羊蹄学園大学社会学部講義集

北の大地に突如としてできた架空の大学。
かつてないテーマで綴る社会学とは?

さらば銀河鉄道2・車窓編Ⅰ(1)

2006-04-23 12:23:42 | 銀河線車窓編
(延命の現場を眺める・池田~陸別)
こんにちは西日暮里です。

前回も言いましたが…
手元に日本地図があれば広げてみてください。
北海道帯広の東部、池田町から北のほうへ延びる鉄路、それが「ふるさと銀河線」です。

池田町、本別町、足寄町、陸別町の十勝地方から山間部を越えてオホーツク地方に入り、置戸町、訓子府町、そしてオホーツクの中心都市である北見市までの140kmの区間がそうです。

銀河線を語る上でまずは順に沿線の模様を見ていきましょう。
それが今日と次回の講義のテーマです。

JR根室本線(根室~滝川)の池田駅が、銀河線のスタートとなる駅です。
この池田駅と、様舞、高島、大森、勇足駅までが池田町になります。
池田町は、町営でブドウ栽培・ワイン醸造を行っており、「ワインの町」として全国的に知られていますが、そこに至るまでの苦闘の様は昨年、NHKの「プロジェクトX」でも取り上げられました。
町名の由来は、町内にある池田農場内池田停車場から。
南西の幕別町との境界を十勝川が流れ、その支流である利別川が町域中央を南北に貫流しています。
十勝川の河道が切り替えられるまでは池田町の中心市街付近で利別川と合流しており、明治時代には河港として栄えていました。
著名人を多く輩出した町で、たとえばドリームズカムトゥルーの吉田美和氏、ドラマにもなったマンガ「ブラックジャックによろしく」の作者である佐藤秀峰氏、同じく漫画家の島本和彦氏もその中の一人です。
人口は8467人です(2005年3月末現在)。

南本別からは本別町です。
南本別、岡女堂、本別、仙美里の各駅が本別町になります。
町名の由来は、アイヌ語の「ポン・ベツ」(小さい・川)から。
由来の通り、町域中央を利別川が南北に貫流し、東西の丘陵から支流を集めています。
町の南部、美里別川が利別川に合流する地点に盆地状の小平野が広がっており、ここに中心市街があります。
帯広市と北見市を結ぶ道路・鉄道と、十勝平野北部を東西に結ぶ道路の交差する地点にあり、交通の要衝ともなっています。
建設中の道東自動車道では本別町にジャンクションが置かれており、ここで北見方面と釧路方面に分岐します。
人口は9112人で、沿線では2番目に人口の多い自治体です(2005年3月末現在)。

足寄から愛冠、西一線、塩幌、上利別、笹森、大誉地までの駅が足寄町になります。
町名の由来は、アイヌ語の「エショロ・ペツ」(沿って下る川)から。
香川県全体の面積に匹敵する約1400km2の面積を持ち、2005年1月まで日本一広い面積を持つ市町村でした。
北の陸別町から流れ来る利別川中流域と、その支流である足寄川、美里別川流域をほぼその町域としているだけあって広大です。
北西部は石狩山地の山々があり、東縁には雌阿寒岳があり標高が高くなっています。
中央南部は利別川河谷に沿って平地があり、ここに中心市街があります。
政治家の鈴木宗男氏と歌手の松山千春氏、プロ野球西武ライオンズの投手である三井浩二氏はこの町の出身で、3人とも町内の道立足寄高校の先輩後輩の間柄です。
また松山千春氏の生家はこの町の観光名所になっています。
人口は8571人で、過疎が他の自治体同様に進行しています(2005年3月末現在)。

薫別、陸別、分線、川上、小利別の各駅が陸別町になります。
町名の由来は、アイヌ語の「リクンベツ」(鹿のいる川、または危ない高い川)から。
周りを山に囲まれた盆地のため寒暖の差が非常に激しく、真冬は-30度以下になる事もしばしばあり、 冬期最低気温の平均が日本一低い町です(要するに日本で一番寒い町ということ)。
おかげで冬季は稀ですがオーロラが観測される事があるくらいです。
1901(明治34)年に当時の著名な医学者であった、関寛斎親子の入植・開拓でスタートした町で、人口は3083人(2005年3月末現在)、沿線でもっとも人口の少ない、十勝の端の町です。

