羊蹄学園大学社会学部講義集

北の大地に突如としてできた架空の大学。
かつてないテーマで綴る社会学とは?

喜茂具理佐の沖縄論第12回~創価学会の沖縄席捲(1)~

2005-09-26 08:52:46 | 沖縄論第3章
(1、プロローグ)
こんにちは。

まずはいつもどおり諸連絡からです。
今回が初めてという人は、最初のオリエンテーションを読んでから、この講義に臨んでください。

それから、今回から新しい段階に入ります。
しかも非常にクセのある内容です。
そのため今後は、このブログの存在が極端に低下する可能性もあります。
聴講生は一人でも多いほうがいいということで、毎回たくさんここをクリックして、このブログの存在を高めてやってください、とお願いしていますが、今日からはいつもにも増して、ここへのクリックをお願いしたいと思います。

ということで!
新しい章に入るのですが…まずはそれに先駆けて私の個人的な話をこの時間でしたいと思います。
実は私は大学時代、創価学会員の友人との語らいに多く時間を費やしました。
彼は真摯に、それでいて熱く信仰の炎を燃え滾らせていて、私にも何度か入信を勧めました。
私は、そんな彼の折伏に対し、彼に負けず劣らずの口上とそしてハッタリで、撥ね退け、私は入信することなく今日を迎えています。
しかし創価学会を賞賛するニュースを耳に入れただけで、問答無用に拒絶するようなアレルギーがあるわけではありません。
だけど誤解しないでほしいのは、だからと言って、創価学会に対する最近の雑誌記事などを否定する気もないということです。
いい子ぶる気はないですが、創価学会に対する私の視座は要するに中立・中性だと思っている。
もっと言えば、そうです、ただ単に興味があるだけなのです。

ではどこに興味深さを感じたか…たとえば、社会そのものの前進のみならず、個々人の前進すらないものとあきらめのムードが漂う最近の時勢において、あれだけそのあきらめに対し、束になって抵抗しようとする姿勢を見たからだったり。
また、それは「現世利益」という教義が私の興味を発生させているのかもしれません。
いやもしかしたらよく言われる池田大作という個人への崇拝が原因としてあるのかもしれませんし、はたまた政教分離などといった外部からの学会攻撃を跳ね返す力の強さを目の当たりにして興味が沸き起こったのかもしれません。
いずれしても、一言で言ってすごいのです、あの教団は。
すごくて新鮮だからこそひきつけられ、興味がわいたのです。

でもそもそもの興味の源は、創価学会に限らず宗教や思想を支えるパワー…あくまで他者を制圧する「力」ではなく、他者に訴える「情念」や「情熱」と言った類に限定しているものだけれど、とにかくその類に対してのものだなと私は思います。

そのような大学時代の一片が、ライフワークとしていた沖縄論とクロスしたのは、今思えば全くの偶然でした。
特に沖縄についての見聞をしている最中、沖縄県知事選挙での現職・大田昌秀氏の落選は、有利と言われていたのになぜ?との思いを持たせました。
そしてそれをよくよく分析するとその落選の原因の一端に、公明党・創価学会の動きがあったことを知りました。
後ほど、この講義でも大田の落選について触れていきますが、その前に私はその時、ふとこの直近の事態よりもあることに疑問にたどりつきました。

「沖縄の創価学会」とはどのようなものだろと。
世界中にあるといわれている創価学会ですが、しかし広宣流布のためとはいえ、土着信仰の強い国や地域、とりわけ今でこそ日本国の扱いだが、日本本土とは明らかな運命をたどり全く違う文化を持つ沖縄での広宣流布はどうだったのだろうと。
日本の他地域の創価学会同様の存在感を、沖縄でもまた示すことができているのであろうか。
いやできているとしてそこにたどり着くまでの道のりはどのようなものだったのだろうか。
沖縄の土着信仰や地域性を知る上でも私はこのことについて探求しようと思い立ちました。

ここではこうした経緯…あくまで私の個人的な話からですが…とにもかくにも沖縄の創価学会・公明党そのものについてこの章では見ていきます。
なお、巷で言われている、創価学会と公明党の政教分離の是非などについては、かなり無理があるかもしれませんが触れないし、問わないし、考えないし、ないものとします。
それについて問うことはここでのテーマに沿わないという私の判断からです。
ご了承ください。
とにかく沖縄の創価学会や公明党はどのような道のりをたどってきたか、その時従来の沖縄の宗教はどう彼らに向き合ったか、ここに焦点を絞って進めていきます。
なおその一方で、ご存知の通り先日…9月11日の総選挙の結果、沖縄の公明党は新たな局面を迎えました。
これについては、まだ私なりの検証はできていませんが、しかし極力出来うる限り触れようと思います。

…とにもかくにも、こうした私の感慨をベースにこの章は進んで行きます。

それでは、次の時間も乞うご期待。

最新の画像もっと見る