいし、八つ裂きにしてやりたいという衝動が心の底から噴出してくる。しかし、衝動に任せて、テロに闇雲に恨み、攻撃の手を向けるのではなく、ゆっくりと息を吐き、心を静めて考えて欲しい。そもそもテロとは何なのか?テロがどのような背景から生まれてきたのか?荒れた人心、住み家を奪われ、明日という日が来るかどうかも分からない状況の中、髪にも縋る思いで、その日その日を過ごしている。そんな中で、カリスマ的な人物が現れ、理想の世界を説く。人々は、縋る思いで、崇拝し、一命を落としても、カリスマ的な人物の言葉を実現したいと思う。そして、現状を何とか変えたい、変えなければいけない、そのためには自分がやるしかないのだという思いに駆られ、テロに突き進むのだろう。

 大国は、テロとの戦いといってテロの温床と言われる人々を攻撃する。しかし、テロの温床の中身は、貧困、混乱、搾取、暴力等々が渦巻く社会なのだということが全く分かっていない。いや、実際は分かっているのだろうが、自分たちの利権を守ることに目を奪われ、真摯にテロの問題と向き合おうとしていない。それはそうだろう。大国にとって利権を失うことに直接的に結びついていることだから、考えたくないのだろう。でも、良く考えて欲しい。テロとの戦いというもののために、どれだけの兵士が命を落とし、無関係?の人民が命と生活を奪われたのかを。

 かつて、日本も内戦の危機に瀕したことがあった。明治維新である。しかし、日本はそれに先立ち江戸時代という300年近く続いた安定した時代があった。その間に、考えること、物事に対処する冷静な力を備えた人物が数多く育っていた。そうした土壌があってころ、世界に類を見ない無血開城を成し遂げ、戦乱に陥ることなく、明治維新を成し遂げることができたのだ。坂本竜馬しかり、勝海舟しかり、血気に逸る長州勢を抑え、戦乱から守ったのだ。

 日本には、そうした知恵があるし、それを成し遂げるだけの力も備えている。それをむざむざと無駄にし、アメリカの腰ぎんちゃくになり下がり、テロを撲滅するとのうたい文句に踊らされて自衛隊を戦地に送るとは何と愚かしいことか・・・・・・・・。

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