goo blog サービス終了のお知らせ 

羊蹄学園大学社会学部講義集

北の大地に突如としてできた架空の大学。
かつてないテーマで綴る社会学とは?

さらば銀河鉄道5・車窓編Ⅱ(2)

2006-05-14 16:31:50 | 銀河線車窓編
(陸別の事情)
こんにちは西日暮里です。

前回は「陸別の位置」ということで、陸別のお話をしました。

この陸別の位置は陸別自身に、そして銀河線全体に何をもたらしてきたのでしょうか。
今日はこの講義ならではの視点で迫ります。

陸別には高校がありません。
しかしながら中学生の多くは、公立高校の進学を目指します。
彼らの多くは隣町の足寄高校に通います。
しかし…足寄高校はあくまで進学校ではありません。
では学力の高い中学生はどうするのか。
帯広や北見の高校に通うのです。
従来は大半が北見の高校なら銀河線、
帯広の高校なら下宿生活でした。
前回紹介した陸別からの通学列車のダイヤを見れば明らかでしょう。

ところが…進学校に通うのはまだいいとして、進学校に通えるようにするにはどうしたらいいのでしょう。
そう…高校入試の問題が横たわります。

陸別はご存知のように十勝学区に属します。
ということで、帯広と一緒。
しかしながら遠い、アクセスが悪い。
北見は帯広よりは近い。
しかし網走学区。
定員枠が狭まります。

…要するに受験に際して陸別の中学生は陸別に居住しているというだけで不利になるのです。

しかも!中学校以外の私的教育機関がない。
情報も乏しい。
じゃあどうするか。

答えはひとつ。
北見の学習塾に通うしかない。

ところが…学習塾というのは学校が終わった後に通うもの。
ということは、学校が終わった後、夕方から夜にかけて通うのか。
帰りは深夜になりそうだけど…などと考えたあなた!
違うんですよ。

北見の駅前にある、大手学習塾「北見練成会」。
この塾にはこんなコースがあります。
「土曜クラス」

定番として塾というのは週何度か通い、各教科をお勉強するもの。
しかし陸別の子は北見まで通うわけだから無理。
ということで、土曜日の2時から8時まで一気に1週間分の塾のお勉強をするわけです。
「土曜クラス」とはそういうコース…まるで陸別の中学生のために存在するようなコースです。
なぜなら陸別の子は、進学校を目指す場合、通信添削などを除けばこれしか選択肢がないからです。

…他の銀河線を書いたブログや評論、レポートには必ず陸別のことが記載されています。
銀河線しか交通機関のなかった町です。
銀河線への思いは強く、存在価値が高かったし、川上駅のような秘境駅もある。
また、銀河線の沿線は、北海道東部の内陸で山に囲まれたところであるため、冬は陸別を中心に日本一の寒さとなりますが、夏は逆に北海道とは思えないくらいの酷暑(気温30度突破する日も多い)となり、一年の日照時間も日本有数の長さで好天となる日が多いとされています。
そんな独特の気候や風土の象徴でもありました。
何より廃止の声が高まったとき、反対運動が町長を筆頭に一番強かったのは陸別ですし、今なお動態保存すべく町あげて動いています。

そんな陸別です。
廃止となれば通院のお年寄り、通学の高校生が不便になるでしょう、という指摘はもちろんその通り。
否、乗り換えなしで帯広まで行きやすくなったという声もありますが、その一方で定期代は高くなっているとの指摘もあります。
それもその通り。

しかし!しかしです。
そんな苦境や辛酸は、高校生になる前から場合によっては味わうのです。
…ということをなぜ銀河線を偉そうに批評したり思いをいたしている人々はピックアップしないのでしょう。
もしくはできないのでしょうか。
考えても見てください。
中学時代から義務教育の時代から保護者は教育にひどい出費を余儀なくされるのです。
このような地域の現実を目にしないで、何が「銀河線がなくなって大変だ」ですか!

