(5、転回のサミットと愛・地球博)
では講義を進めていきますが…そうですね、まだ回も浅いですし、いつもと同じ注意事項を言っておきましょう。
まず、今回が初めてという人は、最初のオリエンテーションを読んでから、この講義に臨んでください。
それから…聴講生は一人でも多いほうがいいので、ここでどんどん宣伝してください。
まぁ宣伝といっても、ここをクリックするだけなんですが、とにかくよろしくお願いします…併せて何度も足を運んでいる人には同じことばかりですいませんね。
さてさて…前の時間では「海洋博覧会とは」で話を進めました。
この時間では海洋博覧会を見た上で、沖縄サミットと愛・地球博を見ていきます。
そうですね…まぁ、これは私個人の感慨になるのですが…この海洋博覧会から約25年後、私は私の沖縄論に関する見聞を広めているころ、2000年の「沖縄サミット」(主要国首脳会議)の開催決定のニュースを目にしました。
そのとき私は、瞬時にそのサミットが、海洋博覧会にタブって見えてしまいました。
確かに政治的行事であるサミットと国際的イベントの海洋博覧会の比較は妙かもしれません。
しかし実際にサミットと海洋博覧会はダブルところが多くあったんですね。
だって政府に対して誘致活動を行い、要人がやってくるために過剰な警備をし、多大な設備投資と周到な事前準備に明け暮れ、経済効果に期待し…って、まるっきり同じでしょう?何が違うかといえば、期間が長いか短いかの違いくらいじゃないかと言いたくなるくらいです。
米軍基地に苦しむ、沖縄県と沖縄県民のご機嫌取りにやる国策という点まで一緒なんですし。
そうなんです…これだと何ら沖縄は海洋博覧会を乗り越えていないように思えてならないんです。
せめて憂慮する県民が多く現れてもいいようなものだが、そういうわけでもなく、世論調査などによるとむしろ県あげての歓迎ムードだったんですね。
では結果はどうだったか。
まぁ、海洋博覧会ほどの悲劇は招かなかったですが、でももたらしたものは似たようなもので、何ら経済の起爆剤になることなかったし、ただのセレモニーで終わってしまったのは否めないでしょう。
テロや大事故が発生しなかったのがせめてもの幸いと言ったところでしょうかね。
そしてそのあげく、このサミットについてその後大きく語られることはなく、今日を迎えているわけです。
で、今年、愛・地球博…二〇〇五年日本国際博覧会の開催です。
私はそこで思わぬ体験をしました。
それは、私の知人が今夏、「愛・地球博」とはまったく別件で、北海道から名古屋へ一泊二日の日程で赴く用事ができて、とりあえず夏、という絶好の行楽シーズンであるにもかかわらず、中部国際空港までの航空機のチケットは何とか予約できた、と…ところが肝心の宿泊場所の予約が取れず、旅行会社に行っても無理と言われて困っていると、まぁ言う話を聞かされたんですね。
要するに、国際的イベントである「愛・地球博」の集客の前に、個人の旅行者は宿泊できない状況だと言うんです。
私はね…それを聞いて、考えました。
彼らは名古屋のホテルを予約しようとしているから予約がとれないのだ、そこの発想を転換すれば…と。
そしたら!私の考えは的中しました!
インターネットで検索をかけると、中部国際空港の周辺や、空港と名古屋の間にある宿泊施設は、夏真っ盛りだというのに一部を除き、まるで嘘のように空室があるんですね。
料金も場所も部屋も選び放題なんですよ。
…という、まぁ個人的なしかも些細な一件を受けてですね、ふと沖縄のことを思い浮かべたんです。
これじゃあ、海洋博覧会の素通り観光と何も変わらないではないかと。
何もこのようなことは海洋博覧会や愛・地球博に限ったことではないかもしれないけれども…そうですね、自分なりとはいえ沖縄論にとりかかっている私に降りかかったこの出来事は、沖縄の過去を未だに乗り越えていないひとつの現実を見せられたようで、何だか私を重く暗くさせましたね。
まぁ、乗り越えなくてもいいのかもしれません。
たとえば愛知の場合、沖縄と違い、素通り観光状態になったとしても、もともとの産業基盤は沖縄に比べて張るかに強固です。
日本一どころか世界で最も景気がいいという声さえあるくらいです。
でも、沖縄の現実は残ります。
海洋博覧会の後から、今に至るほとんどの期間、沖縄は不況と言われ続けています。
本土復帰以後、本土並みの好況を送ったという痕跡は見当たらないのがよい証拠です。
にもかかわらずサミットにおいて、同じような道を歩んでしまっています。
…私は思います。
海洋博覧会からの歴史は「転回」しています。
「展開」ではないんですね。
繰り広げられ発展していくのではなく、「転回」といういわば回転することで歯車が元に戻ってしまっているような感じです。
なぜ沖縄は転回するのでしょう、なぜ本土は転回させようとするのでしょうか。
基地に、数奇な戦後史に、本土と沖縄の関係に…さまざまな原因があるでしょう。
しかしその原因のどこにおいても、人間が関わっています。
私の沖縄論は、基地や平和といったありがちな目線でなく、人間に照準を当てながら、更に進めていきます。
そのことによって「転回」の深層を見ていきたいと思います。
…第1章「愛・地球博の年に想う」はここまでです。
まぁ少し私の思い入れが先走っていたかもしれませんが、私の沖縄論はいわばここを起点としています。
そのことはおさえておいてください。
今日はここまでです。
次回からは第2章「沖縄のウルトラマン」と題し…そうです、金城哲夫なんかをもう少し掘り下げ、話を進めていきます。
