(5、沖縄を表現するⅡ)
ひきつづきこんにちは。
しかし、です。
…といったところで前の時間は終了しました。
この時間は続きです。
その前に恒例の諸連絡から。
今回が初めてという人は、最初のオリエンテーションを読んでから、この講義に臨んでください。
それから、ここへのクリック、1度といわず何度でもしてください。
お願いします。
それでははじめます。
例えばですね…
1996年の米軍婦女暴行事件に伴う、沖縄での県民大集会のような、保守も革新も右も左も老いも若きもが集い、怒りの声を挙げたあのパワーが本土にも伝わってきたからこそ、結果として一過性だったとしても沖縄のことがクローズアップされ、本土の人間が不条理な沖縄の現状を考えるようになった、これもまた見逃せないのです。
ところが…、今年(2005年)の5月15日、すなわち本土復帰三三周年となった日、沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の早期返還を求め、市民らが「人間の鎖」で同飛行場の周囲11キロを取り囲んでいます。
昨年に続いて四回目のことですが、参加者は県外からも含めて、主催者発表で過去最高の約24000人となっています。
これは前年の八月、同市で起きた米軍ヘリ墜落事故をきっかけに再び高まった基地撤去を求める県民世論の反映と言われています。
しかし、です。
九六年の県民大集会の参加者80000人(主催者発表)と比べれば少ないし、参加者も基地撤去を願う革新・野党陣営や市民・労働団体が多かったようです。
現に保守・与党陣営と呼ばれる人間は九六年には参加しても今回は参加していません。
本土マスコミの取り上げ方も九六年に比べれば小さいものとなっています。
こうした現状を鑑みると、沖縄の基地をはじめとする諸問題が逆に消えかけているような感覚さえ、私にはあります。
これはひとえに、沖縄の基地をはじめとする諸問題を学者やインテリ層やジャーナリストが沖縄を訴えることの限界を露呈しているように思います。
現に、前回の講義で紹介したように筑紫ですらその困難さを認めています。
そして、にもかかわらず、本土・沖縄に限らず万民に沖縄の基地をはじめとする諸問題を広く知らしめるためにはどうしたらよいか、ということを考えたとき、アーティストや芸術家といった、広い意味での表現者が自分の持つ力を使って伝えることが肝要なのではないかと暗に認めているところがあります。
ですが現状ではその表現者の力…特に沖縄から本土に向けての発信する力が弱くなっているように思えます。
前述のモンゴル800の例もそうですが、どうも沖縄からの若手アーティストがメジャー・インディーズ問わず出ているにもかかわらず、かつてのように沖縄について局地的にでも声高に言うことが少なくなってしまいました。
それはやっぱり本人たちの興味や立場と、世間の耳目を集めにくいというきらいがあるのでしょう。
しかし、発信する力の弱まりは同時に沖縄の基地をはじめとする諸問題を本土の人間の眼差しが弱くなることにつながっていくのもまた事実でしょう。
確かに九・一一同時多発テロやイラク戦争について取り上げることと比べれば、基地問題は世間の耳目は集めにくい情勢ではあります。
そうなるとテレビで言えば視聴率、音楽CDで言えば売り上げを伸ばすのは困難です。
重ねて言いますが、前述のモンゴル800のような姿勢は喜納昌吉が「花」を歌って、しきりに反戦平和を唱えたような姿勢とは明らかに違います。
そしてその姿勢は理解できます。
更に反戦平和を問答無用で声高に唱えることが全面的に素晴らしいとも思わないし、世間、特に本土の人間の支持を今さら集めるとは考えにくいでしょう。
たとえ反戦平和が絶対的な善だとしても。
しかし沖縄の基地をはじめとする諸問題が本土の中で埋没しかかっている現状に、このままでいいのかという思いも私にはあります。
直接的にもしくはお題目のように一つの事象を唱えるのはひとつの形として、しかし特に本土の人間に対し表現者は筑紫の言うような“想像力”の喚起を求める作品を作ることが必要ではないのでしょうか。
そうでなければ沖縄の問題は風化の一途をたどるだけではないかと私は思うのです。
つまり!
基地問題へのアプローチやそれを伝える表現の方法を変えて、改めて沖縄を発信するという曲がり角に差し掛かっているのではないのでしょうか。
またそうでもしないと…従来の方法の踏襲だと、世間の耳目を持続的に集めることは困難ではないでしょうか。
2003年、サザンは七年ぶりに沖縄での野外ライブを実施しました。
そこで彼らが最後に奏で、歌ったのが喜納の「花」でした。
今年は沖縄でのコンサートを予定していないようですが、しかし一方で石垣島滞在の日々を歌った新曲、「神の島遥か国」を発表しています。
そこには大物バンドとして多忙を極める中、一過性やブームに乗ったのではなく、あくまで肩の力を抜いたライフワークとして沖縄に向き合う、彼らの姿があるような気がします。
声高らかに訴えるわけではありませんが、しかし地道に活動するという、それもまたひとつの「沖縄を訴える」新しいやり方ではないかと、私には思えてならないのです。
どうでしょうか?
