(8、不惑へⅡ)
…ということで4たびこんにちは。
この講義で今日の分は終了です。
講義に入る前に…今回が初めてという人は、最初のオリエンテーションを読むこと、それから、ここへのクリックを1度といわず何度でもしてください。
くどいようですが、恒例のお願いですので…。
それでははじめます。
前回はあるエピソードを紹介しました。
私はですね、このエピソードを見て、たとえば沖縄戦に限ってみれば、よく国内で唯一の大規模地地上戦が行われ、住民の四分の一が玉砕し…という話をよく耳にしますが、しかしその悲劇の本質・背景を探ると、これもまたひどい悲劇が見え隠れする、ということを思うのです。
明治期の琉球処分の後、沖縄の人々はひたすら日本国民として認められたいと願うようになります。
それは命を投げ出して国に尽くすことで成し遂げられる、そう考えられました。」戦中の本土の新聞の社説には「戦死者の数が増えれば増えるほど、一級の日本人になれる」と書かれ、命を賭すことをますますあおられます。
大本営は満州への移住も東南アジアとの交流経験のある沖縄が率先してやるべきだと言い放ちます。
それは先祖伝来の土地を離れ、慣習を捨てアイデンティティを抹殺することでありましたが…それでも耐えて、従ったのはヤマトンチュになりたいという一心からくるものでした。
沖縄戦を見るとき、一番の悲劇は地上戦とそれに伴う惨劇でしょう。
しかしその周縁にあるものはどうだろうか、と考えたとき、日本政府の策動により沖縄の人々が翻弄される姿もまた、悲劇と言えるでしょう。
顧みれば、日本国内での差別の対象は様々あります。
「アイヌ」「被差別」「在日外国人」…そして「沖縄」です。
しかし「沖縄」が他の三つと違うのは、「沖縄」のみ土地の名称であると言うことです。
ということを鑑みても、沖縄そのものが日本という国から歴史的には切り離されてきた、ということをうかがい知ることができます。
その切り離された沖縄の人々の多くは、本土復帰を願いました。
しかし、歴史的にはその本土に切り離され、差別の対象とされた、という事実もあります。
その矛盾にさいなまされ続け、今なお米軍の基地とそれに伴う問題を抱え込まされている…私はここで言う「沖縄の心」の真意ではないかと思います。
いかにも中央直結政治をする保守陣営の人間の言葉であるものの、自分の過去の足跡も含めて考えたとき、整理のつかないヤマトへの感慨が口をついて出たのではないかと思うのです。
西銘は結局、1990年の知事選挙で太田昌秀に破れてしまいます。
それは保守県政でもなお、中央政府に翻弄されるだけで、経済は好転せず基地負担は軽減されないという、現状に、票の目減りを余儀なくされてしまったからであり、それは革新陣営が県民世論をつかんだと言うよりは、保守陣営のやはり勝手な自滅と言わざるを得ません。
しかし沖縄は西銘県政の経験で、保守・革新双方の県政を体験しました。
その結果県民がつかんだものは何だったのでしょうか。
学んだものは何だったのでしょうか。
そして…県民ひとりひとりの思いはどこにあるのでしょうか。
これでこの講義も30回。
この後佳境に入っていくわけですが…私はこの疑問を持って突き進んでいきたいと思います。
その答えは見つかるのでしょうか。
次回からは新しい章に入ります。
それでは乞うご期待。
…ということで4たびこんにちは。
この講義で今日の分は終了です。
講義に入る前に…今回が初めてという人は、最初のオリエンテーションを読むこと、それから、ここへのクリックを1度といわず何度でもしてください。
くどいようですが、恒例のお願いですので…。
それでははじめます。
前回はあるエピソードを紹介しました。
私はですね、このエピソードを見て、たとえば沖縄戦に限ってみれば、よく国内で唯一の大規模地地上戦が行われ、住民の四分の一が玉砕し…という話をよく耳にしますが、しかしその悲劇の本質・背景を探ると、これもまたひどい悲劇が見え隠れする、ということを思うのです。
明治期の琉球処分の後、沖縄の人々はひたすら日本国民として認められたいと願うようになります。
それは命を投げ出して国に尽くすことで成し遂げられる、そう考えられました。」戦中の本土の新聞の社説には「戦死者の数が増えれば増えるほど、一級の日本人になれる」と書かれ、命を賭すことをますますあおられます。
大本営は満州への移住も東南アジアとの交流経験のある沖縄が率先してやるべきだと言い放ちます。
それは先祖伝来の土地を離れ、慣習を捨てアイデンティティを抹殺することでありましたが…それでも耐えて、従ったのはヤマトンチュになりたいという一心からくるものでした。
沖縄戦を見るとき、一番の悲劇は地上戦とそれに伴う惨劇でしょう。
しかしその周縁にあるものはどうだろうか、と考えたとき、日本政府の策動により沖縄の人々が翻弄される姿もまた、悲劇と言えるでしょう。
顧みれば、日本国内での差別の対象は様々あります。
「アイヌ」「被差別」「在日外国人」…そして「沖縄」です。
しかし「沖縄」が他の三つと違うのは、「沖縄」のみ土地の名称であると言うことです。
ということを鑑みても、沖縄そのものが日本という国から歴史的には切り離されてきた、ということをうかがい知ることができます。
その切り離された沖縄の人々の多くは、本土復帰を願いました。
しかし、歴史的にはその本土に切り離され、差別の対象とされた、という事実もあります。
その矛盾にさいなまされ続け、今なお米軍の基地とそれに伴う問題を抱え込まされている…私はここで言う「沖縄の心」の真意ではないかと思います。
いかにも中央直結政治をする保守陣営の人間の言葉であるものの、自分の過去の足跡も含めて考えたとき、整理のつかないヤマトへの感慨が口をついて出たのではないかと思うのです。
西銘は結局、1990年の知事選挙で太田昌秀に破れてしまいます。
それは保守県政でもなお、中央政府に翻弄されるだけで、経済は好転せず基地負担は軽減されないという、現状に、票の目減りを余儀なくされてしまったからであり、それは革新陣営が県民世論をつかんだと言うよりは、保守陣営のやはり勝手な自滅と言わざるを得ません。
しかし沖縄は西銘県政の経験で、保守・革新双方の県政を体験しました。
その結果県民がつかんだものは何だったのでしょうか。
学んだものは何だったのでしょうか。
そして…県民ひとりひとりの思いはどこにあるのでしょうか。
これでこの講義も30回。
この後佳境に入っていくわけですが…私はこの疑問を持って突き進んでいきたいと思います。
その答えは見つかるのでしょうか。
次回からは新しい章に入ります。
それでは乞うご期待。