(5、愛知県から全国進撃)
こんにちは。
今年最後の講義も1コマだけです。
今日は愛知進出以後の話ですね。
結論から言うと…静岡という隣の県から来た、よそ者の佐鳴と秀英でしたが、愛知県の塾業界に瞬く間に衝撃を与えます。
たとえば、愛知県内の既存の他塾がしてこなかった、全県での校舎展開を佐鳴が推進したという点です。
愛知県では大手塾として、
名古屋とその周辺で校舎展開する「明倫ゼミナール」
尾張北部の津島で誕生した老舗の「野田塾」
名古屋での私立中学受験に自信を持つ「名進研」
名古屋発の全国展開の個別指導塾「がんばる学園」
などがありますが、個別指導塾の「がんばる学園」は別にして、一斉指導を柱とする学習塾で全県で満遍なく校舎展開しているところはありませんでした。
どうしても尾張地域(愛知県西部)のみだったり、名古屋市周辺だけだったり三河地域(愛知県東部)オンリーだったりと、偏りがあり、そしてそのことが圧倒的な県下ナンバー1の学習塾の存在をなくし、群雄割拠の状態を作り出していました。
そのような中で、佐鳴は1989年の静岡県境の豊橋地区進出以来、県の東から西へと順を追ってではありますが、校舎展開を進め尾張の西部や北部といった岐阜県境の地域にまで、県全体にネットワークを広げることに腐心し、そして時間はかかりましたが一応の達成にこぎつけたのです。
これは愛知県の塾業界ではなかったことですし、今もなおないことです。
この結果、佐鳴は、県内では後発の、しかも県外から乗り込んだ塾にもかかわらず、三河地方の都市部を中心に高校合格実績ではナンバー1の座を築き上げ、今なお堅持しています。
対称的に秀英の愛知県進出は、一足飛びに名古屋に拠点を作り、その後尾張地域のみの校舎展開にとどめるのみとなっており、西は一宮犬山津島方面、東は豊田までと、佐鳴の愛知県の牙城である三河地区への進出を控えてきました(今冬から本格進出を開始したがこれは後述)。
しかしひとつの地域に集中して校舎展開したことが功を奏し、名古屋以北の一宮周辺では佐鳴のみならず地場の学習塾にも引けをとらない高校合格実績を誇っていますし、名古屋市内でも健闘しています(この背景には、北海道進出時と同様、最初の講習会の授業料を無料にするなどの話題性から生徒が集まった、という面も否めないが)。
けれどもそれでもやっぱり、佐鳴の与えた衝撃の方が大きいと言えるでしょう。
その証拠に1999年に、本社機能を浜松から名古屋に移すべく、名古屋の中心部である栄に本社ビルを建設したことが挙げられます(写真は以前に掲載済み)。
もともとこの栄と隣接する千種は、名古屋生まれの大手予備校「河合塾」の総本山とされている地域であり、塾業界とは無縁の地域ではなかったのですが、それ以外の塾関連の建物はほぼありませんでした。
そのような地区に佐鳴は本社を建てました。
本社は非常に立派で、地下に高級割烹料理店まで兼ね備えています(系列の飲食店が同居しているのは佐鳴の場合、ここに限らず沼津本部や以前写真掲載した東京総本社もそうである)。
そしてこの本社ビルの存在が契機となって、佐鳴に地盤を侵食されていた「明倫ゼミナール」が同じ栄地区にあった中古ビルを買い取って本社ビルを構えたり、津島周辺の校舎展開が中心でそれまでどちらと言えば地味な存在だった「野田塾」が、名古屋とその周辺での本格的な校舎展開を決意し、栄の近くの千種近辺に、そのための本拠として名古屋本部ビルを完成させたり、昨年(2004年)に至っては、それまで小中学部のみだった秀英が大学受験部を始めるため、名古屋本部が手狭になり新しい名古屋本部校舎が完成…と、佐鳴の本社移転後、一気に各学習塾が動きだすようになりました。
それこそマスコミが、栄・千種地区は「塾銀座」であるといつしか呼ぶようになったくらい、それまで飲食・風俗の繁華街だった地域の一角が一変したのです。
この一連の動きのきっかけはひとえに、佐鳴にあり、同時に愛知県における存在の大きさを示す事柄と言えるでしょう。
また、各県別の公立高校入試、その入試の直後に佐鳴は発祥の静岡県(フジ系のテレビ静岡で放映)のみならず、愛知(日テレ系の中京テレビで放映)でも、精鋭講師陣が出演のテレビ解答速報を放映しています。
