盆暮れと春秋の彼岸。こちらにもアップした下手な小説の中で饒舌にまくしたてた事がありますが、現世と幽世の距離が近いこの国でも、この四回その距離が近づき往還の道が開くとされてきました。
子供の頃から肥松で小さな井桁を組み上げ・積み上げて(荼毘の形)玄関先の小さなスペースで、迎え火・送り火を焚く。ごく普通の習慣だと思っていたのが西日本の山間部にほぼ限局された習慣だと知ったのは大人になってからでした。東北地方とはまた違った意味で、現世と幽世の距離が近い所です。
田舎に引き込んでから数年目になりますが、今年も肥松を買うのを忘れて慌てて買いに行く始末。雑木林の中にあった家重代の墓をたたむまでは、肥松は拾ってくるもので買うものではなかったからです。
信心も信仰もない、と言うよりは一諦【勝義諦:一切皆空】論者ですので、迎え火・送り火は世俗諦ではなく子供の頃からの公認ヒアソビです。でも多分、今年も火を焚きながら、All Hollows Dayの事を考えることになりそうです。(この続きはだぶんハロウィーンの日)
※ほそぼそながら読んでくれている人が増えているようなのでご挨拶と言い訳。
気合と思い付きで、書いておりますので以下の点はご容赦を。
❶誤字脱字、誤変換
❷話題のオーバーラップ
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