(3、太陽は西から昇る)
今日のもう1コマは、静岡が生んだ太陽のような塾について。
その名は…「さなる」。
1967年、浜松市内学習塾「サトウ塾」を営んでいた佐藤英夫氏という人が亡くなり、息子の佐藤イサク氏が後を継ぎます。
このことが、浜松から生まれ、後に全国の塾業界トップに躍り出る「佐鳴予備校」(以後、「佐鳴」と呼称する)の、実質的なスタートとなりました。
まず、1973年に浜松市内に校舎展開を開始します。
その後、1984年から静岡市に進出し、静岡県全域への校舎展開を進め、1989年より愛知県に進出します。
静岡との県境の豊橋地区から西へ西へと校舎展開を進め、1993年には名古屋市内での校舎展開を開始し、一宮などの県北へもネットワークを広げます。
1996年末より岐阜県、1997年末より石川県にも進出。
1999年には本社を創業の地であった浜松から名古屋に移転。
さらに大学受験科を本格的に開始させ、大学受験分野にも参入。
また自社で開発した、コンピューターによるプリント学習システム『SCPL(スクプル)21』が本格的に始動。
2003年3月大阪に進出、同時に業界初のデジタルコンテンツを活用した、新・体感型授業システム『See―be(シービー)』が本格的に始動(これについては後述します)。
2003年9月全国展開に向けた新拠点として東京・新宿に本社を移転。
…とまぁ破竹の勢いです。
数字でも見てみましょう。
資本金は1億4390万円で、2004年6月期の従業員数は正社員が311名。売上高は105億9320万円となっています。
同期の経常利益が32億4089万円となっており、全国私塾情報センターの調べによると、2004年決算分までだと、学習塾業界所得ランキングで8年連続1位に輝いています(2005年でも同様の結果となり、9年連続1位となった)。
数字を見るだけでも佐鳴は塾業界のリーディングカンパニーと言えるでしょう。
しかし佐鳴について見る場合、特筆すべきなのは業績というよりも、その塾としての指導スタイルではないかと思われます。
特に新・体感型授業システム『See―be』の存在なくして佐鳴は語れないでしょう。
佐鳴は一斉指導の学習塾ではありますが、全校舎全教室には黒板というものは存在しません。
その代わりにホワイトボードと、天井には高性能のプロジェクターが設置されています。
このプロジェクターには、自社開発された対象の全学年全教科全単元の教材がソフトとしては入っており、それを高性能・高画質なプロジェクターでホワイトボードに映し出し、時には講師がリモコンで動かしたり、ホワイトボード上にマジックで書き込んで解説したりしながら、生徒の理解を促す、というシステムです。
大雑把に言うと、30歳前後の方ならご存知だと思いますが、各学校の教室にOHPという機材があったのをご存知ないでしょうか。
あれがもっと機械化自動化されたものと考えてください。
しかも照明の明るい教室でも映像が映るという優れものです。
この存在により、授業は効率よく進みます。
たとえば社会の授業で、わざわざ黒板に時間をかけて世界地図を書かなくとも、一瞬で生徒の眼前にきれいで巨大な世界地図を見せ、そして書き込みながら解説することができるのですから。
ですが、このような指導の独自性は佐鳴にはもともと存在していました。
たとえば講師は体罰目的ではありませんが、気合を生徒に注入するための道具として特に受験シーズンが佳境になるとハチマキを装着するとともに竹刀を携帯するという、他ではなかなか考えられない光景もそのひとつといえます・
また今では秀英などが当たり前のようにやっている、正社員による講師陣容や全校舎が独立した専用校舎という触れ込みですが、そのハシリは佐鳴で、佐鳴が早くからこの方針を採り、静岡県の塾業界を席捲したことにより、他塾も追随せざるを得なかった、という事情があります。
いわば佐鳴が秀英のような大手塾の形を作ったお手本であり、今日の秀英の存在をある意味つくったと言えるのです。
ただ私が佐鳴を「太陽のような塾」と評してしまうのは、浜松という名古屋・大阪の文化圏に近い地域で生まれたせいなのでしょうか、どうしても「行け行け」と言わんばかりの猪突猛進を思わせ、なおかつ派手さがこの塾にはあると見えてしまうのです。
たとえば校舎です。
最近の新築校舎はそれでもガラス張りの無機質なビルのような感じになってきましたが、古くからの校舎などは、白やピンクを基調としたものが多く、教育施設にもかかわらずさながら、「レストラン」「ラブホテル」を思わせる外観となっています。
1995年頃から、当時は東海地方の大スターだった、プロ野球中日ドラゴンズ監督の星野仙一をテレビCMに起用し、世間の耳目を集めたのもそうです。
また徹底した実力主義で、年数回の生徒アンケートによる講師評価で査定が決まり、よければ大金をポンと直接現金で渡すこと、更に講師の福利厚生として休日に使ってもらうために、高い外車や高級クルーザーを所有していることなども、そしてそういったことを「誇り」として何のためらいも無く公表していることも、佐鳴が「派手」と私が見てしまう理由のひとつになっています。
とにもかくにもこの「太陽のような塾」は、静岡の西から昇り、県内を席捲しました。
しかしそれに真っ向から立ち向かう塾が現れます。
東から昇った「月のような塾」、秀英予備校です。
今日はここまで。
それでは、また。
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今日のもう1コマは、静岡が生んだ太陽のような塾について。