まずは十勝地域の沿線をたどってみました。

次回はオホーツク地域の沿線をたどってみます。

西日暮里でした。
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さらば銀河鉄道1・プロローグ

2006-04-21 12:51:54 | 銀河線
(私が生きた・証)
鳴呼…
とうとう廃止、バス転換を迎えてしまいました。
重くどんよりとした気持ちでいます。

こんにちは西日暮里です。

いよいよ「銀河鉄道、逝く!」の講義第1回目です。
よろしくお願いします。
予習もしたし、「lastline lastlove」も目を通してくれましたよね?
その前提で講義を進めます。

まず…
実のところ、この講義にはサブタイトルがあります。
それは、「誰が延命し、殺したのか」です。

たとえば、「lastline lastlove」に出てくる「私」にしてみれば生きた証と言えるかもしれません。

確かに沿線住民ではなかったかもしれない。
しかし沿線に非常に近い地域に住む人間だったのは事実です。
何より沿線には彼の祖父母が住んでいました。
幼き日、彼は弟妹を引き連れて、子供だけで祖父母の家に向かうとき、あの列車に乗り込みました。
白を基調とした軽快に走る列車。
車窓からは緑が非常に映えました。
実際は、祖父母の家に行くのだという、ワクワク感の方が強くてそれどころではなかったのだけど、でもあの鉄道は彼にとって、幼少の頃の生の証があったわけです。

そして何より彼にしてみれば、はっきりと異性への想い…「初恋」と言える瞬間にめぐり逢ったのは、高校受験を控えた中学3年の時で、相手は沿線に住む、同学年の人だったわけです。
手記を見る限り、住んでいるところも違い、顔を会わせる機会も少なく、想いを伝えるどころか、話をすることすらままならなかったけど、彼の中ではそれなりのドラマもあり、今でも思い出すようです。
そう…あの鉄道は彼にとっての青春期の生の証があったわけです。

そして今…「生」を感じた舞台が「死」を迎えているわけです。

お手元にあれば日本地図を広げてみてください。

北海道の東、帯広のさらに東に池田という町があります。
そこから北へ北へ…北見市までの鉄道…そんな北海道の片隅にある、第3セクターの鉄道ですが…これが「ふるさと銀河線」(以後、「銀河線」と表記する)です。
一言で言ってしまえば、最近よくありがちな「赤字ローカル線」の廃止。
でもそれだけじゃあない、背景や重み、そしてある種のカラクリがあるのです。

彼個人に限れば、幼少期や青春期の生の証があの鉄道には込められています。
しかし、当然ですがあの鉄道路線が生の証となっていたのは、彼だけではないでしょう。
有名人で言えば、あの鈴木宗男氏の人生の原風景に存在していたわけですし。
歌手の松山千春氏も幼き日からその目に焼きつけていました。
J-POPのトップを走る、ドリームズカムトゥルーのボーカル吉田美和氏の出身地にも通じていました。

昨日の廃止の日のセレモニーに参加した、松山千春に限って特に言えば「足寄より」という20代に出版された自伝に彼は足寄高校卒業後、国鉄池北線(銀河線の前身)に乗り、北見での暮らしを始めたことが書かれています。
更に言えばその北見でSTV(札幌テレビ放送)のプロデューサーに見初められ、デビューします。
やはり池北線で札幌へと向かったのです。
つまり今年でデビュー30周年を迎えた、歌手・松山千春の誕生前夜に関わったもののはずです…が、何度も言うように銀河線が廃止されようとしています。
どうしてそうなったのか、なぜ今なのか。
そこには何が潜んでいるのか。
存続を願う声はどの程度のものなのか。

特に廃止の一報後、存続を読み物がテレビやインターネットなどで多く見受けられるようになりました。
しかしその多くは冷静かつ客観的分析をしながらも、廃止という目の前の事象にばかりに目を奪われ、「そもそもからの分析」が不足しているのではないか、との思いを日増しに強くしていきました。