県内で力があることをこの点からも言えると思います(ちなみに二つの県の入試解答速報を放映している塾は全国でも佐鳴だけではないか)。
…群雄割拠の愛知県で戦い抜くということは、塾として会社として鍛えられることに他なりません。
言い換えれば愛知県で成功すれば他でも成功できる、という自信が経営者や上層部にできます。
佐鳴は、愛知県の校舎展開が峠を越したと見たのか、隣県の岐阜、そして石川県に進出し、2003年には大阪に進出します。
一方秀英は、各都市での大学受験部の充実を意識しつつも、小中学部の校舎展開を先行で推し進め、神奈川県や山梨県、2004年には岐阜県への進出を果たします。
生徒も各地で順調に増えています。
しかしいずれにしても、佐鳴や秀英の他県への進出の背景には、紹介してきたように静岡でがっぷり四つで戦い、愛知の群雄割拠の中で生き抜いた、という背景があるわけです。
そして…何度も言いますが、秀英は北海道に今年(2005年)進出しました。
一足飛びになぜ北海道なのか?という疑問はありますが、しかし中部地方における塾業界のシビアな戦いを戦い抜いてきた秀英の進出だけに、進学会などの地元の塾は焦りだすのは当然のことだと、お分かりいただけるでしょうか。
…といったところでこの「光の第2章」は終わります。
それは同時に「光」…つまり表層の話が終了したことを意味します。
年明けから「影」…つまりこの表層の裏にあることを丹念に話していきたいと思います。
それでは、また。
よいお年を。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
初めての人は→オリエンテーション
この講義の存在を高めてください→人気ブログランキング
緊急予告!
沖縄論担当の喜茂具理佐氏による、新春特別企画をこの「塾戦争」講義の狭間を縫い、新年早々に行います。
題して、喜茂具理佐、「沖縄」に会う(仮題)。
全4回を一挙更新します。
乞うご期待。
こんにちは。
今年最後の講義も1コマだけです。
今日は愛知進出以後の話ですね。
結論から言うと…静岡という隣の県から来た、よそ者の佐鳴と秀英でしたが、愛知県の塾業界に瞬く間に衝撃を与えます。
たとえば、愛知県内の既存の他塾がしてこなかった、全県での校舎展開を佐鳴が推進したという点です。
愛知県では大手塾として、
名古屋とその周辺で校舎展開する「明倫ゼミナール」
尾張北部の津島で誕生した老舗の「野田塾」
名古屋での私立中学受験に自信を持つ「名進研」
名古屋発の全国展開の個別指導塾「がんばる学園」
などがありますが、個別指導塾の「がんばる学園」は別にして、一斉指導を柱とする学習塾で全県で満遍なく校舎展開しているところはありませんでした。
どうしても尾張地域(愛知県西部)のみだったり、名古屋市周辺だけだったり三河地域(愛知県東部)オンリーだったりと、偏りがあり、そしてそのことが圧倒的な県下ナンバー1の学習塾の存在をなくし、群雄割拠の状態を作り出していました。
そのような中で、佐鳴は1989年の静岡県境の豊橋地区進出以来、県の東から西へと順を追ってではありますが、校舎展開を進め尾張の西部や北部といった岐阜県境の地域にまで、県全体にネットワークを広げることに腐心し、そして時間はかかりましたが一応の達成にこぎつけたのです。
これは愛知県の塾業界ではなかったことですし、今もなおないことです。
この結果、佐鳴は、県内では後発の、しかも県外から乗り込んだ塾にもかかわらず、三河地方の都市部を中心に高校合格実績ではナンバー1の座を築き上げ、今なお堅持しています。
対称的に秀英の愛知県進出は、一足飛びに名古屋に拠点を作り、その後尾張地域のみの校舎展開にとどめるのみとなっており、西は一宮犬山津島方面、東は豊田までと、佐鳴の愛知県の牙城である三河地区への進出を控えてきました(今冬から本格進出を開始したがこれは後述)。
