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NPO法人「ドネーションシップわかちあい」事務局ブログです

人が人らしく生きられる社会を

2009-06-10 23:45:42 | みんなの声
※ドネーションシップ会員Kさんの報告です

◆人が人らしく生きられる社会を
5月30日鎌倉でひらかれた、鎌倉ー九条の会主催の
『人が人らしく生きられる社会を』を聴いてきました。

<講演者>
◎湯浅 誠 
(「年越し派遣村」村長自立生活支援センター・もやい事務局長)
◎内橋克人 (経済評論家、鎌倉・九条の会呼びかけ人)
◎小森陽一 (東京大学大学院教授、「九条の会」事務局長)

***************
◆湯浅さんの話より

解雇されて、周りは会社の都合なはずがない、解雇されたほうに努力が足りなかったと言う。

しかし、去年キャノンでばさっと真面目に働いたとかも関係無しに切られたことで、
今回『派遣切り』が注目された。

それでも、『派遣っていつ切られるかもわからないのに、なんでそれに備えて貯金しなかったの?』
と問題をすり替えられる。
しかし、会社側は「できるだけ長く働いてほしい」「休まないでほしい」といって面接するわけです。

みんなが大変だからしょうがないっていう雰囲気が出ているが、
今もなお派遣切りの相談が多くて
電話が1日100件くらいある。1日40人の人が相談に来るときもあって、
マスコミが注目しなくなって感心がなくなったけど、
実際はまだまだある。

湯浅さんは社会的問題として引っ張り続けることが自分の活動だと思うし、
色んな問題のすり替え的な疑問への反論も準備していかないといけない、
このまま、派遣村、野宿者問題の綱引きをすることは
自分達の力量の問題でもあると思います。
と語る。

湯浅さんは、社会のストライクゾーンを広げたいと思ってる。
派遣切りされたり、野宿してる人達には
自己責任論の呪縛が深くまきついてて、
それは違うんだ、自分のせいじゃないんだという枠を広げるように繰り返し
伝えていく必要があるし、
反論も資料も集めていかないといけない。という。

現場にいると、色んな人のSOSの出し方は違ってて、
それを受け入れるうつわが今の社会はとても狭いと思う。

社会全体のうつわの狭さがある。
能力的、経済的、精神的排除があって、日本の排除の歴史は深い。

今、個人個人が変わる時だ。
****************

◆人が人らしく生きられる社会をー感想ー
どんなに世の中を嘆いても、怒りを抱いてても
何も変わらないので自分にできることは何かと考えました。

お互いの心に対する信頼を失いかけてる今、
排除の意識が増幅してしまうのも無理はないかもしれません。
だからこそ、今、人と人との関わりが大切なんだなと感じました。

でも、私は人との関わりが苦手です。
大きなストレスを感じます。
根本的には恐れです。
人格否定される、あんたなんか…とどうでもいいように扱われる、自分を優先してくれない、
イカレてると思われるんじゃないかとか…
要するに、尊重して大切にしてほしい、愛がほしい!!ってこと。
誰のせいでもない、
今まで蓄積されていた、私の‘考え方’が自分を苦しめてるんだと思います。

昔、働いてた所では
仕事のできない人は陰で文句を言われてて、
動作や表情などをマネされて、話のネタにされたり、
小言を言われたり、
あからさまに意地悪されてる人もいました。

たかが、
こんな仕事(ベルトコンベアー)できへんからってなんで
こんなこと言われなあかんのか…。
人それぞれ求めることちゃうし、
人生の中の時間を大幅に提供してるし、
最低限の労働力提供してるんやし、個人の能力を越えるそれ以上求めんといてくれる?
あんたらは尊重という気持ちをしらないのか?と
一方的に強烈に感じてました。

自分の思い通りに働かない人、
(たいしたことないくせして)
頭でっかちで教え方のへたなOJTリーダーは
自分を好いてない人を色んな理由をこじつけて
退職に追い込んだりしてるところもありました。
これも排除、排他。