なぜここに至ったのかということをまず考えなければ次につながらないだろう。
私は、私なりの銀河線への感慨も込めて、この消えようとしている鉄路の背後にあるものを暴き出そうと決意しました。

「誰が延命し、殺したのか」

そして…全ては愛着あるもののために。

…これが、この講義をやる私のきっかけであり、決意です。
このことを胸に次回からいよいよ本格的に講義を進めていきます。

それでは。
以上、西日暮里でした。
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lastline lastlove4

2006-04-16 12:30:15 | 銀河線
(lastline lastlove3のつづき)
翌々日から私は2泊3日の宿泊研修に出掛けた。

その1日目の夜。
周りは話し声でいっぱいだったが、私はベッドでホーッとしていた。
するとクラスメイトの酒井が話している声が聞こえてきた。
そして…「彼女」の名前が耳に飛び込んでくる。
「かわいいよなぁー、背が高いからバスケットやってんのかな…」
こんなところにシンパがいる!その声を聞いて私はびっくりした。

宿泊研修から帰って数日後、酒井に聞いてみた。
「知ってるよ」
「入試の日、学校に行くときに「彼女」の車がうちの車の後ろで…」
などと言う位なので個人的接触はないようだ。
その場にはやはりクラスメイトの河合がいたのだが、その彼の部活の先輩に「彼女」のいとこがおり、色々「彼女」の話を聞いたことがあると打ち明けた。
「食堂のラーメンはまずいよ、って言ってた」
と、そのいとこは言っていたらしい。
考えてみれば本人も塾でそのようなことを言っていたような気がする。

とにかく「彼女」のすばらしさを知る者がいたのだ。
「みんな、目をつけているよ」
その酒井の一言に私はなんだか愉快になってきた。

しかし、その後「彼女」とはあまり会うことはできなくなっていた。
「彼女」と同じ高校に通う人に、「彼女」の様子を聞いたりもしたが、明らかにそれでは情報不足であった。
たまに見かけて会釈してくれる、ただそれだけで満たされるような気がする日々。
でもやっぱり、いつの日か「彼女」へ何らかのアプローチをしたい。
そのチャンスが来るのを私は待っていた。

だが時はそのまま流れた。
私は高校二年生になった。

5月27日。
私はスーパーで母の買い物に付き合っていた。
その時、店内で久々に「彼女」を見かけた。
しかし「彼女」は最初、気がついてくれなかった。
いや私も「あれ?」と「彼女」をみて目を疑っていた。
ものすごく大人びている気がしたのだ。
しかし距離が近づくにつれて、彼女の背が「思ったより」いや、「かなり」高く感じられた。
あんな女性だったとは…と思うほど、本当に大人びていた。
とにかくすばらしかった。
「もしかしたら自分はとんでもない人を好きになってしまったのかもしれない」
という不安で一瞬、私は動揺してしまった。

だから「彼女」が私のほうを向いたとき、私は知らん振りをしてしまった。
そしてその場を去る私。
しかしすぐに私は店内を駆けた。
そして動揺を必死にかき消しながら、何気なく「彼女」に会釈した。

薫風が黒に身を固めた君運びニコリと微笑み初夏の瞬間

何度も言うが本当にすばらしかった。
だが一方で、そんな「彼女」のすばらしい姿を今まで知らなかったというだけの話であり、それは3年間、私が「彼女」に対しての想いはあったものの、なんら行動に移さなかったことのひとつの報いのようにも思えた。

また、「彼女」に対して一歩前に出ている可能性もないではないが、しかし普通に考えれば彼女を慕うものは多いであろうから、たぶん、彼女とこれ以上、どうなるということは考えにくい。
となると、やはり何もしなかったこの3年はあまりにも重くのしかかる。
行動する勇気ゼロで、どうすればいいのだろうか。
だがみすみすこのままでいいのか。

