どんぴ帳

チョモランマな内容

ショボい巨塔(その6)

2008-12-25 10:30:33 | 病院
 救急車で運ばれて来るのは、何も急病人には限りません。交通事故で負傷した人たちも運ばれて来ます。

 運ばれて来るのは一向に構いませんが、深夜に運ばれてくると、私は非常にウンザリとします。
 別に運ばれて来る人に対して、ウンザリする訳ではありません。みのもんたの様にズバッと言うと、警察官にウンザリとするのです。

 救急隊から連絡が入ると、交通事故専用カルテ(健康保険が使えないので、一般傷病の場合と区別されます)と基本票(処方箋)を作製して、救急車の到着を待ちます。
 救急隊が到着すると、レントゲンを撮ったり、CT(コンピューター断層撮影装置)の撮影を行ったり、受傷部位への処置が行われたりします。
 一般の受傷患者さんの場合は、これで入院の必要が無ければ、お会計をして帰ってもらう所ですが、交通事故の場合は、そうは行きません。
 患者さんの治療中、あるいは治療が終わる頃になると、必ず病院に電話が入ります。
「あ、もしもし、○○警察ですがね、そちらに交通事故で搬送された、△△さん、いらっしゃいますよね」
「ええ、現在治療中ですね」
「我々が到着するまで、そちらで待っているように伝えて頂けますか?」
「…嫌です」
 と答えたいのだが、中々そうは言えない。
「分かりました」
 と答え、事故の被害者である△△さんにその旨を伝えに行く。
「…ここで待っていればイイんですか?」
 大概の人は、事故による軽い精神的なショック状態なので、この警察の申し入れを素直に受け入れる。
 それから程なくすると、今度は事故の加害者が現れる。
「本当に申し訳ありませんでした」
「・・・」
 非常に重い空気が待合ロビーに流れる事になる。
「ふざけんじゃねぇ!手前のせいでこんな怪我をしちまったんじゃねぇか!」
「あんたが、いきなり飛び出して来るからだろう!」
 なんて怒鳴り合いは、幸いにも見たことが無い。これは加害者も被害者も、一種のショック状態なので、自分たちの現状を完全には把握しきれていないのが原因だろう。
 被害者と加害者、そして駆けつけたそれぞれの家族や知り合いが集う、非常に気まずい待合ロビー。

 それから三十分後(場合によっては一時間後)、ようやく警察官が病院に現れる。
「えーと、△△さんですね?」
「…はい」
「それから、□□さんは…」
「あ、はい、私です」
「ああ、はいはい。じゃあね、まず最初に△△さんのお話を聞きますから、□□さんは、ちょっとあちらの方に離れていてもらってもいいですか?」
「はい、分かりました」
 被害者の△△さんが、深夜一時に搬送されてからすでに一時間半が経過している。
「はいはぁい、なるほどね、で、△△さんの車が、直進しようとしたところに、相手の車が突っ込んで来た訳ですね」
「ええ、で、その時にぃ…」
 延々と警察官は、被害者の△△さんから事情を聴取している。
「もう帰ってよ…」
 すでに時刻は深夜三時…。警察官と事故当事者が全員帰らなければ、私が宿直室で寝ることも出来ない。
 ちなみにこの病院の目と鼻の先(ドアtoドアで徒歩二分)には、この地域を統括する大きな警察署がある。だが、警察官たちは必ず病院のロビーで、事情聴取を行う。理由は、『管轄が違うから』&『手っ取り早いから』です。季節を問わずエアコンの効いている(厳密には、患者さんが来るから点けるだけのこと)待合ロビーは、彼らにとって非常に好都合な事情聴取場所なのです。
 病院側としても、患者さんがそこに居る以上、
「出て行って下さい!」
 なんて言えません。

 この日、病院にやって来た警察官は、待合ロビーで取調べを行うだけでは済みませんでした。いきなり物凄い事を言い出します。
「すみません!」
「あー、ちょっと、こちらの△△さんの診断書を出してあげてもらえますか?」
「は?」
 いきなり警察官と被害者が、セットになって詰め寄って来ます。
「人身事故の届けを出したいので、診断書を下さい!」
 △△さんもさらに詰め寄って来ます。
 ちなみに、人身事故の届出は、当日でなくても大丈夫です。常識的には、一週間から十日以内に診断書を持参して、事故を取り扱った警察署に出向けば、物損事故から人身事故に切り替えられます。従って、当日に無理やり人身事故として届け出る必要性は、一切ありません。
「あの、診断書は当日にはお出し出来ないんです」
「そうなんですか?」
「君、先生がいらっしゃるんだから、診断書は出せるでしょう」
 警察官がさらに詰め寄ります。