上司と派遣社員の対立や派遣同士の対立。
インドネシア人とブラジル人の時給の格差が原因の対立、
インドネシア人と日本人の対立、
これも仕組みが排他的。
どこに行っても摩擦があって…

自分の気がすもうもんなら家庭内でも排他があって、
私は摩擦の張本人だったり。
家族という絆が苦しめたり、励まされたり。

そして、友達という絆が自分を苦しめたり、励まされたり。


その枠以外で、
その場に順応できなかったり、仕事ができなかったりすると
徐々に孤立していって退職。のパターンが多かったように
思います。そういう人をいっぱい見ました。
私は機械のように働くのが嫌で、
自分は心をもった人間なんだから!!と思いながらも、
きつい環境や、個人をないがしろにされるような対応、
文句があるなら辞めてもらう的な脅迫的な状況で、
その不満や矛盾を明確にあえてせずに、
(たかがこんな…思いながら)仕事に一生懸命で、
いいこちゃんぶりっ子の役がしんどかった、
そのことや人との関わりに疲れてはてて辞めるというパターンでした。

なんと儚い!

最後の仕事のあとは、あまりの疲労感で血液検査したら
痩せてもないのに、総合的栄養疾患だと結果が出たありさま。好きなように生きてきたくせに。

結局、私も職場で人との関わりを切ってて
排除してたのかもしれない。
だんだん友達との関わり方もすぐに排除するっていう形になったのかも。
どうしても生理的にうけつけられへん人や
興味がなくってくだらなすぎる話に取り合わなかったり、
関わってても自分が成長しなさそうな人とか
工場で働いたせいか、分別してたのかもしれません。

自分の話ばかり、人の文句ばっかり話して、
人の話に耳を傾けることすらせず
自分の思い垂れ流しでなんでも人のせいにするひと、
(または自分もしたりして、○○○ごめん)
聴いてるこっちのことはおかまいなし。
それほど信頼されてるのか??と思ったりするけど、
何気ない言葉にぽかぽかしたあたたかさを感じない。
謝罪の前に自分の都合やいいわけを言うたり、
どれほど傷つくか。みせかけの労いの言葉など逆に
大きく心を踏みつぶされます。
心を踏みつぶされました。
そして、私もそうしてた。
過去の事にこだわって
『自分はまだあのときのことを忘れてはいない』
(恨みはらさでおくべきか by DMC)
謝罪の言葉をもらったって、
その恨みははらされるのか?
同じ時を過ごして、少なからず少しは信頼しあった仲なのに
土下座させようとして、
されたとして、心が晴れるん?

子どもでもあるまいしって思うけど。
子どものまんま時間だけ過ぎて行くもんだ。

孤独は更に寂しさを増幅させて
激しい感情になって不安定になる。

どこにも居場所がない、
誰とも深い信頼関係を結べない、
家族すらわかってくれない、
自分をわかってくれる唯一の人にすら出会えないことの
寂しさとで
激しく自分をアピールして
可能性に希望を持ってるのか、
誰かがつってくれるのを待っているのか。

こういうのをひっくるめて、
『自分はさみしい、助けて。
誰か自分の話しを聞いて』と言ってるんですよね。

ああでもなければ、こうでもない。
そういう評価の仕方。

人それぞれが色んなプロセスの中で懸命に生きてることに
対して、評価することになんの意味もない。
そうやって自分も評価してるんだ。
私の気持ちが苦しくってあたりまえだ。

個人的な人との関わりの中では
過去を手放して、未来を見越したりせんと
『今』の自分と周りの関わりの一瞬一瞬を大切にしていったら
それだけでもういいんだということなのかなと思うと
楽になった。

人の話しを聞いて、自分も関わっていく。
めっちゃ楽しいことなんだと思えてくる。
仕事もみんなで同じことをして作り上げて行く
喜びとかもありそう。
しんどかったり、疲れるからこそ
できあがったときの喜び。達成したときの嬉しさがある。
お互いを労ったり、喜んだり。

あなたが嬉しければ私もとっても嬉しい。
一緒に成長して、自分達の願いをかなえていこう。
あなたの温かい心を信じてるし。

そんな気持ちを大切にしていきたいと思います。

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