しかしひとつの地域に集中して校舎展開したことが功を奏し、名古屋以北の一宮周辺では佐鳴のみならず地場の学習塾にも引けをとらない高校合格実績を誇っていますし、名古屋市内でも健闘しています(この背景には、北海道進出時と同様、最初の講習会の授業料を無料にするなどの話題性から生徒が集まった、という面も否めないが)。
けれどもそれでもやっぱり、佐鳴の与えた衝撃の方が大きいと言えるでしょう。
その証拠に1999年に、本社機能を浜松から名古屋に移すべく、名古屋の中心部である栄に本社ビルを建設したことが挙げられます(写真は以前に掲載済み)。
もともとこの栄と隣接する千種は、名古屋生まれの大手予備校「河合塾」の総本山とされている地域であり、塾業界とは無縁の地域ではなかったのですが、それ以外の塾関連の建物はほぼありませんでした。
そのような地区に佐鳴は本社を建てました。
本社は非常に立派で、地下に高級割烹料理店まで兼ね備えています(系列の飲食店が同居しているのは佐鳴の場合、ここに限らず沼津本部や以前写真掲載した東京総本社もそうである)。
そしてこの本社ビルの存在が契機となって、佐鳴に地盤を侵食されていた「明倫ゼミナール」が同じ栄地区にあった中古ビルを買い取って本社ビルを構えたり、津島周辺の校舎展開が中心でそれまでどちらと言えば地味な存在だった「野田塾」が、名古屋とその周辺での本格的な校舎展開を決意し、栄の近くの千種近辺に、そのための本拠として名古屋本部ビルを完成させたり、昨年(2004年)に至っては、それまで小中学部のみだった秀英が大学受験部を始めるため、名古屋本部が手狭になり新しい名古屋本部校舎が完成…と、佐鳴の本社移転後、一気に各学習塾が動きだすようになりました。
それこそマスコミが、栄・千種地区は「塾銀座」であるといつしか呼ぶようになったくらい、それまで飲食・風俗の繁華街だった地域の一角が一変したのです。
この一連の動きのきっかけはひとえに、佐鳴にあり、同時に愛知県における存在の大きさを示す事柄と言えるでしょう。
また、各県別の公立高校入試、その入試の直後に佐鳴は発祥の静岡県(フジ系のテレビ静岡で放映)のみならず、愛知(日テレ系の中京テレビで放映)でも、精鋭講師陣が出演のテレビ解答速報を放映しています。
県内で力があることをこの点からも言えると思います(ちなみに二つの県の入試解答速報を放映している塾は全国でも佐鳴だけではないか)。
…群雄割拠の愛知県で戦い抜くということは、塾として会社として鍛えられることに他なりません。
言い換えれば愛知県で成功すれば他でも成功できる、という自信が経営者や上層部にできます。
佐鳴は、愛知県の校舎展開が峠を越したと見たのか、隣県の岐阜、そして石川県に進出し、2003年には大阪に進出します。
一方秀英は、各都市での大学受験部の充実を意識しつつも、小中学部の校舎展開を先行で推し進め、神奈川県や山梨県、2004年には岐阜県への進出を果たします。
生徒も各地で順調に増えています。
しかしいずれにしても、佐鳴や秀英の他県への進出の背景には、紹介してきたように静岡でがっぷり四つで戦い、愛知の群雄割拠の中で生き抜いた、という背景があるわけです。
そして…何度も言いますが、秀英は北海道に今年(2005年)進出しました。
一足飛びになぜ北海道なのか?という疑問はありますが、しかし中部地方における塾業界のシビアな戦いを戦い抜いてきた秀英の進出だけに、進学会などの地元の塾は焦りだすのは当然のことだと、お分かりいただけるでしょうか。
…といったところでこの「光の第2章」は終わります。
それは同時に「光」…つまり表層の話が終了したことを意味します。
年明けから「影」…つまりこの表層の裏にあることを丹念に話していきたいと思います。
それでは、また。
よいお年を。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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沖縄論担当の喜茂具理佐氏による、新春特別企画をこの「塾戦争」講義の狭間を縫い、新年早々に行います。
題して、喜茂具理佐、「沖縄」に会う(仮題)。
全4回を一挙更新します。
乞うご期待。