こと日本の気候・風土について考えてみよう。
日本は、ご存知のように、非常に狭い国土であるが、西下から東上に細長く延びた国土で、沖縄から北海道と、かなり細長く、気候もかなり変化している。また、山が多く、平地と山地では温度差も非常に大きい。西から東に行くに従い、緯度も増えて、気温も下降していく。概して、温暖な地域では一年中、野菜や穀物が採れ、比較的暮らしやすいが、東に行くに従い、冬への備えが必要になり、生活環境は厳しくなる。
そんな気候・風土の違いによって、それぞれ違った県民性といってものが生まれてくるのだろう。少なくとも、江戸時代までは人の行き来も少ない時代では、気候・風土が県民性に大きく影響を与えていたと言えるのではないかと思う。そして、気候・風土に根ざした文化が各地に芽生えたと言えよう。そんな中にあって、京都、大阪、江戸といった大都会では、また、別の要素が大きく、独自の文化を花開かせた。
特に江戸は、庶民はほとんどが借家暮らしだった。時代小説などを見ると、今で言うレンタルが花盛りだったようで、着物から布団までレンタルの世界だったようだ。もっとも、江戸はたびたびに大火で、ほとんどが消失してしまうことが繰り返され、大金持ちが耐火性の蔵を建てて家財を守る。それ以外の人は、火事があると、非難し、その後にできた借家に戻って住み着くという繰り返しだったようだ。借家には風呂などなく、銭湯を利用していた。また、人材派遣といったものも盛んで、人材派遣会社(口入れ屋)の紹介で仕事を世話してもらい、働いている人たちも多かったようだ。何しろ、当時、世界最大の人口を誇る都市を形成していたというのだから、仕事も様々だったようだ。参勤交代に伴う単身赴任者が多かったのも、江戸が一般の都市と大きく違ったところだったようだ。
ただし、明治以降、人の移動が激しくなり、北海道の人が関東で暮らすようになったり、沖縄の人が北海道で暮らすようになったりと人の移動が多くなり、一概に気候・風土の影響というだけでは県民性を知ることは困難になってきたようだ。