羊蹄学園大学社会学部講義集

北の大地に突如としてできた架空の大学。
かつてないテーマで綴る社会学とは?

喜茂具理佐の沖縄論第14回~創価学会の沖縄席捲(3)~

2005-09-29 09:55:57 | 沖縄論第3章
(3、一粒種からの教団Ⅰ)
こんにちは。

まずはいつもどおり諸連絡からです。
今回が初めてという人は、最初のオリエンテーションを読んでから、この講義に臨んでください。

それから、聴講生は一人でも多いほうがいいということで、毎回たくさんここをクリックして、このブログの存在を高めてやってください、とお願いしています。
回を重ねるごとに物議を醸しそうな内容になっているので、特にここへのクリックをお願いしたいと思います。

では、はじめていきましょう。
前の時間は、新しい章に入るにあたってのイントロダクションでしたが、今回はいよいよ沖縄と創価学会の対峙について話を進めていきます。

創価学会が沖縄にはじめて流入したのは1954年…まだ沖縄は米軍統治下で…そうですね、ちょうど米軍への不満が高まり沖縄全土で“島ぐるみ闘争”が起こった頃です。
で、沖縄の創価学会の話を進める上で、まず特徴的なのは最初に沖縄に創価学会の教えを伝えた創価学会員(学会員)は、幹部や布教することを専門的にやっている立場の人間ではなく、ただの商売を営む一般の会員だったという点なんですね。
学会に限らず、このような人のことを"一粒種“と呼ぶことが多いのですが、その上すごいのは一粒種であることだけでなく、その人が創価学会の会員になったのは沖縄に上陸する二週間前…いわば学会の初心者・新参者の類であったということなのです。
1954年の8月20日に創価学会に入信し、そして、商売を興すためその5日後に横浜港から沖縄行きの船に乗り込み、船中で教義の柱となっている文献を読み込み、9月3日那覇に到着した…というのが入信から上陸までの流れです。
ちなみに沖縄に足を踏み入れたのははじめてです。
当然、本土復帰前なので彼は日本の外に足を踏み入れたことにもなるわけです。
その上彼は何の肩書きも無い、末端の学会員にすぎなかったわけです。
彼は直ちに那覇の国際通り沿いに店を構え、新生活をスタートさせます。
それは同時に一粒種としてのスタートでもあったわけです。

無論、その時は最初ですから沖縄の創価学会員はゼロです。
しかし安見は奔走します。
奔走した結果、1年半で120世帯、4年後には4000世帯の入信を獲得します。
そしてこれは周辺の離島にも普及します。
たとえば、五年後の1959年には久米島には、安見のような一粒種によって創価学会の教えの伝播が早くも始まったことがそうです。
しかし伸長著しい一方で、この頃沖縄の創価学会が様々な苦難にさいなまされたのも事実です。
それは中央(東京)の創価学会の苦難ともリンクしていました。

例えば1958年には、創価学会2代目会長の戸田城聖が死去し、トップである会長のの座が空白となります。
それはちょうど、沖縄の創価学会が軌道に乗り始めた時期と一致するのですが…東京のトップが空白のため、本部の指示や指導を仰ぎたくてもなかなかできない状態になったわけです。
そのため安見は自腹で東京の本部に海を越えて押しかけます。
安見自身も二年目には事業が失敗し一文無しになるなど、そうでなくてもこの当時の沖縄の人々の暮らしは貧しいものでした。
しかしそのような中でも安見を先頭に沖縄の創価学会の伝播は本島だけでなく、離島にも行き渡っていったのでした。

その広がりが大きく、創価学会本部から認められるようになります。
1960年7月、第三代会長に就任し、直ちに全国行脚を開始した池田大作が沖縄を初訪問します。
その際、池田は安見に沖縄支部創設の話を持ちかけ、安見は初代支部長に就任します。
創価学会本部、というより池田にとって沖縄への思い入れはあるようで、1964年の再訪問時には池田は先代の会長、戸田城聖の伝記、というより創価学会のバイブル的存在である「人間革命」の執筆をこの沖縄で開始、巻頭の「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」を、沖縄の創価学会の施設で書いたと言われています。

一方で政教分離の指摘を受けながらも、本土のほかの地域と同じく、政界進出も果たします。
1961年に公明会を沖縄でも結成し、本土復帰直前の1970年2月に本土の公明党の地方組織扱いとなり、1976年に玉城栄一氏が衆議院に当選し、念願の国政進出を果たします。
安見も参議院議員となっています。
政治スタンスとしては創始から稲嶺惠一が現知事となるまでは、中道よりは革新陣営側に位置していましたが、現在は国政と同じく自民党ともに保守陣営の側についており、どの選挙においてもコンスタントに国会議員・や自治体議員を輩出し、当選させています。

…とまぁこれが、大雑把ですが沖縄の創価学会と公明党の表層的なれきしとなります。

では、表層でない部分ではどうだったか。
次の時間はそこに触れようと思います。

では…乞うご期待。

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