(6、枠組みの溶解)
こんにちは。
諸連絡から。
初めてここに来訪した人は、最初のオリエンテーションを一読のこと。
それから、この講義の存在を高めることに協力してくれる方はここへのクリックを1度といわず何度でも。
それではとっとと始めます。
今日はどんどん進めていきます。
前回のつづきで、では今日どうなっているのか。
これがこの時間の内容です。
その話のきっかけとして…二〇〇五年一月七日の新聞記事(沖縄タイムス)は従来の沖縄の政界、とりわけ革新陣営の瓦解を感じさせるものでした。
この記事を軸に話をします。
民主党県連(喜納昌吉代表)は六日、那覇市内で常任幹事会を開き、次期衆院選の沖縄第一選挙区に県連代表代行の島尻昇氏(四六)、三区に沖縄市議でタレントの玉城デニー氏(四五)を擁立することを決めた。近く党本部に公認申請する。四区は同県連副代表兼政調会長の宮国忠広氏(四二)がすでに党公認を受けているほか、二区でも人選に着手しており、全区での候補擁立を目指す。現職を抱える社民党との選挙協力は解消されることになる。
喜納代表は幹事会後に県庁で会見し、玉城氏擁立について「民主党が飛躍する起爆剤になる。明るい存在が政治を変えていく」と期待した。
社民、社大両党との選挙協力について、喜納代表は「なれ合いの中で競争原理を失い、野党は衰弱してきた」と指摘。「復帰前からの革新共闘の歴史は認めるが、過去の遺物だ。従来の政治の枠組みをぶち壊す必要がある」と主張した。
米軍統治下の反米運動からはじまった革新陣営の共闘関係。
時には候補者擁立でもめることはあっても、中央の本土政府てこ入れの候補に負けてなるものかと、本土では犬猿だったはずの社会・共産両党ですら手を携え、沖縄の革新政党は一致団結し一丸になることで、保守に匹敵する勢力を維持してきました。
そう考えると、今年の年頭に飛び込んできた、民主党の動きはこの枠組みを根底からくつがえすものでありました。
しかし…このように捉えてみて、ふと必ずしもそうだろうかと、考えてみました。
確かにこれは長年の革新共闘の枠組みを崩すような動きです。
革新共闘というのは、長年社会党…現在は社民党ですが…と共産党の県党組織、沖縄の地域政党である社会大衆党とそれぞれの党に付随する団体が一体となって、知事選挙・都市部首長選挙における統一候補擁立とその選挙で保守陣営の推す候補を破ることを最大目標とした、反米・反基地の選挙態勢です。
ところが以前はそうだとしても今日では明らかに様相が変わっているのです。
では今日の革新共闘はどうなっているのでしょうか。
前回の知事選挙では共産党は枠組みからはなれ、その代わりに民主党や反自公政権の保守政治家である下地幹郎氏が陣営に入り、共闘を組みました。
しかし、かつていない革新陣営の崩れは、稲嶺の圧勝を許してしまいます。
…この経緯から考えると「革新」というものに限界を感じ、生き残りを賭けて新たな選挙態勢を作ろうとする今回の民主党の姿勢はまことに自然であると言えるでしょう。
形骸化し、現状の打破を見込めない、従来の保守・革新という沖縄の政治系図を崩す、この思考は今後を考えていく上で「ひとつの」きっかけにはなると思います。
ですが、そうは言っても、この民主党の動きはどうしても、二大政党化、政権交代を目指す民主党中央の、地方組織強化の策動の感は否めません。
当たり前の話ですが、要するにこれも政治臭いのです。
とすれば徒党を組んで、大声を張り上げる今までの政治運動と、自分たちが世論をリードしたいという願望を持つという点では大差は無いし、よくある「本土化」のひとつとも言えなくもないし、単純に看板が「革新」から「反自公」に変わっただけと言えなくもないのです。
早い話が、これも本当の変化ではないし、時代の転回にすぎないと言えてしまうのです。
で、結局、先の衆院選挙では、民主党は全国的に惨敗しました。
沖縄の小選挙区選挙ではご存知の方も多いと思いますが、1区では下地氏を推薦し当選したものの、それしか収穫はなく、社民党との協議の結果、3区では決裂して社民党前職候補と激突、共倒れに終わります。
4区でも敗北…ちなみに4区は告示直前になって、中央主導による候補者差し替えと言う動きもあったわけですが…そうはならず、とにかく落選。
2区に至っては、民主党が引いて社民党前職支援と言うことになったものの、これを不服とする立候補予定者だった島尻氏が離党して無所属で立候補、県代表の喜納昌吉氏らは動きが取れなくなり、結局は社民党候補者は当選したものの、島尻氏は惨敗、それどころか自民党新人の復活当選を許してしまうという有様で…民主党の体たらくと同時に喜納昌吉の政治センスのなさが露になりました。
そして…何と言うのか、虚しさすら感じられるのは私だけでしょうか。
本当の変化、時代の展開が欲しいところです。
そのためには何が必要なのでしょうか。
私はその観点から、今一度自分を見つめなおそうと思います。
次の時間からは、一気に新しい章「私なりの沖縄」に入ります。