…だが、現実にはみすみすこのままで時は流れた。
そして冒頭で見せた、銀河線のテレビ映像で一喜一憂する姿が高校3年の私だ。

・・・・・・・・・・・
その後。
風の便りで彼女が札幌市内の大学へ進んだと聞き、その界隈を歩いてみたこともある。
しかしその姿を見つけることはなかった。

札幌の駅に行き交う人のなか君まだ探す哀れな僕が

そしてそのままいたずらに時は過ぎた。
会えぬままに。
消息も知らないまま。
そして気がつく。

今思うと、成就は別として気持ちを伝えるチャンスはいくらでもあったのだ。

なぜ、あのバスから降りて一言かけれなかったか。
なぜ、銀河線に乗っておきながら何もできず手を振るだけで終わったのか。
なぜ、一度でいいから気の利いた一言がかけられなかったのか。
なぜ…。

私はあの時、コンプレックスの塊だった。
自分に自信が持てなかった。
だからただ「手を振る」「会釈する」それだけで満足だった、単純に酔っていたのだと今は思う。
だから自分の意気地と相まって一歩踏み出せなかったのだろう。

そして…「彼女」とのことは銀河線をひとつの舞台としていた。
「彼女」の姿を見ることがなくなり、年月が経ち、銀河線と縁遠くなった。
更には銀河線の廃止…。

だが…何年も経ち、銀河線もなくなるというのに、私はまだ彼女の幻影を追っている。
どこにいるかもわからないのに、時折無性に彼女を意識する。
しかしそれは徒労に終わり、そしてとてつもない悔恨だけが残る。

銀河線の廃止。
しかし私にとってその事象にはそんな悔恨もこもっている。

銀河線は廃止されようとしている。
(おわり)
・・・・・・・・・・・・・・・・

…西日暮里です。

どうでしたでしょうか。
以上で特別手記「lastline lastlove」終了です。

いよいよ次回から、本編の講義「さらば銀河鉄道」を進めてまいります。

すべては愛着あるもののために、この講義で何かを伝え残したいと思っています。
そして身近な方にこの講義を広めてください。
さらにはここへのクリックなどで盛り上げていただければと思います。
とにもかくにも、よろしくお付き合いのほどを!

以上、西日暮里でした。


lastline lastlove3

2006-04-16 12:30:01 | 銀河線
(lastline lastlove2のつづき)
4月。
私は坦々と高校に通いだした。
しかし「彼女」のいない高校に張り合いはなかった。
さらにこの高校自体、私にとって予想以上に何においてもよろしくない高校だった。
失意と失望と…そんな毎日が続き、私は一銭の得にもならぬ文芸に勤しむようになった。
そう…出来不出来は別にして、五七五七七のリズムで日々の思いを刻むようになったのもこの頃からだった。

9月のある日。
私はそういう毎日に耐え切れず、放課後に自転車を猛スピードで走らせていた。
無心で走り行き着いたところ、気がついたところは駅だった。
下校中の高校生でごった返している。

私は思った。
ここに来れば…ただそれだけだった。

そしてそれはすぐにやってきた。

そんなことを思いながら、駅舎に入り、3歩ほど歩みを進め、横を向くといきなり「彼女」がいたのだ。
両者たったの数メートル。

このとき、私は向こうがどのような反応をするのか不安だった。
無視するかもしれない。
気づいてくれないかもしれない。
…かもしれない。
たかだか数秒のことなのにそんなことが私の頭の中を駆け巡った。

だが実際はそんなことはなかった。
「こんにちは」
そう言って「彼女」は例の笑顔で私に一礼した。
「おひさしぶり」
私もそれに応えた。
それだけだった。
「彼女」は改札の向こうへ消えた。
消える際、お互い大きく手を振った。

私は駅を出た。
そして再び猛スピードで自転車を走らせた。

一瞬だった。
しかし一瞬でも私にかなりの緊張を与え、そして高揚を与えた。
まず高校のセーラー服を着た「彼女」に私は狂喜した。
「あんな美人だったろうか」
いや元々美人でなかったとかではない。
思えば塾での普段着の「彼女」ばかり見てきたのだ、そのせいか何か妙に別人のように感じられたのだ。
私は制服を着た今日の「彼女」を見て、
「僕の初恋の人は素晴らしい人だ!」
と強く心にしっかりと刻んだ。

