竹芝から22時30分の『橘丸』へ乗って三宅島へ出かけてきました。
今回は乗船券の手配が遅れて、初めて「席なしの乗船券」で乗船しました。
それで、甲板で寝場所を探しましたが、かつての「かめりあ丸」と違って甲板自体も狭く、3階から2階建てに減っていたので混雑期は人であふれそうな気がした。
三宅島、錆ヶ浜港への到着は真っ暗な午前5時。そこから村営バスに乗り、島の最北端「大久保浜」へ向かった。村営バスは、船の寄港、出港に合わせた時刻表になっている。
入港と同時に硫黄臭がして、まだまだ噴火の痕が残る島であることを感じる。
[三宅島、三池(みいけ)港に入港する橘丸]
船内は、白を基調として統一され、船内はホテルのような感じだ。どちらかと言うと、こじんまりとした雰囲気に変わった。
設備も豊富になって住み心地はよい。
[食堂入り口から中を覗く、飲みすぎた客が食堂入り口に転がって寝ていた]
[2等船室は、10人づつの小部屋に変身した。なので狭く感じる。棚が見えるが入り口の靴箱]
島の最北端にある大久保浜に到着。最初の2日間は雨で綺麗な青い海は見られなかった。最終日にやっと快晴になり、真っ青な海を見ることが出来た。
しかし、最終日の3日は強風で波が高かった。
[大久保浜]
[伊豆に自生する明日葉と島海苔でスパゲッティだ]
島のキャンプ場ですごした。1日4便のバスに乗って阿古地区にある錆ヶ浜に出かけて、買い物したり、温泉に入ったりした。
大久保浜からは12:02のバスで阿古へ向かい、錆ヶ浜からは15:44のバスで戻り、短波の夕方のコンディションを楽しんだ。
村営バスは、島の周回道路を実にゆっくり走っていて、大久保浜⇔阿古地区、片道30分はゆうにかかった。
一番のご馳走は、商店に置いてあった、お刺身パックだ。当日水揚げされた魚の刺身が置いてあり、これが実に新鮮で旨い。
どうみても近くの「いきいきお魚センター」で余った新鮮な魚を使った刺身だ。なので15時以降でないと置いてないぞ。
また阿古地区は、1983年の噴火で200戸の民家等が溶岩に飲み込まれた場所だ。当時の小中学校の建物は噴火すさまじさを伝えるために?残されている。
[かつての阿古小中学校、体育館に流れ込んだ溶岩で鉄骨が歪んでいる]
[火山ガスで立ち枯れた木々]
[三宅島の南端、三池港から見える御蔵島]
帰りの船は、強風で海が荒れていて、時折、甲板に飛沫が降り注いでいた。飛沫を浴びながら昼飯にした。
こんな状態でも、甲板に出してくれた。
[うねりを越えて進んでいると、新島と利島が見えてきた]
傘を手放せない三宅島旅行だったけど、最終日の青空と青い海のおかげで、爽やかな気分で帰ることが出来た。
帰りは出港が危ぶまれるほど海は荒れていたけど、新船効果で?船酔いもせず無事に帰宅できた。
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