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岩手県遠野市 遠野まちなかドキ・土器館②たそがれ土偶 9万年前の旧石器

2023年12月09日 11時41分07秒 | 岩手県

遠野まちなかドキ・土器館。岩手県遠野市新町。

2023年6月11日(日)。

金取遺跡(かねどりいせき)は6万年前にアフリカを出た現生人類(新人)ではなく、その前の旧人(デニソワ人など)が残した狩猟用のキャンプ跡とみられる。

たそがれ土偶。遠野市夫婦石袖高野遺跡出土。縄文時代後期(約4,000年前)。

まるで、たそがれているかのような寂しげなポーズの土偶。小型で装飾は無くシンプルだが、背面の背骨の部分が丁寧に表現されている。見れば見るほど親しみを感じる不思議な魅力がある。

金取遺跡(かねどりいせき)。遠野市宮守町(旧上閉伊郡宮守村)。中期旧石器時代。遠野市指定史跡。

8-9万年前とされる土層から石器が出土し、日本国内最古の旧石器時代遺跡とする。その後、2009年(平成21年)に島根県出雲市の砂原遺跡で出土した石器が12万年前まで遡るとされる。

遺跡は北上山地の小盆地に面した中位段丘上に位置している。ホルンフェルス製の石器(チョッピング・ツール)1点が民間研究者によって発見され、発掘調査された。

旧石器は、Ⅱ層、Ⅲ層、Ⅳ層に包含されていた。Ⅲ層の上部から片面調整石器、チョッパー、このほか剥片、砕片、円盤石核、焼けた礫3点など31点の遺物と多量の木炭粒が出土した。第Ⅲ層下層(Ⅲc層)検出炭化物の炭素14年代測定結果では46480(±710)年前という値が得られ、これを日本における中期旧石器時代遺跡の存在の主要な根拠としているが、中期旧石器の存在を疑問視する意見では、層位の年代決定法上の問題などからこれに疑問を呈し、現在も意見が分かれている。

Ⅳ層からは、黒い硬質砂岩や粘板岩で作ったハンドアックスのような両面加工石器やチョッパー、青灰色の良質なチャート製の五角形剥片など8点の石器と木炭粒が検出された。Ⅳ層は9~8万年前という年代が与えられた。金取Ⅳ文化は火山灰層序学に照らして地質年代を把握できる日本最古の石器群とする意見がある。

斧形石器は研究者の注目を浴び、中国や朝鮮半島では発見されていない日本列島独自の発達を遂げた大型重量石器として評価を受けた。

第III文化層では珪質頁岩製小型石器で構成され、40点(石斧41、円盤形石核42、チョッパー43、スクレイパー44~46・49・50、くさび形石器47、フレイク48・51~59、チップ24点)。

第IV文化層石器群は8点(楕円形石器61、チョッパー62・64、チョッピングトゥール63、スクレイパー67・71、フレイク65・66)。用いられているホルンフェルスは、紅柱石・ざくろ石ホルンフェルスであり、遠野花崗岩体接触部にのみ産出する。

張山遺跡。附馬牛町張山から青森県三内丸山遺跡と同時代の縄文時代中期~後期の環状集落跡が出土した。集落中央の広場を囲んでお墓が48基並び、その周辺に竪穴住居などが取り巻いていた。典型的な環状集落である。

 土器や石器の出土量はコンテナで200箱を数え、竪穴住居跡も250棟ほど確認された。遺物の中には、遠野の近辺では産出しない黒曜石や新潟県糸魚川で産出されるヒスイが発見されていることから、張山遺跡は、他の地域との交流・交易の範囲が広かったと考えられる。

栃洞遺跡。大洞BC式土器。縄文時代晩期前葉 BC1100年頃。

新田Ⅱ遺跡。遠野市綾織町。縄文時代晩期(大洞A1式土器)。

新田(しんでん)Ⅱ遺跡からは、台付鉢1点、壺7点、深鉢2点、鉢9点が水辺から一括出土しており儀礼的行為の痕跡と推測される。

 

綾織新田遺跡(国史跡)。

綾織新田遺跡は、岩手県北上高地のほぼ中央に位置する遠野盆地を流れる北上川の支流、猿ケ石川左岸の標高約270mの河岸段丘上に立地する。発掘調査の結果、大型竪穴住居により構成される縄文時代前期前半の拠点的集落跡であることが判明した。

集落は大型住居、小型竪穴、土坑、道路、溝、広場から構成される。大型住居は中央広場を挟んで放射状に配置され、17棟検出された。平面形は長方形を基調とし、内部に複数の炉を持ち、いずれも頻繁な建て替え、拡張の痕跡が認められる。小型竪穴は広場南 側の大型竪穴住居の周囲に配置され、中には墓坑と思われるものがあり、石鏃、玦状耳飾りが出土している。

出土遺物では、これまで類例の少なかった大木2・3・4式土器がまとまって出土し、当該時期の変遷を知る上で良好な資料である。特筆されるのは滑石製玦状耳飾りで、50点出土し、国内有数の出土点数を誇る。原石も出土していることから本集落で製作されたものである。

綾織新田遺跡は、集落構造や出土遺物から縄文時代前期前半の大木式土器文化を代表する拠点的集落と考えられ、縄文時代前期後半以降見られる大型住居により構成される集落の初期の事例であり、縄文時代の社会構造を考える上で極めて重要な遺跡である。

 

このあと、遠野市立博物館へ向かった。

岩手県遠野市 鍋倉城跡 遠野まちなかドキ・土器館①阿曽沼氏



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