…そんなことを思いながらの帰途であった。
胸の鼓動がまだ続いていた。

翌日は土曜日だった。
前日の興奮はまだ続いていた。
会いたい。
私は衝動的に、駅まで行き、祖父母の家までの切符を買っていた。

14時。
列車の発車15分前に、「彼女」は現れた。
相変わらず笑顔で一礼し、私に手を振った。
しかし列車に乗る気配がない。
「え?この列車に乗らないのか…」
もはや改札を出てしまった私は途方に暮れた。
どうやら友達を待っているようである。
「…」
とにかく私は列車に乗り込んだ。

発車までもう少しである。
とその時、列車に向かって走ってくる者がいた。
「彼女」だった。
友人数名と走っている。
私はホッとした。
元も子もなくなるところだった。
「彼女」はいるはずのない私に驚いたようだったが、やはり笑顔だった。

私の隣には高校で同じクラスの神田がいて、私に聞いてきた。
「あれ誰?どこの人?」
「ん…知り合い」
「かわいいな」
同じ車両の別の席では彼女が友達と会話をしている。

列車はゆっくりと「彼女」が降りる駅のホームに入っていった。
列車は停車し、幾人かの人間に混じり「彼女」は降りていった。
「…」
窓の外を見た。
気がつくと「彼女」は自転車置き場に立っていた。
「あぁ、あの赤い自転車に乗るのか…」
と、目をやった途端、「彼女」はそこで大きく手を振った。
「彼女」の友達は反対側の座席に陣取っている。
私は精一杯手を振った、手を振った…。

走り出す列車に向かった君の笑顔嘘じゃなかった僕だけへの愛
(lastline lastlove4につづく)

lastline lastlove2

2006-04-16 12:29:51 | 銀河線
(lastline lastlove1のつづき)
2月28日。
5回目、すなわち入試前最後の模擬試験が実施された。
好調だった。
それはわかっていたが、しかし合計を算出するとそれは予想以上の好調であることがわかった。

テスト終了直後、いつものように隣の席の沢野は聞いてきた。
「どうだった?よかった?」
「よすぎる…」
私は驚きの顔で自分の点数を言った。
「えー!うそー!!」
「この点だけならもっと上の高校行ける…」
いつの間にか「彼女」までそれを聞いて驚いていた。
私は素直に自分の得点とその得点を「彼女」が評価してくれたことに喜びを感じていた。

しかし私はその喜びにいつまでも浸らなかった。
そのままバス乗り場へと走ったからだ。
3時50分に終了なので、4時のバスに乗り帰宅しようという計算である。
私はひた走り、何とか間に合い一番後ろの席に座って一息ついて窓の外を見た。
バスはまだ発車しない…とそう思った瞬間、
「あ!」
私は思わずバス車内で叫びそうになった。

もう入試の日まで会うことがない「彼女」が目の前にいた。
心の中ではなく、本当に叫びたかった。
しかしその直後「彼女」も私の存在に気づいてくれた。
そして大きく手を振り始めた。
突然のことで驚き、やはり動揺する私。
しかし私もそれに応えた。
小さく小さく…さながら皇太子が車外にいる人々にやっているかのように小さく手を振った。

バスはゆっくりと動き出した。
私はいつまでもバスターミナルを見つめていた。
多分「彼女」も…。

入試当日。
私は問題を解いたには解いたが頭の中は「彼女」一色。
同じ教室で受験することはできないが、そのことのみを考えていた。

私のいた教室は「彼女」と塾で仲の良かった山田らと同じだった…が、「彼女」は現れなかった。
前日の下見のときも校舎前でやはり山田を見かけたが、「彼女」には会えず。
このまま会えずに終わってしまうのか…そんな思いが試験終了の3時半まで続いた。

入試後、塾で自己採点会がある。
迷ったが私は行くことにした。
大急ぎで会場に向かうバスに乗ろうと高校前のバス停に行くと、人・人・人…。
簡単には乗れそうもないと思われた。
しかし、意外とすんなりと私は乗り込むことができた。

だが、まだまだ山のようにバス停には受験生が群がっている。
多分大半は私と同じ目的で乗るのだろう…あまりの混雑でなかなか発車できないバスの窓から悠長にそんなことを思っているうちに、その群がりの中に「彼女」を見つけた。
向こうも私に気づいてくれた。
互いに手を振る二人。
私はものすごく幸せだった。
それは入試が終わったとかの開放感によるものでなくて…