私がこうして銀河線の講義を始めたひとつの理由は、この問題へのこうした掘り下げの不足が右を向いても左を向いてもあったため、我慢ならなかったからです。
銀河線を愛好?ちゃんちゃらおかしいですわ。

…話が横道にそれましたが…

要するに!
あの牧歌的な沿線風景の影でこうした現実が横たわっていたこと、そして銀河線廃止バス転換の今、その現実はますます厳しいものになること、ここを私は言いたいわけです。
また、この話があったからこそ、「オリエンテーション」で私は皆さんに予習することをお願いしたのです。
今からでも遅くはありません。
今回紹介した「練成会」という塾については、こちらで今一度お勉強し、この講義の理解を深めてください。

さぁ!ここからです。
ここからこの講義はさらにさらに深まっていきます。
皆様どうかお付き合いのほどを。
そしてこの講義集を喧伝宣伝していただきますよう…

次回からは銀河線の歴史軌跡についてふれていきます。

それでは西日暮里でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
初めての人は→オリエンテーション
この講義の存在を高めてください→人気ブログランキング



さらば銀河鉄道4・車窓編Ⅱ(1)

2006-05-09 12:09:03 | 銀河線車窓編
(陸別の位置)
こんにちは、西日暮里です。

前回までの「車窓編Ⅰ」では、簡単に銀河線沿線の様子を紹介したわけですが、それに続く「車窓編Ⅱ」では、更に深く沿線の様子を紹介したいと思います。
特に銀河線ならでは、銀河線特有の沿線模様を。
そして他の銀河線の記事では日の目を見なかった秘話を…

たとえば…
銀河線は池田、本別、足寄、陸別の十勝を経て、置戸、訓子府、北見のオホーツクへと行き着くわけですが、その一方で単純に十勝とオホーツク、という風に色分けできない地域事情も陰にあります。
その例として陸別の地域事情が挙げられます。

陸別町は十勝最北東端に位置しています。
重ねて言うと帯広を中心とする十勝に入っているわけです。
しかしこの陸別、生活圏はどちらかと言えばオホーツクに近いのです。
確かに銀河線に乗ると分かりますが、置戸との間に峠が存在します。
しかし距離や所要時間、更に列車本数を勘案すると、どうしても北見やオホーツク方面の方が近い、もしくは近く感じられるのです。
銀河線時代の陸別から北見、帯広までの所要時間、列車本数を比較してみましょう。

北見行…約1時間15分(普通列車で)、5本(北見までの直通のみ。置戸行が別に1本)
帯広行…約2時間20分(普通列車で。池田までなら約1時間30分)、1日2本(帯広までの直通のみ。池田止まりが別に5本)

見て分かるように、十勝地方に区分されながら、陸別は帯広より北見へ行く方が便利、という状況です。
しかもそれだけではありません。
ここで陸別発の始発の列車の時間を見てみましょう。

(北見方面行)6時00分・陸別発→7時36分・北見着
(池田方面行)6時33分・陸別発→8時56分・帯広着

この始発の北見行きは途中の置戸で20分の停車(乗り換え)があるにもかかわらず、帯広行きよりも早く陸別を出発し、北見に着いてしまいます。
このことがひとつ大きな意味を持つのです。

そう…便利どころか北見の方が通学に適しているのです。

「通学」…実は「通学」以前に陸別には大事な問題が控えています。
次回はそこを抉っていきます。

…ということで西日暮里でした。
と言って終わりたいのですが、ちょっと一言。

何で銀河線になるとアクセスが減るのでしょう?

内容が緩慢すぎるのでしょうか。
マニアックすぎるのでしょうか。

しかし…沖縄論や塾戦争もかなり緩慢でマニアックな内容があったような気がするし…。

世間の耳目が銀河線に本当に集まっていなかったのだなぁと改めて思います。
ここの位置もひどいもんです。

…などと愚痴を言ってみたり。

まぁそれでも頑張ります。

それではまた次回。

西日暮里でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
初めての人は→オリエンテーション
この講義の存在を高めてください→人気ブログランキング



さらば銀河鉄道3・車窓編Ⅰ(2)

2006-05-06 14:55:42 | 銀河線車窓編
(延命の現場を眺める・置戸~北見)
こんにちは西日暮里です。

少し前回から間がありましたが、今日は前回に引き続き、沿線を眺めていきます。

陸別町小利別を抜けると、峠を越え、オホーツク地域に入っていきます。

置戸、豊住、境野までが置戸町です。
町名の由来は、アイヌ語の「オケトウンナイ」(鹿の皮を乾かすところ)から。
地形は東西に長く、常呂川がおけと湖から東に向かって下っています。
東部は丘陵地帯、西部は山岳地帯で広大な森林が広がっています(かつては林業が非常に盛んだった)。
ヤーコンの市町村別生産量では全国一を誇り、また地元で産出される木材を生かした木工工芸品「オケクラフト」の生産も盛んです。
人口は3736人(2005年3月末現在)で、林業の衰退が極度の過疎を招いています。