この章はここで終わります。
いずれにせよ、これは個人の才覚が光る一つの例です。
このように、たとえ弊害があったとしても沖縄に関連して「個人」が光ることは、他にないのか。
そしてその向こうに何があるのか。
更なる探求を進めていきます。
では…乞うご期待。
ひきつづきこんにちは。
しかし、です。
…といったところで前の時間は終了しました。
この時間は続きです。
その前に恒例の諸連絡から。
今回が初めてという人は、最初のオリエンテーションを読んでから、この講義に臨んでください。
それから、ここへのクリック、1度といわず何度でもしてください。
お願いします。
それでははじめます。
例えばですね…
1996年の米軍婦女暴行事件に伴う、沖縄での県民大集会のような、保守も革新も右も左も老いも若きもが集い、怒りの声を挙げたあのパワーが本土にも伝わってきたからこそ、結果として一過性だったとしても沖縄のことがクローズアップされ、本土の人間が不条理な沖縄の現状を考えるようになった、これもまた見逃せないのです。
ところが…、今年(2005年)の5月15日、すなわち本土復帰三三周年となった日、沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の早期返還を求め、市民らが「人間の鎖」で同飛行場の周囲11キロを取り囲んでいます。
昨年に続いて四回目のことですが、参加者は県外からも含めて、主催者発表で過去最高の約24000人となっています。
これは前年の八月、同市で起きた米軍ヘリ墜落事故をきっかけに再び高まった基地撤去を求める県民世論の反映と言われています。
しかし、です。
九六年の県民大集会の参加者80000人(主催者発表)と比べれば少ないし、参加者も基地撤去を願う革新・野党陣営や市民・労働団体が多かったようです。
現に保守・与党陣営と呼ばれる人間は九六年には参加しても今回は参加していません。
本土マスコミの取り上げ方も九六年に比べれば小さいものとなっています。
こうした現状を鑑みると、沖縄の基地をはじめとする諸問題が逆に消えかけているような感覚さえ、私にはあります。
これはひとえに、沖縄の基地をはじめとする諸問題を学者やインテリ層やジャーナリストが沖縄を訴えることの限界を露呈しているように思います。
現に、前回の講義で紹介したように筑紫ですらその困難さを認めています。
そして、にもかかわらず、本土・沖縄に限らず万民に沖縄の基地をはじめとする諸問題を広く知らしめるためにはどうしたらよいか、ということを考えたとき、アーティストや芸術家といった、広い意味での表現者が自分の持つ力を使って伝えることが肝要なのではないかと暗に認めているところがあります。
ですが現状ではその表現者の力…特に沖縄から本土に向けての発信する力が弱くなっているように思えます。
前述のモンゴル800の例もそうですが、どうも沖縄からの若手アーティストがメジャー・インディーズ問わず出ているにもかかわらず、かつてのように沖縄について局地的にでも声高に言うことが少なくなってしまいました。
それはやっぱり本人たちの興味や立場と、世間の耳目を集めにくいというきらいがあるのでしょう。
しかし、発信する力の弱まりは同時に沖縄の基地をはじめとする諸問題を本土の人間の眼差しが弱くなることにつながっていくのもまた事実でしょう。
確かに九・一一同時多発テロやイラク戦争について取り上げることと比べれば、基地問題は世間の耳目は集めにくい情勢ではあります。
そうなるとテレビで言えば視聴率、音楽CDで言えば売り上げを伸ばすのは困難です。
重ねて言いますが、前述のモンゴル800のような姿勢は喜納昌吉が「花」を歌って、しきりに反戦平和を唱えたような姿勢とは明らかに違います。
そしてその姿勢は理解できます。
更に反戦平和を問答無用で声高に唱えることが全面的に素晴らしいとも思わないし、世間、特に本土の人間の支持を今さら集めるとは考えにくいでしょう。
たとえ反戦平和が絶対的な善だとしても。
しかし沖縄の基地をはじめとする諸問題が本土の中で埋没しかかっている現状に、このままでいいのかという思いも私にはあります。
直接的にもしくはお題目のように一つの事象を唱えるのはひとつの形として、しかし特に本土の人間に対し表現者は筑紫の言うような“想像力”の喚起を求める作品を作ることが必要ではないのでしょうか。
そうでなければ沖縄の問題は風化の一途をたどるだけではないかと私は思うのです。
つまり!
基地問題へのアプローチやそれを伝える表現の方法を変えて、改めて沖縄を発信するという曲がり角に差し掛かっているのではないのでしょうか。
またそうでもしないと…従来の方法の踏襲だと、世間の耳目を持続的に集めることは困難ではないでしょうか。
2003年、サザンは七年ぶりに沖縄での野外ライブを実施しました。
そこで彼らが最後に奏で、歌ったのが喜納の「花」でした。
今年は沖縄でのコンサートを予定していないようですが、しかし一方で石垣島滞在の日々を歌った新曲、「神の島遥か国」を発表しています。
そこには大物バンドとして多忙を極める中、一過性やブームに乗ったのではなく、あくまで肩の力を抜いたライフワークとして沖縄に向き合う、彼らの姿があるような気がします。
声高らかに訴えるわけではありませんが、しかし地道に活動するという、それもまたひとつの「沖縄を訴える」新しいやり方ではないかと、私には思えてならないのです。
どうでしょうか?
この章はここで終わります。
いずれにせよ、これは個人の才覚が光る一つの例です。
このように、たとえ弊害があったとしても沖縄に関連して「個人」が光ることは、他にないのか。
そしてその向こうに何があるのか。
更なる探求を進めていきます。
では…乞うご期待。