バスは「彼女」らを置いて発車した。
そして「彼女」を採点会で見ることはなかった。
半分私はがっかりしながら帰途についた。
そしてその失意はもっと大きくなった。

3月16日。
合格発表の日である。
9時からの発表であったが私は15分前から高校に到着し、待っていた。
ベタ雪の降る肌寒い中を続々と同じように発表を見るべく車が入ってくる。
しかし「彼女」はいない。

9時になった。
私の名が合格者の中にあり、私は素直に喜んだ。
しかし直後、冷静になり「彼女」の名を探す。
ない。
「彼女」本人もいない。
そんなバカな。
私の失意が膨らむ。
そして合格の喜びは半減、いやそれ以下になった。

その数日後、近隣の別の高校の合格者に「彼女」の名前があった。

こうして私と「彼女」は一緒の高校に通えずじまいとなった。
(lastline lastlove3につづく)

lastline lastlove1

2006-04-13 12:45:15 | 銀河線
(「lastline lastlove0」のつづき)
「彼女」は、私の初恋の人である。
今でもその思いは変わらないし、私の中学校生活に多大な影響を与えたものだ、とつくづく思う。
とはいっても、塾でのほうだが…。

私が「彼女」と初めて会ったのは高校入試1年前の中三の春休み。
春休みの講習会で塾に通い、そこで同じ教室だったことから話は始まる。
その頃は私は高橋と和田、向こうは山田や菅野…といった具合に、教室に話し相手が互いにおり別段何もなかった。
私は夏休み、冬休みの講習会も同じように塾へ通ったが、しかしその時には高橋や和田の姿はなく、私は孤立していた。
だが向こうは今までと同じく山田や菅野の姿があり、孤立はしていなかった。
距離があった。
そして何も進展しない…かに見えた。
少なくともこのときは何も進展しなかった。

冬休みの後、その塾では高校入試までの毎週日曜に模擬試験が実施され、私は参加した。
志望校別に試験は実施され、私は私の志望する高校のコースに入った。
そのとき偶然にも、私は「彼女」からみて右斜め後ろに座ることができた。
しかしだからといって特別な気を起こさず、黙々と勉強をし、毎回のゼミに臨んでいた。
だからここでも何も進展しないように思えた。

ところが…第1回目の日、ある些細な出来事が起こった。

それは第一回目の日。
昼休みに数学講師が、
「おまえのうちの食堂さぁ…」
などと「彼女」にそんなことをしゃべっているのを見かけたのだ。
瞬時に私はそれを聞いて「食堂?」と思った。
そして「彼女」の苗字や住んでいる地域を思い浮かべ、ああ…と今更ながら自分の中で「あること」に気がついた。
偶然だが十数年、何気なく銀河線沿線にある祖父母の家に行くときに何気なく通っていた道沿いに彼女の家・食堂があることを。
「そうか…あの食堂の家の子なんだ…」
盲点にもほどがある…帰り道に私はつくづく思った。
とは言っても店に入ったのは1度しかないが。

そう…「変わったこと」と言ってもこの程度。
そう思われた。

模擬試験での私の隣の席は沢野だった。
小学校から知っている女友達である。

毎回の模擬試験での私の成績は総じて好調だった。
そのような中、4回目の日のことである。
昼休み直前に、私の周囲では一番入試で神経質になっていると思われる沢野が、
「すごいよね」
と目を丸くして私の成績をベタホメした。
「ホント、自分でも驚いている…」
と私が言った途端である。
「ねぇ、すごいよね」
と私たちの会話に割って入る者がいた。
何だ?と振り向くと「彼女」だった。

席が近いというだけで面識のない私と沢野は反応に困り固まった。
何と返せばいいのだろう。
…としているうちに、私は体全体が紅潮しているのを感じた。
ここまでの紅潮は今までない、ということで私は動揺した。
しかし何か対応しなければならない…どうしよう、どうしよう。
とにかくそういったことの最高点のところでようやく
「どうも」
と小さく私は言った。
何だか自分が情けなくなってきた。
しかしそれだけで精一杯だった。

