(私が生きた・証)
鳴呼…
とうとう廃止、バス転換を迎えてしまいました。
重くどんよりとした気持ちでいます。
こんにちは西日暮里です。
いよいよ「銀河鉄道、逝く!」の講義第1回目です。
よろしくお願いします。
予習もしたし、「lastline lastlove」も目を通してくれましたよね?
その前提で講義を進めます。
まず…
実のところ、この講義にはサブタイトルがあります。
それは、「誰が延命し、殺したのか」です。
たとえば、「lastline lastlove」に出てくる「私」にしてみれば生きた証と言えるかもしれません。
確かに沿線住民ではなかったかもしれない。
しかし沿線に非常に近い地域に住む人間だったのは事実です。
何より沿線には彼の祖父母が住んでいました。
幼き日、彼は弟妹を引き連れて、子供だけで祖父母の家に向かうとき、あの列車に乗り込みました。
白を基調とした軽快に走る列車。
車窓からは緑が非常に映えました。
実際は、祖父母の家に行くのだという、ワクワク感の方が強くてそれどころではなかったのだけど、でもあの鉄道は彼にとって、幼少の頃の生の証があったわけです。
そして何より彼にしてみれば、はっきりと異性への想い…「初恋」と言える瞬間にめぐり逢ったのは、高校受験を控えた中学3年の時で、相手は沿線に住む、同学年の人だったわけです。
手記を見る限り、住んでいるところも違い、顔を会わせる機会も少なく、想いを伝えるどころか、話をすることすらままならなかったけど、彼の中ではそれなりのドラマもあり、今でも思い出すようです。
そう…あの鉄道は彼にとっての青春期の生の証があったわけです。
そして今…「生」を感じた舞台が「死」を迎えているわけです。
お手元にあれば日本地図を広げてみてください。
北海道の東、帯広のさらに東に池田という町があります。
そこから北へ北へ…北見市までの鉄道…そんな北海道の片隅にある、第3セクターの鉄道ですが…これが「ふるさと銀河線」(以後、「銀河線」と表記する)です。
一言で言ってしまえば、最近よくありがちな「赤字ローカル線」の廃止。
でもそれだけじゃあない、背景や重み、そしてある種のカラクリがあるのです。
彼個人に限れば、幼少期や青春期の生の証があの鉄道には込められています。
しかし、当然ですがあの鉄道路線が生の証となっていたのは、彼だけではないでしょう。
有名人で言えば、あの鈴木宗男氏の人生の原風景に存在していたわけですし。
歌手の松山千春氏も幼き日からその目に焼きつけていました。
J-POPのトップを走る、ドリームズカムトゥルーのボーカル吉田美和氏の出身地にも通じていました。
昨日の廃止の日のセレモニーに参加した、松山千春に限って特に言えば「足寄より」という20代に出版された自伝に彼は足寄高校卒業後、国鉄池北線(銀河線の前身)に乗り、北見での暮らしを始めたことが書かれています。
更に言えばその北見でSTV(札幌テレビ放送)のプロデューサーに見初められ、デビューします。
やはり池北線で札幌へと向かったのです。
つまり今年でデビュー30周年を迎えた、歌手・松山千春の誕生前夜に関わったもののはずです…が、何度も言うように銀河線が廃止されようとしています。
どうしてそうなったのか、なぜ今なのか。
そこには何が潜んでいるのか。
存続を願う声はどの程度のものなのか。
特に廃止の一報後、存続を読み物がテレビやインターネットなどで多く見受けられるようになりました。
しかしその多くは冷静かつ客観的分析をしながらも、廃止という目の前の事象にばかりに目を奪われ、「そもそもからの分析」が不足しているのではないか、との思いを日増しに強くしていきました。
なぜここに至ったのかということをまず考えなければ次につながらないだろう。
私は、私なりの銀河線への感慨も込めて、この消えようとしている鉄路の背後にあるものを暴き出そうと決意しました。
「誰が延命し、殺したのか」
そして…全ては愛着あるもののために。
…これが、この講義をやる私のきっかけであり、決意です。
このことを胸に次回からいよいよ本格的に講義を進めていきます。
それでは。
以上、西日暮里でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
初めての人は→オリエンテーション
この講義の存在を高めてください→人気ブログランキング
鳴呼…
とうとう廃止、バス転換を迎えてしまいました。
重くどんよりとした気持ちでいます。
こんにちは西日暮里です。
いよいよ「銀河鉄道、逝く!」の講義第1回目です。
よろしくお願いします。
予習もしたし、「lastline lastlove」も目を通してくれましたよね?
