女性管制官第一号誕生 Part1 2009-04-20 05:48:22 | Weblog この新聞記事をクリックして大きくして読んでね。 1980年の産経新聞の記事です。 « John Tesh rad... | トップ | 女性管制官第一号誕生 Part2 »
2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 拡大して読みました! (ジャスミン) 2009-04-20 23:54:13 今からもう30年も前の記事ですね。もう一度同じ記者の方にもと子さんを取材していただきたいものです。その後どうなったか。私は航空保安大を途中で辞めてしまいましたが(20年前)、本科も専修科も女子はたくさんいて、女性だから、と特別視されるようなことはありませんでした。きっと先輩方が実績を残して下さっていたので、特別視されることがなかったのでしょうね。同期の女子は私を含めて5人でしたが、2人は現役でバリバリやっています。3人はそれぞれの道を歩んでいます。結婚退職というのはないですね。去年から羽田にあった大学が関空に移動したと聞きました。私の同期が教官になったって言ってましたから、時間の流れの速さに圧倒されます。 ジャスミンさんへ (もと子) 2009-04-21 05:20:27 確かに、時間の流れを感じますね。あれから、30年。早いものです。当時 パイオニアとして注目を浴び、女性に果たして、管制の仕事ができるのかということで、しなくてもいいような苦労をたくさんして、でも結果、たくさんの後輩が今現在、奮闘してくれている。これは、感慨深いものがあります。このシリーズ、もう少し続けてみますね。いつもコメントありがとう!! 規約違反等の連絡 コメントを投稿 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
もう一度同じ記者の方にもと子さんを取材していただきたいものです。その後どうなったか。
私は航空保安大を途中で辞めてしまいましたが(20年前)、本科も専修科も女子はたくさんいて、女性だから、と特別視されるようなことはありませんでした。きっと先輩方が実績を残して下さっていたので、特別視されることがなかったのでしょうね。同期の女子は私を含めて5人でしたが、2人は現役でバリバリやっています。3人はそれぞれの道を歩んでいます。結婚退職というのはないですね。
去年から羽田にあった大学が関空に移動したと聞きました。私の同期が教官になったって言ってましたから、時間の流れの速さに圧倒されます。
あれから、30年。早いものです。
当時 パイオニアとして注目を浴び、女性に果たして、管制の仕事ができるのかということで、しなくてもいいような苦労をたくさんして、でも結果、たくさんの後輩が今現在、奮闘してくれている。
これは、感慨深いものがあります。
このシリーズ、もう少し続けてみますね。
いつもコメントありがとう!!