「彼女」は私の一言を聞いて、その場を離れた。
その直後、沢野が
「知ってる人?」
と聞いてきた。
「ん…講習会でね」
「席が近かったの?」
「そうだな…」
沢野は私のほうを見て小さくニヤリとした。
お見通しといわんばかりの顔だった。
「…」

そしてその日の模擬試験が終わった。
教室を出ようと座席で帰り支度をする際、沢野は私に聞いてきた。
「どうだった?」
「だめだ…前回(3回目)より落ちたな」
「でもいいよね。点がいい人は…私落ちるわ」
「んなこと言うなよ、ねぇ?」
傍らの「彼女」に私は軽快に顔を振った。
先ほどの「彼女」の前で見せた「動揺」をこの「余裕さ」で挽回したかった。
だからあえて軽い感じで振ってみたのだ。

「彼女」は微笑んで、その会話を聞いていた。
その笑顔に私の「余裕」は何だか押しつぶされそうな感覚に陥り、また動揺した。
とにかく笑顔が印象的だった。

結局、この日(4回目)は、点も順位も落とした。
しかしそれで私は沈むことはなかった。
大したことではなかった。
(次回更新の「lastline lastlove2」につづく)

lastline lastlove0

2006-04-13 12:42:16 | 銀河線
大変お待たせいたしました。
羊蹄学園大学社会学部講義集第3弾「さらば銀河鉄道」スタート記念特別手記「lastline lastlove」を今回2ページ、次回3ページ、合わせて5ページの分量でお送りします。

本編に入る前にはっきり申し上げておきます。
これはあくまで、「私」という人間と銀河線、そして「彼女」が織り成す脚色なしの「ノンフィクション&短歌」です。

それではご覧ください。
なお、講義本編は銀河線廃止直後からスタートする予定です。

以上、西日暮里でした。

・・・・・・・・・・・・・・
2006年。
北海道唯一の第3セクター鉄道、「ふるさと銀河線」が廃止されようとしている。
私が銀河線について思うことは多々ある。
しかし何より銀河線についてはそれを舞台にした濃密な3年間があった。
私は銀河線を思うとき、まずその3年間のことを思い出さずにはいられない。

1995年7月10日。
HBCテレビの夕方ニュース「テレポート6」の特集は、赤字と乗客減にあえぐ「ふるさと銀河線」について取り上げたものだった。
しかし特集の内容など私にとって二の次。

冒頭、通学列車内の風景が映った。
いるか、いないか…それでなくても混雑の車内である、探すのは辛い。
1カット、2カット、そして3カットの時である。
あのセーラー服とあの優しい目が飛び込んできた。
「あ…」
私は確信した。
「彼女」だ。

たった三秒だったけれど、私には「彼女」だとわかった。
「彼女」に違いない。
友達と話している「彼女」は相変わらずいい目をしていた。
変わっていない。
心の中で描いていた人とまったく同じだった。

でも変わったとも思う。
何かが変わった。
「彼女」への思いは残っているけれど、日が経つにつれ、遠いものとなりつつあった。
今日、こうして呼び戻してくれはしたけど、また遠くなってしまうだろう。

鳴呼…
私はあなたのことを忘れたりはしていません。
でも自分の勇気のなさでこれだけの年月を無駄にさせてしまった。

鳴呼…
私はあなたの思いを呼び戻したいけれど、でも遠いものとなってしまうのでしょうね。
あなたは変わっていないけれど、周りがなぜだか変わっている。
遠くなっていく。
あなたにとって僕とのことなど、ただの「記憶の片隅」いや片隅にすらいないのかもしれない。
でも私はまたあなたに会いたい。
一目見るだけでいい。

あなたの笑顔をまた見たい。

思えば出会いから3年。
中学3年のときからである。

たかが3年、されど3年。

2006年の私は、1995年の私と同じようにその頃のことを思い出していた。
(「lastline lastlove1」につづく)

さらば銀河鉄道0・オリエンテーション

2006-04-02 15:27:49 | 銀河線
ようやくです。

羊蹄学園大学社会学部は、「羊蹄」の名の通り、北海道に存在します。
ところがスタートから半年、「沖縄論」「塾戦争」と、間接的には関係あるかもしれませんが、結局のところ、直接には関わってこない内容で講義は展開されてきました。

