どんぴ帳

チョモランマな内容

ショボい巨塔(その8)

2008-12-27 13:28:40 | 病院
 小児科のお話は、まだ続きます。

 世の中の親御さんは、自分のお子様を非常に大切に思っています。
 まあ、大切に思うのは自由だけど、過剰にそれが作用します。

「娘が胸が痛いと言ってるんです!」
 夜十時、母親の悲痛な声が受話器から聞こえて来ます。
「はい、胸のどのあたりですか?」
「わき腹です。あばら骨の辺りです。少し腫れていると思います」
「・・・(な、何の病気だ?)」
 医師に内線で伝えます。
「うーーーん、それは…、診てみないと分からないなぁ」
 この六歳の女の子の体に、一体何が起きているのか、それはまだ誰にも分からなかった。

 二十分後、両親に伴われ、六歳の女の子が病院にやって来る。
「こちらのお子さん、ですよね」
「はい、そうです」
 見た目は健康体だ。痛がっているそぶりも見せない。だが、お母さんの目付きは真剣そのものだ。
 受付を済ませた母親と娘は、診察室の中に入る。何故か父親は、虚ろな目で診察室前のベンチ椅子に腰掛けている。
 診察室の中では、医師と看護師が問題の脇腹の痛みに対処していた。(看護師談)
「先生、この子の右の脇腹がおかしいんです」
「どの辺りですか?」
「ここです」
 母親が自信を持って、右の脇腹を指さす。
「んー…っと、見た目はあまり変わりませんけどね」
「良く見て下さい、左と比較すると、右側の方が少し出っ張っていますでしょう?」
「んー…、まあ言われて見れば、そう見えなくも…」
 医師と看護師は、何度も右と左を比較する。
「腫れているんだと思います」
 母親は断言する。
「腫れて…いますかねぇ?」
 医師の言葉に、母親はムッとして言う。
「先生、あばらを押すと、この子は痛がるんですよっ!」
 医師はおもむろに娘の右脇腹を押さえる。
「どう、痛い?」
「ううん、痛くなぁーい」
「じゃあ、ここは?」
「ウフフフ、くすぐったぁーい!」
「・・・・・・」
 母親は業を煮やして、娘の脇腹を指で押さえる。
「ここが痛いんでしょ?」
 良く見ると、母親の指があばら骨の間に入り込んでいる。
「お、お母さん、そういうふうにあばら骨を押さえたら、大人でも痛がりますよ」
「えっ?」
「・・・」
 嫌な沈黙が流れる。
「それにお母さん、人間の体は完全に左右が対称な訳ではありませんし、お子さんの脇腹も至って正常だと思いますよ」
「そうでしょうか?私には腫れて見えるんですけど…」
「ま、まあ、お母さん。とりあえず大丈夫だと思いますんで、様子を見てあげて下さい」
「あの、じゃあ診察は終わりですか?」
「ええ、出すべきお薬もありませんのでね」
「・・・」
 母親は非常に不満そうだったが、渋々診察室を出ると、ツカツカと受付にやって来た。
「五千円の御預かり金になります」
「…ハァ」
 母親は小さなため息を吐くと、私に五千円札を突き出した。診察に対して非常に不満がある人のお金の払い方だ。
「お大事にどうぞ」
 何を大事にするのかは分からないが、母親は娘と父親を伴い、先頭に立って病院を出て行った。

 診察室から戻って来た看護師から、私はカルテを受け取った。
「あのお父さん、ずっと虚ろな目付きでしたね」
「うーん、たぶん諦めてるんじゃないの?ああいうお父さん、たまに見るね」
「結局脇腹は?」
「何も無かったよ。でもあのお母さん、『自分が発見したのよ、どうよ!』って感じだったわ」
「じゃあ、四六時中あんな感じなんですかね?」
「じゃないの?お父さんはもう、完全に諦めて、嵐が過ぎ去るのを待っている感じだったしね」
「な、なんとも言えませんねぇ…」

 この場合、父親は完全に醒めているが、父親が熱い場合もある。

 深夜三時過ぎ、外線が鳴り、私は叩き起こされる。
「先生、五歳の男の子です。耳が痛いそうです」
 この日当直の耳鼻科の医師を叩き起こす。
「…んー、たぶん中耳炎だね。こんな時間にわざわざ来る必要はないと思うよ」
「じゃあ、そう伝えます」
 だが、この電話を掛けて来た父親の剣幕は凄まじかった。
「痛がって一時間も泣き叫んでいるんだ!ウチの子が、お宅の病院で治療を受けたいと言ってるんだ!!」
「・・・(五歳の子供がそんなことを言う訳が無かろうに…)」
 診察をしなければ告訴すると言わんばかりの勢いだ。再び内線で医師に連絡する。
「はぁ…、じゃあ診察はするけど、こんな時間に鼓膜の切開なんて出来ないし、痛み止めを出すだけだからね。検査は出来ませんって言ってくれる?」
「分かりました」
「診察は致しますけど、痛み止めをお出しする程度しか出来ませんがよろしいですか?それと詳しい検査も今のお時間は出来ませんので」
「検査が出来ない?」
「ええ」
「検査はしてもらわないと困るよ」
「困るって言われましても…」
「分かった、じゃあそっちに行ってから話し合おうじゃないか!」
「・・・(な、何を?)」
 もう完全に意味不明です。

 十五分後、両親に連れられて、五歳のお子様がやって来ます。そのご尊顔は、満面の笑みで一杯です。
「おいっ!痛くて泣き叫んでいるんじゃないのかよ!!」
 怒り心頭に発しますが、ここはポーカーフェイスです。保険証を拝見すると、誰もが知っている、理系の大学生なら誰でも入りたがるこの地域のトップ企業の社員の方です。
「・・・」
 疲れ果てた耳鼻科の医師が、診察室にやって来ます。
 入院病棟から駆り出された看護師が、五歳の男の子に質問します。
「ぼく、右の耳は痛い?」
「ううん、痛くなぁーい!」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
 早朝四時、耳鼻科診察室前の待合で、私と医師と看護師は、心の中で絶句しました。

 お願いだから、通常の診察時間に病院に行って下さい。中耳炎じゃ急死しません。痛いだけです。この子は痛がってもいなかったけど…。


 


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