西訓子府、西富、訓子府、穂波、日の出の各駅が訓子府町になります。
町名の由来は、アイヌ語の「クンネプ」(黒いところ、やち川にして水黒し)から。
山に囲まれた盆地的地形で、寒暖の差が激しく、この気候を利用して栽培される「訓子府メロン」はブランド品とされています。
また東端の「日ノ出駅」はその名称から、初日の出を拝む人が多く訪れる駅です。
人口は6163人(2005年3月末現在)。

そして…終着の北見市に入ります。

広郷、上常呂、北光社、そしてJR石北本線(旭川~網走)と交わる北見駅が銀河線の終着となります。
北見市はオホーツク地方(網走支庁管内)で最大の人口を抱える都市であり、網走・北見地方の中核都市です。
市名の由来は、松浦武四郎が命名した国名「北見国」からで、「北見」の由来は、過去のこの地域の通称「北海岸」と快晴の日に樺太が「見」える事から、一字ずつとったものです。
北見盆地中央部に位置し、 西には大雪山、東には網走、知床半島、北にはサロマ湖をのぞんでいましたが、2006年3月5日…つい先日ですが、北見市は留辺蘂町、端野町、常呂町と合併したため(新設合併で新市名は北見市)、北見市はサロマ湖を「のぞむ」どころかオホーツク海やサロマ湖、大雪山を今後は「含む」ことになりました。
全国で4番、北海道では1番面積の広い自治体になったのです。
盆地にあるため気候は寒暖差が激しく、夏は約30度、冬は約―20度に達しますが、積雪量は北海道内では少ない方とされています。
また、全国でも有数の日照率の高さを誇り、太陽エネルギーを利用した科学研究が盛んです。
1人あたりの焼肉店が北海道で最も多いこと、更に戦前は東洋一のハッカ生産量を誇っていたことも特徴でしょう。
他の多くの市町村同様に屯田兵によって開拓されていますが、一方で駅名にもなっている坂本直寛(幕末の英雄である坂本竜馬の甥)によって組織された「北光社」の尽力で、北見の南西部や訓子府は開拓されています。
女優の沢田亜矢子氏やJR東日本のトップとして君臨する松田昌士氏などの出身地でもあります。
人口は合併したことにより129,097人になりました(2006年3月現在)。

…といった感じです。
総じて言えば、冬は日本一寒冷、しかし夏は北海道で一番暑い…そんな気候の中を銀河線は走ります。
私は思うのですが、確かに銀河線もなだらかになっているところを走るのですが、よく見れば山に挟まれ囲まれた中を走っているため、たとえば沿線から離れた池田周辺の根室本線や、北見周辺の石北本線の平野(盆地)がどこまでも続くかのような景色とは、明らかに違うように私の眼には映ります。
そして特に目に飛び込んでくる緑の色が違うように思えます。
それは私が思うに何と言うのか、同じ農業でも周辺地域では稲作が多い中で、銀河線沿線では畑作や、酪農、林業が盛んである…ということがあって、そうなるのではないかと勝手に解釈していますが。
付け加えて言えば、その「一味違う緑」の中で「季節の中で」などを歌う、若かりし頃の松山千春の姿や声は非常にマッチするなぁ…と以前から思っていました。

それはともかく…とにかく銀河線は、このような自然豊かな地域を綴る鉄道路線です。
しかし一方で過疎化やモータリゼーションの波には勝てず、利用者は激減し、こうして廃止の憂き目に遭うことになったのです。
地域事情について紹介しつつ、少しずつ廃止決定への軌跡を追っていきたいと思います。

西日暮里でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
初めての人は→オリエンテーション
この講義の存在を高めてください→人気ブログランキング



さらば銀河鉄道2・車窓編Ⅰ(1)