しかし!しかしです。
ようやく北海道に根ざした講義がこの春スタートします。
その名も「さらば銀河鉄道」
いよいよ廃止が今月となった北海道唯一の第3セクター鉄道「ふるさと銀河線」がテーマです。
この鉄道の歴史や背景、そして廃止までの道筋の中から「何か」を暴いていきたいと思います。

…ということで、本スタートは今月の銀河線の廃止直後からになります。
今日はまだオリエンテーション。
ちょっとした講義開始に当たっての説明です。

まず!
この講義では事前に予習をしてもらいます。
予習…というと、言い方がきついですが、今から言う、参考文献を読んでおいてください。
それは何かと言うと…以下の文献です。

羊蹄学園社会学部講義集・塾戦争光の第1章

この講義内容についてはきちんと目を通しておいてください。
後々関係してくる内容です。

本当は、地域社会とは何ぞや?ということをつかんでほしいので、「沖縄論」「塾戦争」の講義全部に目を通して欲しいのですが、それはきついと思われるので、絞ってみました。
まぁ、時間的余裕がある人は是非、今までの講義についても目を通しておいてください。

とにかく、そうした前提の上でこの講義の本スタートを迎えてください。
宜しくお願いします。

さて、この講義の進め方ですが…。
基本的には、今までの講義と変わりません。
週1~2回程度のペースで行います。
そして!
「わかりにくい」と不評ではありますが、原則として1回につき1~2コマの講義を相変わらず行います。
2コマ以上はしないということです。
そのため量が多すぎるように感じるときもあるかもしれませんが…勘弁してください。

また一人でも多くの受講生や一見さんを求めます。
そのため、ここへのクリックは変わらず1回でも多くお願いします。
「塾戦争」終了から今日に至るまで間があったおかげでひどい有様です。

更に言えば当たり前の話ですが、コメント欄などで荒らしや妨害、特定の個人への誹謗中傷など、常識に反する行為はしないように。
そういう類いの行為を見つけた場合、こちらの主観ですが、即刻撤去します。
なお、質問や意見の類いは大歓迎です。
講義後にコメント欄、もしくはメール(dohkuun@mail.goo.ne.jp)でお願いします。

それから、この講義は銀河線や鉄道に知識のない人でも入り込みやすい内容を心がけております。
後半に進むにつれて、マニアックな話も出てくるかもしれませんが、前半は知識のある人や沿線に縁のある人にとって非常に緩慢な内容が続くかも知れません。
努力はします、しますが、緩慢と思っても投げないように、なにとぞよろしくお願いします。

それと…
「山手線占い」って知ってますか?
山手線の駅名にたとえて性格と恋愛相性を占うものだそうです。
それによると私は「西日暮里」だそうです。
…。
それはそれとして、この講義は私、「西日暮里」がお送りします。
よろしくお願いします。
この講義への書き込みなどは「西日暮里」宛でお願いします。

最後に。
この講義は銀河線廃止直後の本スタートまでまだ間があります。
それまでの時間、ただボーっとするわけにもいきません。
かといって、「銀河線旅行記」の類をやったところで、他のブログなどでここぞとばかりに色んな人がやっているようです。
そう…今更私がやったところで、後追いだしなぁという思いがあり…
そこで…4月の本スタートまでの間、ある手記を5回に分けて、発表したいと思います。
羊蹄学園大学社会学部講義集・第3弾「さらば銀河鉄道」開講記念の意味合いもあるのですが、とにかく「特別企画」を実施します。

題して!

lastline lastlove(全5回・仮題)

銀河線を舞台にしたある小さな実話を、この廃止目前の只中で披露したいと思います。

この上で、銀河線廃止直後に本スタートです。

皆さんと次にお会いするのは少し先になりますが、それまではこの「特別企画」で
お楽しみください。
そして前に言った「予習」をしておいてください。

…というわけで、これから数ヶ月の間、よろしくお願いします。
私の銀河線に対する思いを改めて述べるところから始まる、銀河線廃止直後の第1回目でお会いしましょう!

以上、西日暮里でした。