その名は…「さなる」。
1967年、浜松市内学習塾「サトウ塾」を営んでいた佐藤英夫氏という人が亡くなり、息子の佐藤イサク氏が後を継ぎます。
このことが、浜松から生まれ、後に全国の塾業界トップに躍り出る「佐鳴予備校」(以後、「佐鳴」と呼称する)の、実質的なスタートとなりました。
まず、1973年に浜松市内に校舎展開を開始します。
その後、1984年から静岡市に進出し、静岡県全域への校舎展開を進め、1989年より愛知県に進出します。
静岡との県境の豊橋地区から西へ西へと校舎展開を進め、1993年には名古屋市内での校舎展開を開始し、一宮などの県北へもネットワークを広げます。
1996年末より岐阜県、1997年末より石川県にも進出。
1999年には本社を創業の地であった浜松から名古屋に移転。
さらに大学受験科を本格的に開始させ、大学受験分野にも参入。
また自社で開発した、コンピューターによるプリント学習システム『SCPL(スクプル)21』が本格的に始動。
2003年3月大阪に進出、同時に業界初のデジタルコンテンツを活用した、新・体感型授業システム『See―be(シービー)』が本格的に始動(これについては後述します)。
2003年9月全国展開に向けた新拠点として東京・新宿に本社を移転。
…とまぁ破竹の勢いです。
数字でも見てみましょう。
資本金は1億4390万円で、2004年6月期の従業員数は正社員が311名。売上高は105億9320万円となっています。
同期の経常利益が32億4089万円となっており、全国私塾情報センターの調べによると、2004年決算分までだと、学習塾業界所得ランキングで8年連続1位に輝いています(2005年でも同様の結果となり、9年連続1位となった)。
数字を見るだけでも佐鳴は塾業界のリーディングカンパニーと言えるでしょう。
しかし佐鳴について見る場合、特筆すべきなのは業績というよりも、その塾としての指導スタイルではないかと思われます。
特に新・体感型授業システム『See―be』の存在なくして佐鳴は語れないでしょう。
佐鳴は一斉指導の学習塾ではありますが、全校舎全教室には黒板というものは存在しません。
その代わりにホワイトボードと、天井には高性能のプロジェクターが設置されています。
このプロジェクターには、自社開発された対象の全学年全教科全単元の教材がソフトとしては入っており、それを高性能・高画質なプロジェクターでホワイトボードに映し出し、時には講師がリモコンで動かしたり、ホワイトボード上にマジックで書き込んで解説したりしながら、生徒の理解を促す、というシステムです。
大雑把に言うと、30歳前後の方ならご存知だと思いますが、各学校の教室にOHPという機材があったのをご存知ないでしょうか。
あれがもっと機械化自動化されたものと考えてください。
しかも照明の明るい教室でも映像が映るという優れものです。
この存在により、授業は効率よく進みます。
たとえば社会の授業で、わざわざ黒板に時間をかけて世界地図を書かなくとも、一瞬で生徒の眼前にきれいで巨大な世界地図を見せ、そして書き込みながら解説することができるのですから。
ですが、このような指導の独自性は佐鳴にはもともと存在していました。
たとえば講師は体罰目的ではありませんが、気合を生徒に注入するための道具として特に受験シーズンが佳境になるとハチマキを装着するとともに竹刀を携帯するという、他ではなかなか考えられない光景もそのひとつといえます・
また今では秀英などが当たり前のようにやっている、正社員による講師陣容や全校舎が独立した専用校舎という触れ込みですが、そのハシリは佐鳴で、佐鳴が早くからこの方針を採り、静岡県の塾業界を席捲したことにより、他塾も追随せざるを得なかった、という事情があります。
いわば佐鳴が秀英のような大手塾の形を作ったお手本であり、今日の秀英の存在をある意味つくったと言えるのです。
ただ私が佐鳴を「太陽のような塾」と評してしまうのは、浜松という名古屋・大阪の文化圏に近い地域で生まれたせいなのでしょうか、どうしても「行け行け」と言わんばかりの猪突猛進を思わせ、なおかつ派手さがこの塾にはあると見えてしまうのです。
たとえば校舎です。
最近の新築校舎はそれでもガラス張りの無機質なビルのような感じになってきましたが、古くからの校舎などは、白やピンクを基調としたものが多く、教育施設にもかかわらずさながら、「レストラン」「ラブホテル」を思わせる外観となっています。
1995年頃から、当時は東海地方の大スターだった、プロ野球中日ドラゴンズ監督の星野仙一をテレビCMに起用し、世間の耳目を集めたのもそうです。
また徹底した実力主義で、年数回の生徒アンケートによる講師評価で査定が決まり、よければ大金をポンと直接現金で渡すこと、更に講師の福利厚生として休日に使ってもらうために、高い外車や高級クルーザーを所有していることなども、そしてそういったことを「誇り」として何のためらいも無く公表していることも、佐鳴が「派手」と私が見てしまう理由のひとつになっています。
とにもかくにもこの「太陽のような塾」は、静岡の西から昇り、県内を席捲しました。
しかしそれに真っ向から立ち向かう塾が現れます。
東から昇った「月のような塾」、秀英予備校です。
今日はここまで。
それでは、また。
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