その前提で講義を進めます。
まず…
実のところ、この講義にはサブタイトルがあります。
それは、「誰が延命し、殺したのか」です。
たとえば、「lastline lastlove」に出てくる「私」にしてみれば生きた証と言えるかもしれません。
確かに沿線住民ではなかったかもしれない。
しかし沿線に非常に近い地域に住む人間だったのは事実です。
何より沿線には彼の祖父母が住んでいました。
幼き日、彼は弟妹を引き連れて、子供だけで祖父母の家に向かうとき、あの列車に乗り込みました。
白を基調とした軽快に走る列車。
車窓からは緑が非常に映えました。
実際は、祖父母の家に行くのだという、ワクワク感の方が強くてそれどころではなかったのだけど、でもあの鉄道は彼にとって、幼少の頃の生の証があったわけです。
そして何より彼にしてみれば、はっきりと異性への想い…「初恋」と言える瞬間にめぐり逢ったのは、高校受験を控えた中学3年の時で、相手は沿線に住む、同学年の人だったわけです。
手記を見る限り、住んでいるところも違い、顔を会わせる機会も少なく、想いを伝えるどころか、話をすることすらままならなかったけど、彼の中ではそれなりのドラマもあり、今でも思い出すようです。
そう…あの鉄道は彼にとっての青春期の生の証があったわけです。
そして今…「生」を感じた舞台が「死」を迎えているわけです。
お手元にあれば日本地図を広げてみてください。
北海道の東、帯広のさらに東に池田という町があります。
そこから北へ北へ…北見市までの鉄道…そんな北海道の片隅にある、第3セクターの鉄道ですが…これが「ふるさと銀河線」(以後、「銀河線」と表記する)です。
一言で言ってしまえば、最近よくありがちな「赤字ローカル線」の廃止。
でもそれだけじゃあない、背景や重み、そしてある種のカラクリがあるのです。
彼個人に限れば、幼少期や青春期の生の証があの鉄道には込められています。
しかし、当然ですがあの鉄道路線が生の証となっていたのは、彼だけではないでしょう。
有名人で言えば、あの鈴木宗男氏の人生の原風景に存在していたわけですし。
歌手の松山千春氏も幼き日からその目に焼きつけていました。
J-POPのトップを走る、ドリームズカムトゥルーのボーカル吉田美和氏の出身地にも通じていました。
昨日の廃止の日のセレモニーに参加した、松山千春に限って特に言えば「足寄より」という20代に出版された自伝に彼は足寄高校卒業後、国鉄池北線(銀河線の前身)に乗り、北見での暮らしを始めたことが書かれています。
更に言えばその北見でSTV(札幌テレビ放送)のプロデューサーに見初められ、デビューします。
やはり池北線で札幌へと向かったのです。
つまり今年でデビュー30周年を迎えた、歌手・松山千春の誕生前夜に関わったもののはずです…が、何度も言うように銀河線が廃止されようとしています。
どうしてそうなったのか、なぜ今なのか。
そこには何が潜んでいるのか。
存続を願う声はどの程度のものなのか。
特に廃止の一報後、存続を読み物がテレビやインターネットなどで多く見受けられるようになりました。
しかしその多くは冷静かつ客観的分析をしながらも、廃止という目の前の事象にばかりに目を奪われ、「そもそもからの分析」が不足しているのではないか、との思いを日増しに強くしていきました。
なぜここに至ったのかということをまず考えなければ次につながらないだろう。
私は、私なりの銀河線への感慨も込めて、この消えようとしている鉄路の背後にあるものを暴き出そうと決意しました。
「誰が延命し、殺したのか」
そして…全ては愛着あるもののために。
…これが、この講義をやる私のきっかけであり、決意です。
このことを胸に次回からいよいよ本格的に講義を進めていきます。
それでは。
以上、西日暮里でした。
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