羊蹄学園大学社会学部講義集

北の大地に突如としてできた架空の大学。
かつてないテーマで綴る社会学とは?

教育遊戯・第26回~選択~

2009-03-14 00:33:26 | 教育遊戯
こんにちは。

番外編ばかりで本編を全くやっていない状態が続きました。
仕方のないこととはいえ、何だかちぐはぐ。

さて、前回紹介した日記はある政党関係者…いわば政治家のものです。

あ、勘違いしないでください。
私並びに当大学は何とか党支援などはしてません。
しかし!私並びに当大学は社会学部であるため、その関連から政治に相当のアンテナを張っています。
ということで国政・地方・政党問わず、かなりの政治家の記録・文献・HPに目を通しています(そこら辺の政治愛好家よりも圧倒的に、という自信すらある)。
この日記でもわかるように、私としては人間味のある、読ませるものだと、あくまで個人の感想ですが、思いまして日々チェックしています。
そのような中で見つけたものです、あくまで。

それはそれとして、どうでしょう。
私としてはあーだのこーだの論評しませんが、こんな風に全国学力テストに対処する親もいるんだなー、と勉強になりました。
思想や党派がそうさせているのは確かだとしても。

ここで思うのは、「義務教育」の中で考えれば、親は我が子を学校へ送り出して最低限の学力をつけるのは当たり前なのだけれど、それ以上の学力なんてのは親であり子の「自由」なんですな。
この「自由」、別に親の教育意識低いから出てくる方便で塾に我が子を通わせる親には関係ないと思うでしょ?違うんですよ。
例えばね、入塾要件に通知表内容を問わない塾でさえ、「最低限の学力さえあればいい」とか言う親が普通にいるんですよ。
ということは、塾なんて習い事の一環ぐらいにしか思っていない、もしくは我が子の友人紹介で止むにやまれず来たんで程度なんですな(下手をすれば学力なんかいらん!という親すらいる)。

思えば全国学力テスト自体、私はその価値がよくわかりません。
別に誰の味方をする訳じゃないけど、そもそもこのテストを実際の教育にどう活用するか、全く見えてこないじゃないですか。
見えてくるのは県単位の平均点が開示され、市町村ごとの平均点を開示するかどうかの論争だけ。
でもね、大事なのは平均点なのかしら、と思うのですよ。
私だけなのでしょうか…大事なのは、その後の学力向上の指針として、どこでどんな風に誤答をし、それが全体として何を意味し、そしてどの辺りの位置に自分はいるのかを本人・親・学校が認識することではないか、と。
ところがそれが十分でない、もしくは、データ開示に時間がかかるというなら、何の意味があるのでしょう。

しかも、です。
現状こうして、色んな考えや思惑があるにせよ、全国学力テストを欠席することが可能という現実が転がっている。
まして、ある与党政治家のコメントを見れば「日教組憎し」で始めたのだと言う、だとすれば「全国学力テスト」って何なんですか、と私は言いたい。

しかしながら学力を幅広い意味で見極める物差しが欲しいのは確か。
より高い学力を子供や親が欲求するならば、何ができてできないのかを子供を支える人間が知るのは責務と言えるでしょう。

ということで、私教育の模擬試験の存在価値は、ますます色んな意味で非常に高くなる一方だと思うのです。
つまり、模擬試験は本来の「入試の練習」「力だめし」「実践力強化」といった模擬試験の役割以上に「全国学力テスト」が負うはずだった役割を担っているのではないかと。

なのに現状の私塾の模擬試験は何をしているのか。
次回以降触れていきます。

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