乞うご期待。
では講義を進めていきますが…そうですね、まだ回も浅いですし、いつもと同じ注意事項を言っておきましょう。
まず、今回が初めてという人は、最初のオリエンテーションを読んでから、この講義に臨んでください。
それから…聴講生は一人でも多いほうがいいので、ここでどんどん宣伝してください。
まぁ宣伝といっても、ここをクリックするだけなんですが、とにかくよろしくお願いします…併せて何度も足を運んでいる人には同じことばかりですいませんね。
さてさて…前の時間では「海洋博覧会とは」で話を進めました。
この時間では海洋博覧会を見た上で、沖縄サミットと愛・地球博を見ていきます。
そうですね…まぁ、これは私個人の感慨になるのですが…この海洋博覧会から約25年後、私は私の沖縄論に関する見聞を広めているころ、2000年の「沖縄サミット」(主要国首脳会議)の開催決定のニュースを目にしました。
そのとき私は、瞬時にそのサミットが、海洋博覧会にタブって見えてしまいました。
確かに政治的行事であるサミットと国際的イベントの海洋博覧会の比較は妙かもしれません。
しかし実際にサミットと海洋博覧会はダブルところが多くあったんですね。
だって政府に対して誘致活動を行い、要人がやってくるために過剰な警備をし、多大な設備投資と周到な事前準備に明け暮れ、経済効果に期待し…って、まるっきり同じでしょう?何が違うかといえば、期間が長いか短いかの違いくらいじゃないかと言いたくなるくらいです。
米軍基地に苦しむ、沖縄県と沖縄県民のご機嫌取りにやる国策という点まで一緒なんですし。
そうなんです…これだと何ら沖縄は海洋博覧会を乗り越えていないように思えてならないんです。
せめて憂慮する県民が多く現れてもいいようなものだが、そういうわけでもなく、世論調査などによるとむしろ県あげての歓迎ムードだったんですね。
では結果はどうだったか。
まぁ、海洋博覧会ほどの悲劇は招かなかったですが、でももたらしたものは似たようなもので、何ら経済の起爆剤になることなかったし、ただのセレモニーで終わってしまったのは否めないでしょう。
テロや大事故が発生しなかったのがせめてもの幸いと言ったところでしょうかね。
そしてそのあげく、このサミットについてその後大きく語られることはなく、今日を迎えているわけです。
で、今年、愛・地球博…二〇〇五年日本国際博覧会の開催です。
私はそこで思わぬ体験をしました。
それは、私の知人が今夏、「愛・地球博」とはまったく別件で、北海道から名古屋へ一泊二日の日程で赴く用事ができて、とりあえず夏、という絶好の行楽シーズンであるにもかかわらず、中部国際空港までの航空機のチケットは何とか予約できた、と…ところが肝心の宿泊場所の予約が取れず、旅行会社に行っても無理と言われて困っていると、まぁ言う話を聞かされたんですね。
要するに、国際的イベントである「愛・地球博」の集客の前に、個人の旅行者は宿泊できない状況だと言うんです。
私はね…それを聞いて、考えました。
彼らは名古屋のホテルを予約しようとしているから予約がとれないのだ、そこの発想を転換すれば…と。
そしたら!私の考えは的中しました!
インターネットで検索をかけると、中部国際空港の周辺や、空港と名古屋の間にある宿泊施設は、夏真っ盛りだというのに一部を除き、まるで嘘のように空室があるんですね。
料金も場所も部屋も選び放題なんですよ。
…という、まぁ個人的なしかも些細な一件を受けてですね、ふと沖縄のことを思い浮かべたんです。
これじゃあ、海洋博覧会の素通り観光と何も変わらないではないかと。
何もこのようなことは海洋博覧会や愛・地球博に限ったことではないかもしれないけれども…そうですね、自分なりとはいえ沖縄論にとりかかっている私に降りかかったこの出来事は、沖縄の過去を未だに乗り越えていないひとつの現実を見せられたようで、何だか私を重く暗くさせましたね。
まぁ、乗り越えなくてもいいのかもしれません。
たとえば愛知の場合、沖縄と違い、素通り観光状態になったとしても、もともとの産業基盤は沖縄に比べて張るかに強固です。
日本一どころか世界で最も景気がいいという声さえあるくらいです。
でも、沖縄の現実は残ります。
海洋博覧会の後から、今に至るほとんどの期間、沖縄は不況と言われ続けています。
本土復帰以後、本土並みの好況を送ったという痕跡は見当たらないのがよい証拠です。
にもかかわらずサミットにおいて、同じような道を歩んでしまっています。
…私は思います。
海洋博覧会からの歴史は「転回」しています。
「展開」ではないんですね。
繰り広げられ発展していくのではなく、「転回」といういわば回転することで歯車が元に戻ってしまっているような感じです。
なぜ沖縄は転回するのでしょう、なぜ本土は転回させようとするのでしょうか。
基地に、数奇な戦後史に、本土と沖縄の関係に…さまざまな原因があるでしょう。
しかしその原因のどこにおいても、人間が関わっています。
私の沖縄論は、基地や平和といったありがちな目線でなく、人間に照準を当てながら、更に進めていきます。
そのことによって「転回」の深層を見ていきたいと思います。
…第1章「愛・地球博の年に想う」はここまでです。
まぁ少し私の思い入れが先走っていたかもしれませんが、私の沖縄論はいわばここを起点としています。
そのことはおさえておいてください。
今日はここまでです。
次回からは第2章「沖縄のウルトラマン」と題し…そうです、金城哲夫なんかをもう少し掘り下げ、話を進めていきます。
乞うご期待。