それでは、乞うご期待。
こんにちは。
諸連絡から。
初めてここに来訪した人は、最初のオリエンテーションを一読のこと。
それから、この講義の存在を高めることに協力してくれる方はここへのクリックを1度といわず何度でも。
それではとっとと始めます。
今日はどんどん進めていきます。
前回のつづきで、では今日どうなっているのか。
これがこの時間の内容です。
その話のきっかけとして…二〇〇五年一月七日の新聞記事(沖縄タイムス)は従来の沖縄の政界、とりわけ革新陣営の瓦解を感じさせるものでした。
この記事を軸に話をします。
民主党県連(喜納昌吉代表)は六日、那覇市内で常任幹事会を開き、次期衆院選の沖縄第一選挙区に県連代表代行の島尻昇氏(四六)、三区に沖縄市議でタレントの玉城デニー氏(四五)を擁立することを決めた。近く党本部に公認申請する。四区は同県連副代表兼政調会長の宮国忠広氏(四二)がすでに党公認を受けているほか、二区でも人選に着手しており、全区での候補擁立を目指す。現職を抱える社民党との選挙協力は解消されることになる。
喜納代表は幹事会後に県庁で会見し、玉城氏擁立について「民主党が飛躍する起爆剤になる。明るい存在が政治を変えていく」と期待した。
社民、社大両党との選挙協力について、喜納代表は「なれ合いの中で競争原理を失い、野党は衰弱してきた」と指摘。「復帰前からの革新共闘の歴史は認めるが、過去の遺物だ。従来の政治の枠組みをぶち壊す必要がある」と主張した。
米軍統治下の反米運動からはじまった革新陣営の共闘関係。
時には候補者擁立でもめることはあっても、中央の本土政府てこ入れの候補に負けてなるものかと、本土では犬猿だったはずの社会・共産両党ですら手を携え、沖縄の革新政党は一致団結し一丸になることで、保守に匹敵する勢力を維持してきました。
そう考えると、今年の年頭に飛び込んできた、民主党の動きはこの枠組みを根底からくつがえすものでありました。
しかし…このように捉えてみて、ふと必ずしもそうだろうかと、考えてみました。
確かにこれは長年の革新共闘の枠組みを崩すような動きです。
革新共闘というのは、長年社会党…現在は社民党ですが…と共産党の県党組織、沖縄の地域政党である社会大衆党とそれぞれの党に付随する団体が一体となって、知事選挙・都市部首長選挙における統一候補擁立とその選挙で保守陣営の推す候補を破ることを最大目標とした、反米・反基地の選挙態勢です。
ところが以前はそうだとしても今日では明らかに様相が変わっているのです。
では今日の革新共闘はどうなっているのでしょうか。
前回の知事選挙では共産党は枠組みからはなれ、その代わりに民主党や反自公政権の保守政治家である下地幹郎氏が陣営に入り、共闘を組みました。
しかし、かつていない革新陣営の崩れは、稲嶺の圧勝を許してしまいます。
…この経緯から考えると「革新」というものに限界を感じ、生き残りを賭けて新たな選挙態勢を作ろうとする今回の民主党の姿勢はまことに自然であると言えるでしょう。
形骸化し、現状の打破を見込めない、従来の保守・革新という沖縄の政治系図を崩す、この思考は今後を考えていく上で「ひとつの」きっかけにはなると思います。
ですが、そうは言っても、この民主党の動きはどうしても、二大政党化、政権交代を目指す民主党中央の、地方組織強化の策動の感は否めません。
当たり前の話ですが、要するにこれも政治臭いのです。
とすれば徒党を組んで、大声を張り上げる今までの政治運動と、自分たちが世論をリードしたいという願望を持つという点では大差は無いし、よくある「本土化」のひとつとも言えなくもないし、単純に看板が「革新」から「反自公」に変わっただけと言えなくもないのです。
早い話が、これも本当の変化ではないし、時代の転回にすぎないと言えてしまうのです。
で、結局、先の衆院選挙では、民主党は全国的に惨敗しました。
沖縄の小選挙区選挙ではご存知の方も多いと思いますが、1区では下地氏を推薦し当選したものの、それしか収穫はなく、社民党との協議の結果、3区では決裂して社民党前職候補と激突、共倒れに終わります。
4区でも敗北…ちなみに4区は告示直前になって、中央主導による候補者差し替えと言う動きもあったわけですが…そうはならず、とにかく落選。
2区に至っては、民主党が引いて社民党前職支援と言うことになったものの、これを不服とする立候補予定者だった島尻氏が離党して無所属で立候補、県代表の喜納昌吉氏らは動きが取れなくなり、結局は社民党候補者は当選したものの、島尻氏は惨敗、それどころか自民党新人の復活当選を許してしまうという有様で…民主党の体たらくと同時に喜納昌吉の政治センスのなさが露になりました。
そして…何と言うのか、虚しさすら感じられるのは私だけでしょうか。
本当の変化、時代の展開が欲しいところです。
そのためには何が必要なのでしょうか。
私はその観点から、今一度自分を見つめなおそうと思います。
次の時間からは、一気に新しい章「私なりの沖縄」に入ります。
それでは、乞うご期待。