2006-04-23 12:23:42 | 銀河線車窓編
(延命の現場を眺める・池田~陸別)
こんにちは西日暮里です。

前回も言いましたが…
手元に日本地図があれば広げてみてください。
北海道帯広の東部、池田町から北のほうへ延びる鉄路、それが「ふるさと銀河線」です。

池田町、本別町、足寄町、陸別町の十勝地方から山間部を越えてオホーツク地方に入り、置戸町、訓子府町、そしてオホーツクの中心都市である北見市までの140kmの区間がそうです。

銀河線を語る上でまずは順に沿線の模様を見ていきましょう。
それが今日と次回の講義のテーマです。

JR根室本線(根室~滝川)の池田駅が、銀河線のスタートとなる駅です。
この池田駅と、様舞、高島、大森、勇足駅までが池田町になります。
池田町は、町営でブドウ栽培・ワイン醸造を行っており、「ワインの町」として全国的に知られていますが、そこに至るまでの苦闘の様は昨年、NHKの「プロジェクトX」でも取り上げられました。
町名の由来は、町内にある池田農場内池田停車場から。
南西の幕別町との境界を十勝川が流れ、その支流である利別川が町域中央を南北に貫流しています。
十勝川の河道が切り替えられるまでは池田町の中心市街付近で利別川と合流しており、明治時代には河港として栄えていました。
著名人を多く輩出した町で、たとえばドリームズカムトゥルーの吉田美和氏、ドラマにもなったマンガ「ブラックジャックによろしく」の作者である佐藤秀峰氏、同じく漫画家の島本和彦氏もその中の一人です。
人口は8467人です(2005年3月末現在)。

南本別からは本別町です。
南本別、岡女堂、本別、仙美里の各駅が本別町になります。
町名の由来は、アイヌ語の「ポン・ベツ」(小さい・川)から。
由来の通り、町域中央を利別川が南北に貫流し、東西の丘陵から支流を集めています。
町の南部、美里別川が利別川に合流する地点に盆地状の小平野が広がっており、ここに中心市街があります。
帯広市と北見市を結ぶ道路・鉄道と、十勝平野北部を東西に結ぶ道路の交差する地点にあり、交通の要衝ともなっています。
建設中の道東自動車道では本別町にジャンクションが置かれており、ここで北見方面と釧路方面に分岐します。
人口は9112人で、沿線では2番目に人口の多い自治体です(2005年3月末現在)。

足寄から愛冠、西一線、塩幌、上利別、笹森、大誉地までの駅が足寄町になります。
町名の由来は、アイヌ語の「エショロ・ペツ」(沿って下る川)から。
香川県全体の面積に匹敵する約1400km2の面積を持ち、2005年1月まで日本一広い面積を持つ市町村でした。
北の陸別町から流れ来る利別川中流域と、その支流である足寄川、美里別川流域をほぼその町域としているだけあって広大です。
北西部は石狩山地の山々があり、東縁には雌阿寒岳があり標高が高くなっています。
中央南部は利別川河谷に沿って平地があり、ここに中心市街があります。
政治家の鈴木宗男氏と歌手の松山千春氏、プロ野球西武ライオンズの投手である三井浩二氏はこの町の出身で、3人とも町内の道立足寄高校の先輩後輩の間柄です。
また松山千春氏の生家はこの町の観光名所になっています。
人口は8571人で、過疎が他の自治体同様に進行しています(2005年3月末現在)。

薫別、陸別、分線、川上、小利別の各駅が陸別町になります。
町名の由来は、アイヌ語の「リクンベツ」(鹿のいる川、または危ない高い川)から。
周りを山に囲まれた盆地のため寒暖の差が非常に激しく、真冬は-30度以下になる事もしばしばあり、 冬期最低気温の平均が日本一低い町です(要するに日本で一番寒い町ということ)。
おかげで冬季は稀ですがオーロラが観測される事があるくらいです。
1901(明治34)年に当時の著名な医学者であった、関寛斎親子の入植・開拓でスタートした町で、人口は3083人(2005年3月末現在)、沿線でもっとも人口の少ない、十勝の端の町です。

まずは十勝地域の沿線をたどってみました。

次回はオホーツク地域の沿線をたどってみます。

西日暮里でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
初めての人は→オリエンテーション
この講義の存在を高めてください→人気ブログランキング