 診断書を当日に出さない理由は、いくつかあります。
 一つは、夜間救急においては、医師の絶対数が少ない為に、診断書なんて物をじっくりと書いている時間がないからです。
 次から次へと患者さんが押寄せて来る中、患者さんのカルテをじっくりと見て、文章に気を遣い、患者さんに不利益の無いように、きちんと診断書を書き上げる。そんな時間は夜間に勤務している医師には、基本的にはありません。
 もう一つは、診療科の違いです。夜間救急の場合、多少診療科が異なっていても、医師は診られる範囲なら診ます。内科の医師でもナート(針と糸で傷口を縫合すること)まで行う人もいますし、外科の医師でも簡単な内科治療なら行います。しかし、それらはあくまでも緊急的な処置であって、本来は翌日にでも自分の症状と整合した診療科を、きちんと受診するのが望ましいのです。そういう理由もあって、時間外診療では、薬も一日分しか出ていません。
 夜間救急で受診してすぐに診断書を求めるということは、本来、その担当科ではない医師が診断書を書くという事になる場合が多いのです。それは、後々患者さんにとって、大きな不利益を被る場合もあるのです。
 ちなみに、昼間、通常の診察をしている医師に、
「すぐに診断書を下さい」
 と言っても、それも難しいです。患者さんはあなた一人では無く、待合ロビーで座っている大勢の患者さんを、どんどん診て行かないと診察が終わりません。診察が終わって、医師に時間の余裕が出来た時、初めて医師は診断書を書き上げるのです。

 さて、警察官と△△さんに詰め寄られた私は、医師に内線で相談します。
「分かってるだろう、診断書は当日には出ないんだよ」
 医師は非常に不機嫌です。
「警察官と一緒になって、食い下がってますけど…」
「△△さんは、首(軽いムチ打ち症)なんだから、本当は明日、整形外科を受診するべきなんだよ。俺は外科の医師だけど、それでも診断書が必要なのかどうか、確認してくれ。それでも良きゃ、書いてやる」
 私は仕方なく、△△さんに確認をします。
「あの、△△さんの症状ですと、本来は整形外科を受診されて、整形外科の医師に診断書を書いてもらうのが最良だと思いますけど」
「それですと、今日は診断書をもらえないんですよね」
「…ええ、そうですね」
 △△さんは、当日に診断書をもらう事に異様な執着心を見せます。
「外科の医師の診断書になりますけど、本当によろしいですか?専門外ですよ?」
「ええ、すぐに頂けるんでしたら、お願いします」
 もはや何を言っても無駄なようなので、内線で医師に依頼をします。
「診断書の用紙を持って来てくれ…」
 三十分後、ようやく外科の医師が診断書を書き上げました。
「こちらが診断書になります」
 頼まれたコピーも一緒にして、△△さんに手渡します。
 早朝四時半、これでようやく全員が病院の待合ロビーから居なくなりました。すでに私にはほとんど睡眠時間が残されていません。
「はぁ…」
 異様な疲労感が漂います。

 △△さんは、恐らくは警察官に、
「すぐに人身事故の届けを出した方が良い、人身事故の届けを出すには、診断書が必要だ。従ってすぐに診断書をもらった方が良い!」
 と吹き込まれたのでしょう。一度物損事故で届出をした後、後日人身事故で届けを出されると、警察官にとっては二度手間になるので、最初から人身事故として診断書を出すように言われたのだと思います。でなければ、警察官まで一緒になって、
「診断書を出せ!」
 なんて、病院側に詰め寄りません。
 これにより△△さんは、当日に診断書を得ることが出来ましたが、同時に大きなデメリットも手にすることになりました。それは、首のムチ打ち症というのは、むしろ当日ではなく、翌日以降に症状が出る場合が多いからです。
「じゃあ、再度整形外科の診察を受け、新しい診断書を出せば良いじゃないか」
 と思うかもしれませんが、それは甘い考えです。
 以前、私が損害保険の取扱業務を行っていた経験からすると、最初の診断書、つまり人身事故として届け出た時の診断書は、非常に大きな効力を発生させます。
 後にこの事故により、首周りの後遺症が発生した場合、保険会社はこの最初の診断書を保険金支払いの算定における、大きな判断基準としてしまいます。診断書とは、そういう意味でも、非常に大切な物なのです。
 本来△△さんは、翌日に整形外科を受診し、数日間首の様子を見て、違和感があるようなら治療を開始し、その上で診断書を書いてもらっても十分間に合ったのです。もちろん警察への届出も、それからで十分間に合います。

 何でもかんでも早ければ良いという物ではありません。

 もしも交通事故にあった場合、自分の都合しか考えていない警察官にそそのかされない様、十分に注意しましょう。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